紅茶とお茶請け
トーマス商店は南北通りと東西通りが交差するロータリーの北西側にある。斜向かいには冒険者ギルド支部の建物があり、ギンザ通りも近い。交通の便と立地から考えると、ポートマットの中でも一等地中の一等地と言えた。
リーゼロッテとララは、トーマス商店の裏口から入り、二階に上がると、応接室らしき部屋に案内された。
高級そうではあるものの簡素なソファが一組と、小さなテーブルが一つあるだけで、部屋の大部分はパーテーションで仕切られており、奥が事務所のようになっていた。大商会ならば、大袈裟なくらい華美な応接室があるもの――――という既成概念を持っていたリーゼロッテからすれば、これは意外だった。実際、ポーザー商会には王城には及ばないものの、客を威圧するような応接室がある。
「あら、レックス、お客様?」
パーテーションの奥から、凛とした声が響いた。
「はい、店長。こちらは帝国のポーザー商会のご息女でいらっしゃる、リーゼ・ポーザーさんと、ララ・アイグナーさんです」
現れた店長は赤毛の女性で――――しかも物凄く若い。リーゼロッテより遙かに年下ではないか?
中肉中背、乳房の発育は年齢相応ながら、纏っている雰囲気が常人ではなかった。意志の強そうな目、自信に溢れた佇まい。一言返したら三言返ってくるタイプに違いない。リーゼロッテは、自分の教育係だった、ローゼンマイア夫人を思い出した。ララも同じ人物を思い出していた。だから二人は思わず顔を見合わせた。
「ああ――――。ドロシー・テルミーと言います。当店の店長をしております」
ドロシー、と名乗った少女――――店長は、合掌をしてお辞儀をした。
「あっ、はい、リーゼ、リーゼ・ポーザーです」
「従者のララ・アイグナーです」
つられて、リーゼロッテとララもぎこちなく合掌してお辞儀をする。まだ、グリテン式の挨拶には慣れていないのが見て取れた。
「そうですか、遠路はるばる、ようこそいらっしゃいました。今、お茶を淹れますので、どうぞお掛け下さい」
こんなに気力に溢れた美少女店長が手ずからお茶を? リーゼロッテとララは、またまた顔を見合わせた。
「店長、ボクが淹れますよ。もうお出かけでしょう?」
ちゃんと気が利くレックスが、代わりにお茶の用意をする、と言った。リーゼロッテとララは、何故か少しだけホッとした。
「あー、そうね。館に行ってくるわ。その後、商業ギルドに寄って、直帰するわ」
「わかりました」
綺麗なお辞儀をして、レックスがポットをコンロの上に置いた。
「じゃあ、すみません。どうぞごゆっくり」
ドロシー店長は手を挙げて、颯爽と応接室から出て、階下に降りていった。
リーゼロッテとララは、一気に空気の密度が低くなった気がしていた。あのドロシーに、心的な重圧を感じていたということだ。
「落ち着かなくて済みません。店長はあの通り多忙なもので……」
レックスはそう言いながら、コンロの下の部分に手を当てている。魔力を流して発熱させる、いわゆる『魔導コンロ』だ。魔導コンロ、そのものは珍しいものではないが、加熱には魔力を使うため、それなりに保有魔力量がなければ使えない。お湯を沸かすなど下男下女の仕事、という認識のあるリーゼロッテは、ここでもカルチャーショックを受けた。魔導コンロの使用に耐える魔力量のある下男なんて、存在するわけがないからだ。
「あ、あの、レックス。貴方は魔術師なの?」
「ええっ? まさか。ボクはそんな凄い人たちじゃありませんよ?」
コンロに手を添えたままだったので、レックスは半身になって答えた。
「でも――――魔導コンロは一般人には使えない……のに」
「そんなことないですよ? 使おうとしないから使えないんだと思いますよ?」
