第十話 紅蓮王 義もて好漢を助け 雷電虎 道に少女を救うの事
夜が明け、空は白みを取り戻し始めた。
山の向こうには、昨夜の騒動を物語るかのように、幾筋もの黒煙が立ち昇っている。
無事にブランフルーヴ関を越えたミナツバーラの一党は、チャバの命令で各自散り散りにヴォルケネーメン山を目指す事となり、三々五々旅立って行った。
今この場にはチャバとショウ、シセイ、タッカー、ベルノ、ミック、ゼン、それにユーディとアルカイックが、カディ達の到着を待っていた。
「来たな」
木々の間を駆け下りてくる四つの人影を認めて、チャバは呟いた。
紛れもなく、カディと三匹の手下達だった。
「御苦労さん」
「成功だね」
カディは得意気に、親指を立てて見せる。
チャバは唇の端を僅かに上げて笑うと、一同に向き直った。
「それじゃ、俺達も行くか」
一同が頷く。
手早く日限と場所を決し、改めて全員の顔を見渡す。
「ヴォルケネーメンでまた会おう」
「おぅ!」
後日の再会を約して、ミックとゼン、カディ達四人、ユーディとアルカイックは、それぞれ去って行った。
シセイ達三人も歩を進めようとしたところ、チャバに呼び止められた。
「俺はこれから立ち寄る所があるんだが、何なら一緒に来ないか?」
「どこに行くのですか?」
「よく人の集まる所さ。行って損はないと思うが」
三人は一瞬顔を見合わせたが、
「それじゃあ、連れて行って下さい」
「いいぜ。ショウ、お前さんも来るだろ?」
「ああ。貴様が何をやらかすのか、じっくり見届けてやるよ」
やれやれ、とばかりに、チャバは両の手の平を上にして肩を竦めて見せる。
五人は街道を南に指して歩き始めた。
数日後、彼等の姿は帝都イーストキャピタルにあった。
イーストキャピタルはヤパーナ最大の、そしてヤパーナ王朝の中心となる都市である。関中平野のほぼ中央に位置し、東にスレン川が流れ、南はベポルト湾に臨み、西には大南路・中山路――帝都よりペンリーヴルを経てミッテタークに至る、ヤパーナ本島中央部を通る街道が伸び、北にドゥシュシャン山が鎮座すると言う、風水説に曰く「四神相応の地」――四神とは青龍・朱雀・白虎・玄武の事であり、それぞれが東・南・西・北を守護する霊獣――である。その霊的守護をもって、ヤパーナ王朝とイーストキャピタルは四百年の長きに渡る栄華を謳歌してきた。
外縁は方四十里、堅固な城壁が聳え、中央やや東よりの地に周六十里の内城が存在する。内城の内には皇居、宮廷、政庁、統帥府などヤパーナ王朝の中枢が集中している。ヤパーナの脳たり心臓たる地である。
“ほんの三ヶ月前なんだよな、あの中で辞令を受けたのは……”
内城の城壁を横目に見ながら、ショウは心の中で呟いた。あの時は統帥府から直々に呼び出しを受け、堂々と内城の門を潜ったものだが、それが今では外城の門にすら身形を変え、偽名を使って漸く入れる有様。たった三ヶ月でよくもここまで変遷したものだ……。
しかし彼は、ちょっと道を逸れたと思ってはいたが、道を誤ったと考えてはいなかった。考えようによっては、エノ家の肩書きを外して、己の力量のみで名を揚げる大きな機会ではないか。まあ、もう少し真っ当な手段であれば尚良かったが……と、彼は内心で苦笑する。全く、後悔するのは彼の性に合わなかった。
「……で、わざわざこっちに遠回りして来た理由は何だ、チャバ?」
隣を歩く「道を逸らしてくれた」張本人に彼は尋ねた。
「ああ、助太刀を頼もうと思ってな」
「助太刀?」
「俺とお前さんだけでも成算はあるんだけどな。ま、念には念を入れて、ってな」
「なるほど。で、どこを探すんだ?」
「人の集まるところだろ? 酒場とか……」
会話に加わりたいらしいタッカーが口を挟む。
そんな彼を横目でちらりと見ながら、
「それもいいが、ここにはもっと確実な所がある」
チャバはやおら説明し始めた。
