試着室とセールスマン
トーマス商店の建物の西隣も、看板が出ていないだけで、実はトーマス商店所有の建物だ。
「こっちは今、開店準備中なんです」
下着だけを買い求める客が増えており、店を分けた方が売り上げ向上が見込めるから、というレックスの説明に、リーゼロッテとララは深く頷いた。
「レックスは自分でも下着を作るのね?」
「はい、指がこんなになっちゃいましたけど」
そう言って、両手を開いて見せる。子供にしては掌が大きい。右手中指の第二関節辺りがポッコリと大きくなっていて目立つ。
「硬くなってる……」
ごく自然にララはレックスの指に触れた。
「あっ」
恥ずかしそうに手を引っ込めるレックスに、ララは首を捻りつつも謝罪した。
「ああ、すまない……」
「職人の手をしているのね……」
「細かい作業は好きなんです。ちょっとずつ、形が出来ていくのは楽しいです」
顔を赤らめたレックスが、照れ隠しをするように早口で言った。
何かが出来上がると楽しい、という感覚については、贅沢に囲まれて暮らしてきたリーゼロッテにも、切り伏せることを生業としているララにも未知のものだった。
「さ、えーと、これとこれかな……これなんかどうですか?」
レックスが数秒で選んだ下着は、飾り気のない綿製品だった。
「ずいぶん……小さいのね」
ズロースに比べると、使用している布が少ない。こんなもので尻を覆えるのか、リーゼロッテは疑問を口にする。
「お尻全体と足を包むものもありますよ。ですけど、お尻の形を整えるだけなら、このくらいで十分なんです」
お尻、と平然と口にするレックスは、指に触れられただけで初々しい反応を見せた少年と同一人物には思えない。得意分野については饒舌でも、不意を突かれると弱い………。ララはそんな感想を持った。ついでに言えば、その弱い部分をもう少し突いて、もっと反応を見たい。できれば、もう少しレックスに触っていたい。さらに言えば、抱きしめたらどんな反応を示すのか試してみたい…………。
「ララさん? これ、気に入りませんか?」
「えっ、ああ、そうだな」
「え、気に入りませんか?」
「いやっ、大丈夫だ、それで!」
不意を突かれたのは自分の方じゃないか、とララが赤面するのを見ていたリーゼロッテは、ニヤニヤと笑っていた。
「ふふん、ララの慌てる顔は見ていて楽しいわ」
「……人が悪すぎます、お嬢様」
「それにしてもレックス、綿製品以外の……絹製品はないの?」
「ありますよ。……お高いですよ?」
リーゼロッテは一瞬、馬鹿にされたような気になったものの、実際の値段を聞いてみると――――。
「買えなくはないわ。でも、五枚も買ったら………」
別に五枚を買う必要はない。だが、換えを考えるとそのくらいはあった方がいい。それなのに、五日分、などととても言える値段ではなかった。
「はい、木綿で数を揃えた方がいいと思いますよ。ウチの絹製品は、これでもお安い方だと思います。聞いた話ですけど、王都辺りでは、もっとお高いものが普通らしいですし」
実際のお値段については、レックスは王宮からの注文で知っていた。それと比較すれば半値近い。現在の値付けについてはトーマスの方から、新参者だから安く設定しろ、という指示を受けていたからでもある。果たしてそれは正解で、こうして下着専門店の設立に動くことになった。
一連の流れを見ていたレックスは、トーマスの手腕に感心し、日々の店長代行業務をこなしつつ、下着専門店の立ち上げにも参加している。物凄く多忙なはずなのに、単なる旅人であるはずのリーゼロッテとララの応対には時間を割いている。
見る物全てが珍しいリーゼロッテとララには、レックスのやっていることの違和感を、今度こそ感じなければいけなかった。だが、昨日ポートマットに初めて上陸した姫様と、その従者に、それを見通せというのは無理が過ぎるというものだ。
「わかったわ、言うとおりにするわ。試着は――――」
一通り、自分で着られるように訓練はしたものの、元々自分で服を着ることなどしてこなかったリーゼロッテは逡巡した。ララだって自分の試着があるだろうし、レックスに頼むのも…………。
「自分でやるわ」
リーゼロッテが一つ大人の階段を昇った。ララはそう感じて大きく頷いた。
「はい……女性従業員の雇用がまだでして……すみません」
オーダーメイドに近い注文も受け付けているので、実質の専任がレックスしかいない現状では、当然ながら採寸もレックスがやっている。この年齢にして、妙齢の女性をタッチしまくっているのだ。
基本は既製の下着で、その着用感を確認してもらうだけ、ということが多いのだが、細部の調整などをレックスが行うこともあり、試着の必要性は高い。
狭い個室に入れられてカーテンを閉めると、ララは渡されたパンツを手に嘆息した。どうして自分までこんなことをしているのだろうか、と。
「大丈夫ですかー?」
レックスが声を掛けてくる。大丈夫も何も、こんな小さな布地だけで下半身を覆えるわけがない。不安と不信が、手の中にある小さなパンツに象徴されているようだった。
隣の個室からは衣擦れの音が聞こえてくる。一人で着替えなど、未だに不器用なリーゼロッテのことを心配した。やはり自分が手伝うべきだったか、と。
かくなる上は、さっさと着替えてしまい、手伝いに行こう。そう決めたララは、ズボンを脱いで、自身のズロースを乱暴に脱いだ。
「…………」
フケツナパンツヲユルサナイ。
不潔なものか。反発する心が、よせばいいのに、脱いだパンツを嗅がせてしまう。
「…………!」
くさっ。
汗が籠もった臭い。微かな排泄物の臭い。少なくとも、清潔とは遠い。このまま、この新品のパンツを履いたら汚してしまうのではないか。何だ、不潔なのはパンツじゃなくて、自分自身じゃないのか。
ふざけるな、たかがパンツを脱いで、履くだけなのに、何故自分はこんなにも色んな事を考えてしまうのだ。一体、何故――――。
「レックス」
隣の個室から、リーゼロッテがレックスを呼ぶ声がした。
「はい、何でしょう?」
「このまま履いたら………パンツを汚してしまうわ」
「『洗浄』しますから。大丈夫ですよ」
「…………。なら、私にもして下さる?」
姫様は一体、何を言っているのだ、とララは個室から飛び出しそうになった。
「はい、わかりました」
レックス! 何を言っているのか!
