夕食と再びのパンツ男
夕方近くになって、地に足が着かない様子のリーゼロッテとララは、レックスに連れられて『シモダ屋』に戻った。
対応したカーラに何かを言われるか、と身構えたララだったが、予想に反してカーラは何も言わず、お二階へどうぞ、と身振りで示しただけだった。
「お二人の滞在期限は今日までですよね? 入国管理所に書類を提出しなければなりませんけど、どうしますか? 良ければ代行しますけど?」
レックスの指摘と提案に、宿のベッドに座ったまま、動きたくないララは、一も二もなくお願いすることにした。リーゼロッテの方はベッドにだらしなく身を投げ出して天井を見て唸っている。
書類を預け、レックスが部屋から出ていくと、
「はう………」
と、ララは熱っぽい息を吐いた。
ところで、帝国で女騎士という職業に就くには、大まかに二つのパターンがある。
① 当主になってしまった場合
② 当主が他にいて、身を立てる手段が必要になった場合
家中に男子がいない場合は①のパターン、当主が他にいて世継ぎの目処がついて、半ば追い出されるのが②のパターンだ。
両者に共通するのは、女性の身でありながら、女を武器にできず、武によって家を維持しなければならないということ。
ララの場合は①で、下に弟(長男)が産まれたものの、流行病で死に目にもあえなかった。そのまま両親は子供に恵まれず、長女のララが家を引き継いだ。必死に努力をして騎士団に入り、真面目を絵に描いたような訓練に明け暮れる生活を送ってきた。
半端な家格のせいもあって良縁には恵まれず、文字通りの独身貴族になり、女であることも忘れかけていた今日この頃だ。男に触れられるなぞ、もしかしたら初めてのことではないだろうか。それがたとえ、年端もいかぬ少年であったとしても、だ。
レックスは二言目には綺麗だ、美しい、完璧です、と囁いてくれた。自分でも本心では器量は悪くないんじゃないか……と密かに思っていたララではあったが、今日まで忘れかけていた、自分の中の女を自覚せざるを得なかった。
そして、触れるか触れないか…………という絶妙なタッチで、レックスはララに触れた。
優しいけれど、もどかしい。ララの気持ちが破裂しないように気遣われながら……溢れる愛情が伝わって来て、耐えきれずに何度か抱きしめてしまった。
レックスはあんなに小さい少年だというのに!
精神的にも、肉体的にも、間違いなく、自分はレックスに恋をしている。認めなければならなかった。
天井の木目をなぞっていたリーゼロッテは、視線を自分の下腹部に向ける。
そこに、いつもとは違う光景が目に入った。自らの乳房である。普段なら、だらしなく横に広がった自分の乳房を気にすることもなかった。ところが、ブラジャーなる下着を着せられて、上半身に付いた肉という肉を集められて、比喩ではなく二倍以上の体積となって胸で自己主張をしている。
この旅をするようになって、ララには、そんなだらしない格好は―――などと言われても、意に介することはなかった。だが、今、このブラジャーを取り外してしまったら、元のだらしない体に戻ってしまいそうで、それが美しくないと理解してしまったので――――外すのが怖い。
レックス少年は、リーゼロッテのだらしない体を見ても、美しい、素晴らしい、女らしい……などと褒めちぎった。無論、社交辞令としての褒め言葉など何度も受け取ってはいるが、裸を見て同じことを言った人間は誰もいない。レックスが、裸のリーゼロッテを褒めてくれた、初めての男だったのだ。
皇族の女子として、いずれ国内外の有力貴族のどこかに嫁がされるのだろう。それは既定路線で、リーゼロッテの意志では覆しようもないし、覆そうとも思えない。
だが、レックスが自分の肉を、まるで粘土に筋をつけるかのように指先で強くなぞり、ブラジャーに上半身の肉を、パンツに太ももから下半身の肉を、集めてしまい込んだ時…………。
これまでとは違う笑みをレックスが見せたのだ。それは芸術家が会心の作品を作り上げた時に見せる笑みなのだが、男性経験に乏しいリーゼロッテにしてみれば、少年が感じるエクスタシーは、自分が作りだしたもの以外の、何ものでもなかった。
つまり、女として求められた、と感じたのだ。何かしらの政治の道具ではなく、ただの女として。
リーゼロッテの中に眠る本能が、あの少年を手放してはいけない、と囁き出す。その本能、囁きこそが恋なのだが、リーゼロッテには、悲しいかな、それに名前を付けることは出来ずにいた。
* * *
薄暗くなった頃、レックスが滞在許可証を手に、二人の元に戻ってきた。
「ちょっと野暮用も一緒に済ませてきました。遅れてすみません」
申し訳なさそうな顔をするレックスに、リーゼロッテもララも、胸がきゅんきゅん痛んだ。
「いいのよ、レックス。ありがとう」
「うん、そうだ、レックス、気に病むことはない」
二人とも最大限の擁護をして、お礼などと言い訳を作り、強引に夕食に誘う。
レックスがトーマスから貰っている給料や、一品物の製作で得た対価を考えると、実は二人の想像を遙かに超えた金持ちでもあるレックスだが、気持ちに応えようと、夕食をご馳走になることにしたようだった。
「そういえば、あの店長さん……ドロシーさん? は、レックスのお姉さんなの?」