「このサントルシャン地区に、ヤパーナで一番有名な大旦那がおられる。そこの食客を二、三人融通して貰おうと考えてるのさ」
それを聞いて、ショウは僅かに眉を寄せた。少しの間を置いて、その人名に思い当たったらしい彼は、驚きの眼差しでチャバを見た。
「その大旦那って……あのハル=アンダルヘール殿の事か?」
「御明察」
ハル=アンダルヘール、一名を“紅蓮王”と言えば、帝都でも指折りの素封家の当主であるが、好んで巷間の人々と広く交わり、如何なる素性の者も分け隔てなく厚く遇し、侠客大尽として関西はゼルコーヴァのホーク=ファイ=リートと並び称される人物である。
ショウの驚きは尤もだった。
「あのようなお人に、伝があるのか?」
「一度世話になった事がある。その時にお互い腹を割って話し合ったが、あの人は信用できる」
自信たっぷりに言い切るチャバを、ショウは珍し気に見ていたが、
「噂に高い紅蓮王に目通りが叶うとあれば、それだけでも十分に行く価値はあるな」
世間の風評も有り、さらにチャバがここまで太鼓判を押すのだから、間違いない人物なのだろう。彼はそう考えた。
「それにしても……」
「ン?」
「全く、貴様って奴はよく解らん」
薄く笑ってそう言うショウに、チャバはいつもの如く口の端を上げて見せた。
ほどなく、彼方に長者屋敷の門構えが見えて来た。四方築地の大門に、川を巡らして堀となし、奥に見える堂宇も誠に立派で、流石にヤパーナ切っての富家の邸宅と一同等しく感じ入ったものである。
チャバが門前で来意を告げると、すぐさま応接へと案内された。
待つ程もなく、
「ようこそお越し下さいました」
と、主人らしき人物が姿を現わした。
その姿はと言うと、身の丈七尺四寸、優形の良い男で、細い目と大きな口に何とも言えぬ愛嬌があり、どこか人を魅き付けて止まぬものを感じさせた。けだし大人の風格と言うべきか。
この人物こそ、関中の侠客大尽として名高い紅蓮王のハル=アンダルヘールその人であった。
「御無沙汰しておりました、ハル殿」
まずチャバが立ち上がって久闊を叙した。
「これはチャバ殿、いやお久し振りです」
ハルは親し気な表情でチャバの手を握り締める。
チャバはショウ以下四人をハルに紹介し、ハルはその一人一人と握手を交わした。噂に違わぬ大侠振り、とショウは感銘を覚えた。
話は奥でゆるりと、とハル自ら案内に立って五人を客間へ通した。
客間には既に細やかな酒肴が用意されており、席に着くとすぐに主客打ち解けての歓談となった。わけても主のハルは実に会話が巧みで、チャバには一別以来の消息を問い昔を懐かしみ、ショウの武勇伝を聞いては大いにこれを褒め、シセイには関西の近状や流行を尋ねて好奇の色を見せる等、場を飽きさせる事がなかった。尤も、ハル自身はショウがチャバ討伐の任に当たっていた事を知っており、今ここに二人が同席している事実からどのような経緯があったのかも薄々察していたのだが、敢えてその話題には触れなかった。
暫く酒食を連ねて後、頃合を見てチャバが切り出した。
「……実は、今日はハル殿に折り入ってお頼み申し上げたい儀があって、ここに参った次第です」
隣で聞いていたショウは、この一見、傍若無人な男でも必要最低限の礼儀は心得ているらしい、と一驚した。
「折り入ってとは、善く善くの事のようですな。伺いましょう」
ハルの言を受けて、チャバは来訪の目的――近来の怪物共の蠢動、背後にある“魔王”の存在とその地上出現の可能性、それに備えて勇者傑士を参集せねばならない事、等――を語り出した。
「……その参集の地として、関中と中山の境界にあるヴォルケネーメン山に目を付けました。現在この山に巣食う山賊は、数を頼んで庶民をも虐げているとか。ここで奴等を追い払い、かの緊要地を我が手で押さえれば、さらに近隣の民も救えて一石二鳥。この企図に一臂のお力添えをお願いしたいのです」
「その為に、わざわざ故郷の寨を引き払って来たと?」
「はい」