ララは今度こそ個室を出ようとしたが、脱ぎかけのズボンが足かせになって上手く足が動かせなかった。
シャッ。
隣の個室のカーテンが開かれる。
「いきますよ。――――『洗浄』」
軽く魔力の高まりが感じられて、淡い魔力の塊が隣にいるリーゼロッテに当てられた。
「あッ――――」
姫が洗われている! 何て悩ましい声を! 何て破廉恥な! ちょっと羨ましい!
「うーん、もう一回いきます。――――『洗浄』」
「ああッ、洗って頂戴ッ。レックスッ、貴方の魔力でッ!」
「ひっ、お嬢様!」
たまらずに個室を飛び出したララだが、下半身は何も履いていない。
「あ」
「あら」
「あぅ」
少年と、下半身裸の女二人は、お互いを凝視し合った。
* * *
結局、ララも思いっきり下半身を洗われた。
しかも、
「動きやすくなる魔法の下着があります」
などと言われ、
「胸の形が綺麗になります」
と言葉巧みに脱がされて、
「美しい筋肉ですね。―――『洗浄』」
と、上半身も洗われた。
上半身には『ブラジャー』なる乳帯を宛がわれ、絶妙な加減でレックスに触られた。
恥ずかしいのを通り越して、ララはなすがままになり、上下の下着を履いたまま、床にへたり込んだ。
横目で見ると、リーゼロッテも同じようにへたり込んでおり、泳いだ視線がわずかにレックスを追尾しているようだった。
「お二人とも、とても美しいです。どうぞ鏡で確認してみて下さい」
ニコニコと笑うレックスの言葉に我に返ると、言われた通りに鏡を見る。こんな大きな鏡は帝国にもない――――。
「え?」
ララは、自分の姿を見て、一瞬誰なのか、と目を疑った。それほどまじまじと自分の体を見たことがあるわけではない。鏡なんてあまり見たことがないから。だが、その鏡に映る姿は、細身ながら鍛えられた筋肉の流れが美しく、それほど立派だとは言えなかった乳房は、男を誘うようにツン、と上を向いて、対して腰がキュッと締まり、お尻は上を向いて、太ももへの流れが実に美しい。見慣れた自分の顔がなければ、それが自分だとは信じられなかった。
慌ててリーゼロッテを見ると、
「! ひっ、おじょ、お嬢様!」
「なに? あら、ララ、貴女、とても綺麗ね……」
と、上気した顔と掠れた声で言われる。
ララが驚いたのは、その体の線の変わりようだ。
「これは………」
ぽっちゃりだっただらしない体型は見る影もなく、大いに存在を主張する乳房、コルセットなど使っていないのにくびれた腰、安産型を示す尻………。心なしか全体としてほっそりしても見える。
「きつくはないですよね? いやあ、素材が良いと、こうも美しくなる。素晴らしいです、リーゼさん、ララさん。いやあ、お二人とも、本当に美しいです」
恍惚の表情を浮かべる少年。
その熱は、リーゼロッテとララにも伝播した。お腹の奥が熱くなり、思わずララは自分の手を、お腹に当てる。リーゼロッテも、同じようにお腹に手を当てている。
「もう、不潔なんかじゃありません。お二人は清潔な淑女です」
その言葉は、まるで魔法のように、リーゼロッテとララに染み込んだ。
なんだ、魔術師じゃないなんて言ってたけど、やっぱり謙遜が過ぎるじゃないか。
なんだ、嘘をついてないなんて言ってたけど、やっぱり嘘吐きじゃないか。
ニコニコと笑うレックスを見上げて、リーゼロッテとララは、主従共に同じ感想を持った。
「もっと……清潔にしてほしいわ」
「私も……もっと清潔にしてほしい」
二人が懇願すると、レックスは一際ニッコリを強めた。
「わかりました」
そして、小さな声で呟いた。
お買い上げ、ありがとうございます、と。