『シモダ屋』一階のレストランで貝のシチューを啜りながら、リーゼロッテが訊いた。同じ『テルミー』姓だったからだ。
「戸籍上はそうなります。うーん、でも、施設にいたときからお姉さんだったから……」
「施設?」
思わずララは訊いてしまう。
「はい。ボクも、ドロシー姉さんも、教会の孤児院出身なんです。トーマス商店に奉公に出て、お世話になって、そのまま養子扱いなんです」
「あ……。ごめんなさい」
「すまない、レックス」
レックスは、何故謝られたのか、すぐには気付かなかったが、それが自分の過去を無神経にほじくり返したのではないか、と謝意を示しているのだと気付くと、大袈裟に手を振った。
「いえいえ、とんでもないです。今、すごく充実していますし、毎日が楽しいです。運命みたいなのは信じない性質ですけど、トーマス商店で働くために孤児になったんだ、と思えば、言い方は悪いですけど感謝したくなります」
「そうなの?」
「はい。もう一人の姉さん…………『魔女』の姉さんですね。は、ボクにいつも課題をくれるんです。その課題が、いつもボクに道を示してくれて……。だから、ボクは周囲の人に恵まれていると思うんです」
なんと気持ちの大きな少年だろうか。孤児から這い上がる境遇をありがたい、と言い切ったのだ。
リーゼロッテもララも、益々レックス少年が好きになった。このままグリテンから攫ってしまいたい、と危険な思考に陥りつつある程に。
馬鹿な提案だと自覚はしているが、リーゼロッテは思い切って、レックスを誘ってみよう、と決意した。
「ねえ、レックス」
「はい?」
「もし、貴方さえよければ―――――」
リーゼロッテの心臓が高鳴る。ララは、その言葉の続きが勧誘だとわかっていた。皇女であることを、姫であることをバラすつもりだと。この、グリテンに来た目的を考えれば止めるべきだ。しかし、レックスと一緒にいられるなら、別にリーゼロッテの立場がどうなろうと、いいじゃないか、と、従者にあるまじき思考に囚われた。
しかし、二人の僅かな沈黙と逡巡は、闇夜から聞こえてくる悲鳴によって破られた。
「きゃあああああああああ」
「!?」
「なんだ?」
『シモダ屋』で食事をしていた冒険者風の男たちが立ち上がり、様子を見ようと店の外に出ていく。
リーゼロッテとララは顔を見合わせた。まさか、あのパンツ男が現れたのではなかろうか。
「お嬢様」
「ええ。行ってみましょう」
「え、危ないですよ!」
レックスが心配して二人を止めようとする。
「いや、大丈夫だよ。もし、あれがパンツ仮面だったら、お嬢様の敵を取らないといけない」
「取り返さないといけないの」
決意は固いようだ、と諦め顔のレックスは、
「わかりました。ボクもついていきます。これでも初級冒険者なんですよ!」
ものすごい魔力量を持っていて初級? と不思議に思ったが、ララは素直にレックスの申し出を心強く思った。
* * *
店の外に出ると、リーゼロッテが襲われた路地―――の方向から、何人かの人がこちらの方へやってきた。逆に、路地の方へ向かう人もいる。
「パンツ仮面が出たってよ!」
「なんだいそりゃ?」
野次馬の発言が聞こえてくる。
「やはり……」
ララには、別にポートマットの治安維持に協力しよう、という気はない。主が辱めを受け、また自分も無様な体を晒した。意趣返しをしたいと思うのは、武人の本能というものだ。
現場に向かう人の中には、エルマの姿もあった。
「!? レックス……くん」
「こんにちは、エルマさん」
割と緊急事態の局面でもあるのに、レックスの挨拶は気の抜けた、明るい挨拶だった。
「あっ、ああ。ここは危ないから下がっていてくれ」
エルマはレックスだけではなく、ララとリーゼロッテにも視線を向けた。
「例の……パンツ男ですか?」
「ああ。『ザ・リバース』だ」
「リバース……?」
ああ、逆さまにパンツを被っているからか――――と納得はしたものの、酷いネーミングだ、とララは顔を顰めた。
「私のパンツを――――」
「今持っているとは限らない。諦めてくれ。ここから先は騎士団に任せてくれ」
「くっ………」
エルマはもう一度レックスの方を見た。
「?」
レックスの方は首を傾げてエルマを見上げる。
「いや、何でもない」
エルマが視線を前に戻した時だった。
風のように、パンツを被った男(多分男だ)が、エルマたちの前を横切った。
「ちっ! 追うぞ!」
「はい!」
騎士団の面々は、エルマの掛け声と共に、パンツ男の後を追っていった。
「『ザ・リバース』………」
リーゼロッテとララの母国語だろう。奥歯に物が挟まったかのような発音だった。
「リーゼさん、ララさん、下がりましょう。騎士団が下がれと言っているのなら、ここは危険です」
成敗してくれる! などと勢いで飛び出してきたものの、騎士団が集まってきている現状では邪魔になるだけだ。
「わかった。お嬢様、宿に戻りましょう」
「パンツを取り戻したかったけれど……無理そうね」
そういうリーゼロッテは、あまり残念そうではなかった。
二人の後ろについて『シモダ屋』に歩き出すレックスは、パンツ男こと『ザ・リバース』が消えた方向を、ちらり、と見た。
「レックス、危ないぞ。もっとこっちへ」
「あ、ああ、はい」
レックスは、リーゼロッテとララに両側から抱かれるような形でガッチリ捕獲されて、両側にいる二人を交互に見上げると、ニッコリ笑うだけだった。