ハルは沈思した。彼の目で見ても、チャバ=ザ=ダーハは江湖の傑物であり、信頼するに足る。その男が勝手知ったる生地を捨ててまで成そうとする雄図に、一枚噛んでみたくなったのだ。
つらつら考えてみるに、昨今の世相の荒廃は全て帝国政府の腐敗に端を発するところであろう。上は高官から下は小吏まで、どれも利を追い欲を満たす事のみに奔走する。上層がそうであれば、民土もやがてはその風に染まらざるを得ない。かくして帝国全土を覆う悪心が、魔王を地上に召喚させるのではないか。そして、上悪に対する反逆の星が今、かの人の姿を借りて地に湧いて出ようとしているのではないか――。
「分かりました。力になりましょう」
「おお、有難い!」
チャバは大袈裟に感謝した。とは言え、それは虚偽の心情でない事は一座の誰もが承知していた。
「それで、具体的に何をすれば宜しいですかな?」
「腕の立つ者を数人貸して戴きたい。多くは要りません。真に信頼できる者を選り択って下さい」
「それなら、打って付けの者がいます」
「それは?」
意気込むチャバを押し止めるように、ハルが続ける。
「慌て召さるな。今すぐ事を起こす訳でもないでしょう。どうぞ今日は泊まって行って下さい。夕食の折に紹介致しましょう」
「では、宜しくお願い致します」
これを潮に、ハルは席を立って夕食の用意を言い付けに奥に入った。
ハルの姿が見えなくなると、タッカーが隣のシセイに囁いた。
「なあ、あんなまともなチャバ、はじめて見たよな?」
「そう……かもね」
二人の会話を小耳に挟みながら、ショウは笑いを噛み殺しつつチャバに向かってこう宣うた。
「……だとよ」
チャバは内心で、ここへは独りで来るべきだった、と後悔していた。無論噫にも出さなかったが。
一夜明けて、チャバ達はハルに出立を告げ、ハルは門前まで見送りに出た。
「お気を付けて。御武運をお祈りします」
「剛の者をお遣わし戴き、感謝致します。事は必ず成就させましょう」
チャバの後ろには、三人の男が立っていた。
一人目は名をヴァン=マルケロフ=オーガイと言い、元は官軍の兵士と言う事だった。身の丈七尺九寸、隆々たる筋肉はその経歴を何よりも雄弁に物語っている。武芸は一通りこなすが、特に白打と飛翼刃を得意とする。中でも飛翼刃は、炎を纏い当たる物を焼き払う仕掛けが施してあり、故に彼は“赤太歳”とアダ名されている。
その隣の青年は、“強波漢”のマーク=ファンクと名乗った。ヤパーナ西方の島ノインシュタート島の街グローセフルスで漁師をしていたが、武芸に興味を覚えて武者修行の為に本島へ渡って来たとか。重さ四十斤の渾鉄の棒を縦横に振るう猛者だが、浅黒く日焼けした肌に気取らない笑顔が何とも憎めない。
最後の男は、左右の頬に八本の刀傷――八忘面痕を持つ破戒僧だった。マークと同じくノインシュタート島の街ヤシロ出身で、戒律の厳しさに嫌気が差して修行を投げ出した、と言う。重さ五十斤の連鎖球棍を愛用するファム=ヒーラ=ノー、またの名を“忘八僧”との事。
いずれも異才ながら、ハルの眼鏡に適うだけあって、チャバやショウから見ても一廉の人物に思えた。
「吉報をお待ちしております」
「では、これにて」
こうして、一行は旅立って行った。
去り行く背中を見送っていたハルは、ふと思い出したように、
「そうだ、確かレイが帰って来ていた筈だ。彼女にも、手伝って貰おう」
と呟き、そそくさと邸内に戻っていった。この話はこれまでとする。
さて、チャバ達は目指すヴォルケネーメン山に向けて道を急いでいた。
ヴォルケネーメン山は帝都の西方およそ二百五十里、イーストキャピタル県の最西に位置する。周囲を千丈の山々に囲まれた天険の地で、特に帝都側に聳えるウトウ、ファルケンネストの二つの山が防壁の役割を担っており、官軍の討伐隊を容易に寄せ付けなかった。
「……大凡はこんな所だ。より詳細な情報は、カディが今頃調べている筈だ」
「うむ。ところで、チャバよ」
「何だ?」
