疑念と救世主
【王国暦122年10月25日】
【帝国暦319年10月25日】
ポートマット騎士団駐屯地の朝は早い。
夜通しで町中を警らしている騎士団員や、門番の交代が、朝の早い時間に行われるからだ。
この二日間、謎の怪人『ザ・リバース』の暗躍により、エルマ・メンデスはあまり睡眠を取れていない。今朝も、朝一番に、騎士団長である、アーロン・ダグラスに団長室へと呼び出され、またもや仮眠を取るタイミングを逸した。
アーロンは大柄な男だが神経が細やかで、部下思いの領民思い、清廉な言動がウリだ。
そんな彼には強烈な反面教師が存在した。それは彼を疎んじていた父親である。その父親は王宮の元宰相でもあった。宰相は、先のプロセア軍侵攻に合わせて、王都騎士団の一部を扇動、息子が騎士団長をしているポートマットを攻めようとした――――と言われている。真相そのものは闇の中ながら、父親は死刑になったともっぱらの噂だ。ダグラス家中で勘当されていた息子だけが生き残ったのは皮肉ではあるが、これにもまた、『魔女』が深く関わっているらしい…………。
この話の殆どは真実で、アーロンとしては、彼の立場を救うことになった『魔女』には頭が上がらない。騎士団の運営や発展にも寄与している『魔女』には、今では崇拝に近い感情さえ持っている。
そんな事情があって、アーロンは堅実に騎士団を運営することに注力せざるを得ないのだが、本人としては別にやらされてやっているわけではなく、ポートマットを守りたいから守っているに過ぎない。
あまり知られていない事だが、ポートマットには裏議会とも呼べる数人の集まりがあり、重要な政策のいくつかは独善的にそこで決められている。アーロンもそのメンバーで、昨日も呼び出されて半日の間、領主の館に詰めていた。
今、エルマが呼び出されているように、昨日はアーロンも呼び出されていたのだ。
「報告書は読んだ。メンデス卿、卿の意見を聞きたい」
渋面ではあるが朝一番から精力漲るアーロンに比べて、睡眠不足が顕著なエルマは、眠気と戦いながら、必死に脳を働かせた。
「はい、パンツを被った怪人は、一昨日の晩に二名を襲い、うち一名は下半身を露出され、パンツを強奪され、遺留品である代用のパンツを履かされています。昨晩も二名が被害に遭いました。こちらは二名とも、パンツを譲渡するように強要され、代用品を渡され、履かされました」
「ふむ」
その辺りは報告書に書いてあるので、アーロンも内容は把握している。エルマが既知のことを繰り返したのは、あまり頭が回っていないため、個人的な所見を述べるにしても、少し考える余裕が欲しかったからだ。
「この三件に共通する遺留品ですが、細部は違えども、同一の製品と言えそうです」
「同一の製品?」
アーロンが、その点を補足せよ、と目で訴える。
「はい。専門家によれば、布地は王都産の絹、制作者は左利き、腕前はかなり良い職人、とのことです」
エルマは、アーロンが訊く前に、遺留品の製作者が左利きである理由を話した。
「なるほどな。その専門家というのは?」
「トーマス商店のレックスです」
「なるほど……」
アーロンは口元に手を添えた。
「はい。……あの……。実は、あの少年を、容疑者の一人だと考えていたのです」
「ほう?」
続けたまえ、とアーロンが目で促す。
「ところが、レックスが犯人ではないことを示す証拠ばかり挙がってきて……。挙げ句、昨晩は別人だと確定してしまいました」
「ふむ……」
アーロンが唸る。
「犯人捜査はイチからやり直しです……」
肩を落とすポーズをするエルマに、アーロンは諭すように言った。
「うむ、しかし、『ザ・リバース』とやらか。現行犯逮捕以外は法的に効力を持たないぞ? たとえ目の前に犯人がいて、証拠を突きつけたとしても、本人が否認すれば証拠は意味を成さない」
「承知しています。証明ができないから、ですが?」
「その通りだ。距離的、時間的に不可能であるならその限りではないが、一つの都市の中で、それを証明するのは無理がある」
「それも承知しています。私は―――犯人の目星をつけることで、出現予測ができないか、と思っての証拠集めを行ったのです」
「ふむ――――。で、それは役に立ったのかな?」