ショウはちらりと振り返って、後ろにいるシセイ達に聞こえないように声を潜めた。
「今回はどう考えても、平和的に事が進むとは思えん。ならば、あの三人はハル殿の下に留め置いた方が良かったんじゃないか?」
言うまでもなく、シセイ、タッカー、ベルノの事である。
「そいつは俺も考えなくはなかったんだが……」
珍しくチャバが言い淀んでいる。
「どうした?」
「タッカーとベルノはともかく、シセイがな」
「彼女に何か問題があるのか?」
「問題があるのはハル殿の方さ」
「? どう言う意味だ?」
不得要領な顔付きのショウに、チャバは苦笑いを浮かべながら答えた。
「実はあのお方は、女癖が悪くてな」
ハルは、“客を愛する大官人”との高名に隠れてはいたが、無類の女好きとしても一部では知られていた。その漁色家振りは枚挙に暇がなく、各県毎に囲われ人がいるとか、三桁を越える女性と関係を持ったとか、訪れた女性客を巧みに口説いて事に及ぶなど日常茶飯事、と実しやかに囁かれているのだった。尤も、ハルは金づくや力づくで女性をものにした事はなく、寧ろ彼の魅力に惹かれた女性の方から身を任せる場合が多いのだから、彼だけが非難される筋合いはないのであるが。
「ま、あれで女性に淡泊だったら、非の打ち所がなくなっちまうってもんでしょ」
横からオーガイが口を挟んだ。三人の食客の中では一番ハルとの付き合いが深いらしく、口調にも遠慮が薄い。
「聖人君子にあらず、か」
ショウは女性に対して晩生であったが、だからと言ってハルへの評価を貶めたりはしなかった。『好漢女淫に溺れず』の信念に凝り固まるほど、彼は頑迷でも狭量でもない。寧ろ、かのような君子風の人にしてそう言う面があるのかと、却って親しみを覚えたものだった。
「それにしてもチャバ、どうしてシセイは危ないが、ベルノは安全なんだ?」
「おやお前さん、ベルノが危ないと思うのか?」
「……思わん」
「そう言う事だ」
誰がどう見ても子供にしか見えないベルノでは、如何にハルでも食指が動く事はないだろう、との共通の認識に到達して、三人は三様に頷いた。
邸を発って三日目、ブラオプラウムの街で一行はカディとアルカイックに再会した。
「ユーディはどうしてる? あの三匹は?」
「ユーディは先に山に入り込んでいます」
「三匹には、周りの山を探らせてるよ」
チャバは頷き、これまでにカディが調べ上げた情報を報告させた。
ヴォルケネーメン山には、首領のヘプター=ヨーダ以下総勢八百人余りの賊が立て篭もっている。のみならず、前衛のウトウ山、ファルケンネスト山にもそれぞれ二百人弱の勢力が存在する、との事だった。ヴォルケネーメン山に通じる道は二つの山の間に細くあるのみで、ウトウ山の頭領ジョルダン、ファルケンネスト山の頭領ドゥーロンとも事実上ヨーダの傘下に入っており、三山一体の守りは非常に堅固なものであった。過去に攻め寄せた官軍は、二山の一方に攻め掛かればもう一方から側面攻撃を受け、両方に兵を割けば各個撃破され、ヴォルケネーメン山を直接衝こうとすれば三方から袋叩きにされると言う有様で、戦果を挙げるどころの騒ぎではなかった。それどころか、この地域は交通上も経済面でも要地とは言えない事から、以後討伐軍が起こされる事はなく、山賊共に好き放題を許してさえいた。県も中央政府も民衆の被害に見て見ぬ振りを決め込み、為に付近の住民は悲惨な生活を強いられているのだった。
「ひでぇ話だ」
思わず漏れたショウの呟きは、山賊と政府の双方に対する非難を含んでいた。
「ヴォルケネーメンへの道は、一本しかないのか?」
「うんにゃ、二つの山から間道が出てるよ」
カディの回答は、チャバにとって価値あるものだった。
「なら、狙うのはそこだな。二山のどちらかに入り込んで、隙を見て間道から一気に中枢を突く――」
「この人数でか!? こりゃ、刺激的な旅になりそうだぜ」
ファムがさも呆れたように言った。この男は、元僧侶にしては攻撃的な面がある。
「ホント、思いっ切り暴れられるってもんだ」
マークも相槌を打った。先程からシセイの方をちらりちらりと見ている。どうやらかなり意識しているらしい。
「待て待て。奴等全員を相手にする必要はない。取り敢えずは中に入り込む手段を考えよう。カディ、連中の戦力について、もう一度見て来てくれ」
「あいよ」
カディは一足先に三山へと走った。
一行も歩を進めて一刻ばかり、ヴォルケネーメン山から九里ほど離れたメニラブの町に着いた時の事である。
道の向こうから少女が走って来るのが見えた。
何かに追われているらしく、脇目も振らずにこちらへ向かって駆けて来る。
その背後に、数人の男達が姿を現わした。皆破落戸風で柄が悪い。恐らくは先の少女を追っているのだろう。
内の一人が矢を番えて、少女目掛けて射放った。
矢は少女の足元を掠め、均衡を崩して少女は転倒する。
その時、ショウが動いた。
俊足を飛ばし、少女を助けんと一目散に疾駆する。誰か止める間もあらばこそだった。一歩遅れて、マークも後を追う。
「ああ、行っちまった」
チャバは呆然として呟いた。あの男達は、身形からして三山いずれかの賊であろう。ここで目立っては、奴等に警戒心を与えて今後の策に支障を来さないか、と懸念したのだ。
しかし、と彼は思う。こう言う事態に、ショウが黙っている訳がないではないか。他人の窮地に際して、何物をも省みずに行動するところにこそ、ショウ=エノと言う男の真価があるのだ。
「仕様がない、俺達も加勢……」
言い掛けたチャバの口が止まった。
「……するまでもなかったか」
見れば、男達は目標をショウに切り換えて襲い掛かったが、彼の早業の前に次々と斬り伏せられ、最早残るは二人となっていた。
一人が吠える。
「貴様!! この俺をファルケンネスト山の副頭ドーゼイ様と知っての――」
言い終わるより早く、凱命がドーゼイの頭上に落ちて来た。
血風一颯、ドーゼイは真っ二つに斬り下げられた。
「知らねえな」
冷たく言い放つショウ。
最後の一人は、これは敵わじと踵を返して逃げ出した。
ショウは凱命を背に戻し、懐から手裏剣を取り出す。
振り被って狙いを定め、一呼吸置いてから投げた。
手裏剣は逃げる男の右耳を掠めた。男は悲鳴を上げ、耳を押さえて走り去った。
「おいらの獲物も残しといてくれよ」
マークが息を弾ませながらぼやく。
「わざと外したな。何でだ?」
漸く追い付いて来たオーガイが訊いた。ショウが答えるより早く、
「お前さん、なかなか大胆な事をするじゃないか」
とチャバが言う。副頭が斬られた事が耳に入れば、間違いなく頭領自ら乗り出して来るだろう。その為に敢えて一人逃がして注進させた事を、チャバは理解していた。
「地の利のある所に立て篭もられたら、ロクな事がねえからな」
わざと皮肉っぽく、ショウは言ってのけた。自身がチャバにしてやられた時の事を言っているのである。チャバはオーガイと顔を見合わせて、肩を聳やかす。
一方では、シセイが倒れた少女を助け起こしていた。
「大丈夫? しっかりして」
少女は、体は擦り傷程度だが、恐ろしい体験の直後でまだ怯えが治まらないようだった。
その顔を覗き込んで、アッと声を上げたのはアルカイックだった。
「アレーナ! ロザフ家のアレーナじゃないですか!?」
アレーナと呼ばれた少女は、アルカイックの顔をまじまじと見つめ、それが旧知の人物である事が判った途端、
「アルカイック!!」
彼の首にしがみついて、火の点いたように泣き出した。
アルカイックはどうしていいか分からず、
「ほらほら、泣き止んで……一体どうしてこんな所にいるんです? 何があったのか、教えてくれませんか?」
と優しく声を掛けてあやす。
一頻り泣いた後で、アレーナはぽつりぽつりと語り始めた。