アーロンの指摘に、エルマは言葉を詰まらせた。役には立っておらず、時間と体力と気力を消耗しただけではないのか、という揶揄に対して、一言の反論もできずにいた。
「今のところ夕刻、ギンザ通りか北西広場付近に出現、か。とりあえずメンデス卿、卿は睡眠を取りたまえ。そして、夜に動けるようにしたまえ。夕刻に人員が厚くなるように配置計画を立てる。その上で『通信端末』により効率的な包囲網を形成する。いいな?」
「はい…………」
現状の捜査活動は無意味だ、と一蹴された。エルマは疲労が倍になったような錯覚を覚えた。
* * *
自分までグダグダと部屋の中で過ごしてしまったら、隣にいる姫様もグダグダとベッドの上で過ごしてしまう。
そう考えたララは、強引にリーゼロッテを誘って、調査という名のポートマット観光へと繰り出すことにした。
結局のところ、この二日間、港と『シモダ屋』、トーマス商店、騎士団駐屯地とカボチャプディング巡りにしか行っていない。これらはそれでもポートマットの中心的ランドマークではあるのだが、もう少し異国の町をちゃんと肌で感じるべきだと思ったのだ。
「私は動きたくないわ……」
「いいえ、姫様、その美しくなった目立つ乳房で、男共を悩殺しに行きましょう」
ララが突飛な事を言ったので、リーゼロッテはジト目を向けた。
「私、娼婦じゃなくってよ?」
娼婦にだって、そんな胸を持つ人はいない、と言いたかったが、ララはいつものように我慢をして、ストレスを飲み込んだ。
「それは娼婦の皆さんに失礼です。せっかくレックスの手で魅力的になったのですから、周囲に見せびらかしてもいいのでは、と思ったのですよ」
「意味のある行動とは思えないけど……。適度な運動はレックスの言った通り、確かに美を保つには必要なことかもしれないわ」
昨日、レックスは綺麗だ綺麗だ、と褒めつつも、運動しないでこれだけ綺麗なんですから、運動したらもっともっと綺麗になりますよ、と囁いたのだ。どうして運動嫌いなのがわかったのか、と不気味にも思えたリーゼロッテだったが、それもレックスはちゃんと解説してくれた。
「ふくらはぎが発達していない、でしたっけ。一々、解説が斜め上ですね」
ララは苦笑した。一方でレックスはララの肉体については何も言及しなかった。レックスには自分の職業が何か、ということはもちろん伝えていないのだが、あの観察眼であればお見通しではないか。そういえば筋肉が云々言っていたような気がするし……。
そうだ、リーゼロッテが、ああも容易くパンツ男に脱がされてしまったのは、運動能力が低いせいもあるのではないか。
脱がされると言えばレックスに脱がされた時も――――。
「あれっ?」
「なに?」
「いえ」
何だろうか、小さなしこりのような疑念が――――。
「あっ?」
「だからなによ?」
「いえ……」
下着を畳んだ。紅茶を几帳面に淹れた。
昨晩に見た通り、『ザ・リバース』とレックスは紛れもなく別人だ。そしてレックスは右利きだ。なのにどうして、疑念が拭えないのだろう? モヤモヤとした形の不定形なパズルのピース。それらは、合わさっても、やはりモヤモヤした形だった。しかし、それは確かにある方向性を示していた。
「姫様。怒らないで下さい。その、トーマス商店の下着専門店……準備中の……で、レックスに脱がされた時、どうでしたか? 丁寧でしたよね?」
「なっ! そっ、そうね。脱がした服も下着も丁寧に畳んでいたわ。体に触るときも丁寧だったわね」
一瞬怒りそうになったリーゼロッテだが、踏みとどまって冷静に答えた。
「怒らないで下さい。『ザ・リバース』に脱がされた時はどうでしたか?」
「えっ? なっ? 怒るわよ?」
「いえ、大事なことなんです。お願いします」
真剣な顔のララに、リーゼロッテは怒気を抜いた。
「丁寧……だったわ。なに、貴女、レックスが『ザ・リバース』だっていうの? 別人に決まってるじゃない!」
言いながら、再び怒気が含まれる。
「そう、そうなんです。別人なんですよ」
「ララ、貴女が何を言いたいのかわからないわ」
「いえ、だから、『ザ・リバース』は二人いるんですよ」
「はぁ?」
ララの言った言葉をリーゼロッテは反芻する。
「最初の『ザ・リバース』がレックスだとすれば、もう一人は……?」
「わかりません。でも、こんなことでレックスを疑いたくない……」
そんな不実なことを考えてしまう自分が許せない。ララは苦虫を噛み潰したような顔になる。
「なら、会いに行ってみましょう。本人に直接訊いてみるのよ」
「姫様……」
肝心なところで勇気を与えてくれるのは、さすが皇族といったところか。変な感心をしながら、ララは大きく頷いた。
「行くわよ、トーマス商店へ!」
「はい、姫様!」
妙に盛り上がった二人は、結局、観光など頭から消えていた。
* * *
トーマス商店の店内に入ると、白い内壁のせいか、外よりも明るく感じた。それに、砂糖が焦げたような、甘い香りが漂っている。
「いらっしゃいませ!」
「いらっしゃいませ! そちらの方からお並び下さいませ」
リーゼロッテとララは、目が点になるほどの美少女店員ににこやかに言われて、ロープで仕切られた順路に入り、数人の客の後ろに並んだ。
「何、あの店員、どういうこと? 何であんな綺麗な子が店員なの?」
「わかりません、謎としか……」
リーゼロッテがやっかみに満ちた小声でララに話し掛ける。確かに、あの美少女店員はおかしいほど美形だ。理知的な目鼻と唇、抜けるような色白、ふわふわの金髪は後ろで束ねている。店員はもう一人いて、その娘は背が高く、切れ長の目が格好良い。二人とも揃いの服を着ていて、白と空色の縞模様のエプロンドレスが実に可憐だ。背の高い娘の方は可憐というより、それでも格好良い感じだったが。
リーゼロッテもララも、並ぶ、という行為に慣れていない。順路には入っていたものの、前に進んでいなかったので、二人の後ろに、後から来た客が滞留してしまう。
「ちゃんと並べ!」
「前に進んでくれよ!」
「ちっ、素人がっ!」
などなど、後ろから非難の声が聞こえてくる。産まれてこの方、並ぶなんてしたこともないリーゼロッテとララは、加えて苛々をぶつけられるのも初めての経験で、大いに狼狽えてしまう。
「まあまあお客様。かのご婦人たちは当店に不慣れな様子です。優しく教えて差し上げるのも男子の嗜みというものでは?」
そこに後ろから現れたのはレックスだった。
「む…………小型店長か」
「はい、いらっしゃいませ。いつもご贔屓にありがとうございます」
「ああ……悪かったな、姉ちゃん。ほれ! ここに並ぶと良いぞ!」
筋肉隆々の冒険者らしき大男たちが、吠えるように順路を指す。そこには男の道が出来ていた。
「えっ、あっ、ええ?」
「さあ、順路に従ってお進み下さい。カウンターに着いたら、品物をご注文下さい。お値段はあちらに書いてございます。それ以外のご用命は従業員にお知らせ下さい」
丁寧な物腰のレックスは、子供が子供の声で喋っているということを除けば実に大人びていて、老練な商人のそれにも聞こえる。
昨日のドロシーもそうだったが、今のレックスから放たれている――――オーラ? 気? は、有無を言わせぬ力を帯びている。レックス自身が歴戦の商人なはずがないので、それは経験に裏打ちされたものではない筈だが、現実に発散されている空気は、まるで老練な商人のそれだ。今、この場所に『魔女』がいたのならば、それは魔力が乗せられているものだ、と看破したかもしれない。それでも、いわゆる魔法やスキルの存在だけで、この現象を説明できるものではない。
「うん、ありがとう、レックス……」
何かに気圧されるように、レックスに謝意を述べながら、リーゼロッテとララは素直に順路に入り、接客待ちの列に並んだ。
元々、二人が、トーマス商店に来た理由があったはずなのだが、何度もレックスに救われている……ことから、もはやレックスが自分たちの救世主にしか見えなくなっていた。
そんな『正義のレックス』が、不誠実な行いをするはずがない――――という思考に切り替わりつつある。
「いいえ、不慣れなのですから仕方がありませんよ」
ニコニコと笑顔を向けるレックスに、リーゼロッテもララも、誰が『ザ・リバース』なのかなんて、どうでもいいような気分になった。
レックスは混雑し始めた店内の状況を鑑みて、カウンターの中に入り、接客を始めた。
美少女と細身少女に比べても流麗な接客を見て、リーゼロッテとララは、熱っぽい視線と吐息をレックスに向けた。