アレーナ=ロザフはイーストキャピタルの東三百里弱、関中平野の東海岸の町デューアビタクルに住む神官家の養女である。同じ神官の家柄と言う事で、ロザフ家とダーハ家は親交があり、故にアレーナはアルカイックと顔見知りなのであった。
数日前、アレーナは親友のユリナ=プラムフォードと共に、養父の言い付けで帝都西方の街アハトプリンツに、高位の聖騎士として名高いチャール=レフィリアを訪ねて来た。しかし彼女は折悪しく不在だったため、ならばと叔父でやはり神官のホブンに会いにブラオプラウムにやって来たところ、運悪く山賊の一群と出くわした。この連中が酒宴の慰みにと女性を駆り集めていたものだから、たちまちにして二人共拉致されてしまった。アレーナは隙を見て逃げ出し、追われつつここまで来たが、ユリナはまだ捕まっていると言う。
「お願い、アルカイック! ユリナを助けて!」
真剣な瞳で訴えるアレーナ。アルカイックには無下に出来よう筈がなかった。
「チャバ、どうしたらいいでしょう?」
「え? チャバって、ダーハの小父様の……」
アレーナは目を丸くした。会った事はないが、ダーハ家に訳あって家を出た息子がいる事は聞き及んでいたらしい。
チャバはわざとその件は聞き流して、アレーナに問い掛けた。
「捕まった人間は、他にもいるのか?」
「あ、はい。あたし達の他にも、何人か……」
訊くとチャバは振り返って、
「ショウ、お前さんの読みが図に当たったようだぜ」
もし山に攻め登ったとして、人質の少女達を盾にされたら、手も足も出せなくなるところだった。
「何か策がありますか?」
「こいつは、ちょっとした賭だがな……」
こう切り出したチャバの腹案に、全員額を集めて耳を傾けた。
暫しの思案。
「……確かに賭だが、この際重要なのは時間だ。時間が掛かれば女の子達の身が危なくなる。奴等がこちらの思惑通りに動いてくれる事を信じて、勝負を掛けよう」
ショウの意見に、皆賛意を示した。
そこで、具体的な作戦が示される。
「ショウ、マーク、ファムは最前線で、敵の出足を止めてくれ。押し返さなくていい。頭領のドゥーロンが焦れて飛び出して来るまで粘るんだ。俺とオーガイが前衛を援護する」
「解った。で、敵の頭領が出て来たら?」
「俺が合図する。そうしたら雑魚には構わず、ドゥーロンを狙い討て! 頭目を倒せば手下共は降伏する筈だ」
頷く四人。
「後の者は後方に下がっていてくれ。前衛を抜けて襲って来る奴がいたら、遠慮なく打ちのめせ!」
シセイは魔法、ベルノは弓矢、タッカーも短刀が扱える。アルカイックとアレーナの治癒魔法と併せれば、幾分かの戦力にはなるだろう。
「いいか? ドゥーロンを山に帰すと後が厄介だ。何が何でも、奴だけは討ち取れ!!」
おう、と一同唱和する。
ここに、チャバ達の命運を賭けた戦いの嚆矢は放たれたのだった……。
「来たぞっ!!」
カディの報告に、座に緊張が走る。彼はファルケンネスト山に先行して偵察を行っていたが、山寨が慌しく動き始めた事から何かあると察知して、大急ぎで戻って来ていた。
街道の向こうから、一手の勢が物々しい気色で寄せて来るのが認められる。
「百人はいるな」
オーガイがざっと数えた。しかしその口調は他人事のようにのんびりしたものである。
「戦える人間が五人として、一人で二十人を相手にする計算か。こりゃ暴れ甲斐があるぞ」
舌舐りするファム。険しい眼光、青白い顔に不釣り合いに赤い口が凄味を増している。
「いや、戦力差はもう少し縮まる」
小手を翳して遠見しているチャバが、ファムの見解に修正を加えた。
「見えるか?」
「ああ」
敵勢の中に見知った顔を幾人か見受けて、ショウは点頭した。彼等――元ミナツバーラ義賊団の者達は、チャバの意を受けて入り込んでいるのだ。いざと言う時の切り札になる。
「なあに、要は敵の大将首を取ればいいのさ。シセイさん、今度こそおいらの実力を見せるからね。期待しててよ!」
ここぞとばかり、シセイに自分を売り込むマーク。シセイは一瞬対応に詰まったが、
「頑張って下さいね」
と笑顔を向けた。マークの張り切るまい事か、「やったるぜ!!」と気炎を揚げて、すっかり舞い上がっている。そんな遣り取りを横目に、チャバは微苦笑を禁じ得ない。
そこへ――。
「お前らか、おれたちファルケンネスト山賊団に逆らうバカどもってのは!」
敵の集団の中央から、騎乗の男が呼ばわった。頭領のドゥーロンであろう。
受けて立つのは、無論チャバ。
「おお、帝都の西に弱い者苛めを生業にしている鼠賊がいると聞いていたが、貴様がそうか」
「な、何だとぉっ!?」
「鼠共の縄張りにはあの山は勿体ねえ。俺達が貰い受けてやるから、痛い目見ねえ内にとっとと失せな」
この男には喧嘩を高値で売り付ける才能があるな、とショウは妙なところで感心した。
一方、「売り付けられた」ドゥーロンは当然激怒する。
「い、言わせておけば……身のほど知らずがっ!! 野郎ども、一人残らず叩っ殺せっ!!」
命令一下、山賊共は一斉に押し出して来た。
前衛の三人――ショウ、マーク、ファムは寸毫も憶する様子なく、ござんなれと待ち構える。
その時である。
「遅れてすまん、チャバ!」
背後から大音声が響いた。皆一斉に後方を顧みる。
二人の男が直走りに駆けて来る。一人は恰幅の良い体躯に狼牙棍を引っ提げ、もう一人は銀色の鎖鎧と大刀を共に煌めかせる。
「ミック! それにゼンじゃねえか!」
一同は驚き且つ喜んだ。ブランフルーヴ関で行き別れたミックとゼンに、今日この場で再会しようとは!
後に聞いた話であるが、二人はヴォルケネーメン山に向かう前に、故郷に帰って身辺の整理を付けて来たのであった。出奔の事情が事情なだけに、なるべく人目に付かぬように取り運んで、結果思わぬ時間を食ってしまい、急ぎに急いで長駆走破して来たのである。
「しかし、これは遅れて好都合だったみたいだな」
「ああ、せっかく間に合ったんだ。思いっきり暴れてやるぜ!」
「全くだ。美味しい奴等め!」
遠回しに足労を労い、チャバは二人に手早く段取りを説明する。二人は快諾して、前衛に加わった。
まず先陣を切った賊は十数人。先頭の男が朴刀を振り翳してショウに襲い掛かる。
迎え撃つショウの手が、背に負う凱命の柄に掛かる。
一閃。
ショウは斬撃を躱し、男を抜き打ちに斬り捨てた。
返す刀を横に払う。
直後のもう一人が、続いて斬り倒される。
「てぇーいっ!!」
こちらではマークが渾鉄の棒を水車の如く振り回し、賊共を次々と薙ぎ払う。
一方ではファムが連鎖球棍を振るい、当たるを幸いとばかりに敵を打ち倒す。
他方ではミックの狼牙棍が縦横無尽に暴れ回り、前に立つ者全てを打ち砕く。
またゼンの大劈風刀が風を呼び唸りを上げて、これに向かう者敢えて無しと言う有様。
かくして、山賊共の先陣はあっさり蹴散らされた。
「て、手強いのは前にいる連中だけだ! 後ろの女子供を先に捕まえろ!!」
次の集団は、一手の勢でショウ達を囲み、その間に数人が後衛のシセイ達を襲い捕らえると言う戦法を取った。
これが功を奏するかに思えたその時。
「甘いぜ!」
立ちはだかったのはチャバとオーガイ。
たちまちにして賊共はチャバの革鞭に吹っ飛ばされ、またオーガイに撲り倒され蹴転がされる。
辛うじて二人の防壁を突破し得た者も幾人かいたが、ベルノの弓矢に射られ、カディとタッカーの短刀を喰らい、遂に目的を果たせなかった。
ここに来て、とうとうドゥーロンが痺れを切らした。
「えぇい、こうなればワシ自ら相手してやろう! どいつもこいつも、この刀の錆にしてくれるわ!!」
騎兵刀を手に、馬を走らせて来る。その姿を認めて、チャバの合図が飛ぶ。
「よし、行け――っ!!」
「おぉっ!!」
前衛の五人が一気に攻勢に転じた――。
こうして、チャバ達と山賊団との激闘は終わるところを知らず、やがて暗闇に地獄の使者が跳梁し、三山ことごとく英傑の掌中へ、と相成るのであるが、果たしてこの戦いの結末や如何に? それは次回で。