あくまで自分が一般人だと言い張るレックスは、自分を卑下してみせる。しかし、ララの記憶では、魔導コンロでお湯を沸かすには、魔力を貯めた魔核を併用するのが普通で、レックスのように直接魔力を流して湧かすには、冒険者ギルドの基準で言う、中級冒険者以上は保有魔力量が必要なはずだ。それ以下の魔力量の人間が同じ事をすれば、沸く前に魔力切れで卒倒してしまう。実際、騎士団で使っているような普及品は、魔核の使用が前提だ。
平然とそれを行っているレックスは、こんな小さなモチモチボディに、中級冒険者並みの魔力を備え、トーマス商店は、そんな彼を店員として雇用していることになる。
リーゼロッテは勿体ないことをする店だ、と思った。
ララは恐ろしい店だ、と思った。
二人の認識の差はあれど、レックスに秘められた実力を考えると、少なくとも武力ではこの少年をモノにはできない、と判断した。この場所、この場面で武力が必要になるとは思えなかったが。
お湯が沸くと、レックスは火に掛けていたポットから、陶製のティーポットにお湯を移した。続いて何かの棒を突っ込み、黙ってジッと棒を見つめた。
「…………」
「……?」
首を捻りながらレックスを見守る。何分か経った後、
「よし」
と呟いた後、茶葉をすり切りで二杯、ポットに入れた。
「よし」
レックスは何かの魔道具を軽く叩いた。今度はその魔道具をジッと見つめていた。二分ほど経った後、
「お待たせしました」
と、良い笑顔を向けて、ティーポットとカップを持って、ソファにやってきた。
「あ、ああ、うん」
カップは三個、最後の一滴まで、きっちりティーポットの中のお茶を三等分してから、カップの一つを自分用に、残りの二つを二人に差し出した。
「どうぞ」
「ありがとう……」
レックスの謎の動きに圧倒されていた二人だったが、受け取ったカップからは芳醇な紅茶の香りが漂ってきて、さらに驚く。
「こっ、この香りは…………! さすがトーマス商店、いい茶葉を使っているということ……!?」
「いいえ、全然。低等級の茶葉ですよ」
「うそ?」
「いいえ、ボクはリーゼさんやララさんに嘘をついたことは一度もありませんよ」
「ということは茶葉がいいのではなく……レックスの腕がいい、と?」
「いいえ。同じ時間、同じ温度さえ守れば、誰でも同じように美味しく淹れることが出来ると思いますよ」
リーゼロッテは紅茶を飲むことには慣れていても、淹れることについて言及できるほどではない。ララは騎士団で紅茶なんて飲んだことはない。だから、レックスの言っていることが、まるで謎かけのように聞こえてしまった。つまり、『よくわかんないけどレックス凄い!』と。
「レックス……貴方、凄いのね」
「いいえ、全然凄くないです」
レックスは真顔で否定した。謙遜しているはずなのに、リーゼロッテにはそれが謙遜に聞こえなかった。本気で自分が凄くない、と思っているのだ。その認識が一般的な観点では、恐らく間違っているのではないか、という指摘をするのは野暮だ。
「ううん、本当に真面目で……几帳面なのね」
リーゼロッテの言葉に、レックスは年齢相応に照れた。
モチモチが赤くなって実に愛らしい………。などと思ったララだったが、フッと心の中で首を捻った。几帳面、でフッと思い起こしたことがあったのだ。
「あの、こちらも召し上がって下さい」
レックスが取り出したものに意識が映り、ララは自分の中に浮かんだ、モヤモヤとした疑念を脇に追いやった。
「まあ…………。これは砂糖菓子?」
「はい。お砂糖を溶かした水に果実の皮を漬け込んだものです」
砂糖が薄く衣になった、細切りのオレンジの皮。勧められるままに口の中に入れると、砂糖がスッと口の中で溶けて、オレンジの香りが足され、怒濤のように味覚を刺激した。皮の苦い部分が全体を調和させ、暴力的な甘さなのに後味が優しい。リーゼロッテは帝都で似た菓子を食べたことがあったが、これほどまでに洗練された菓子は食べたことがなかった。
「むっ、むうっ、むううう! これはっ、ララっ、貴女も頂きなさい」
ポッチャリ食いしん坊姫が、恥知らずにもパクパクと砂糖漬けを口にするのを見て、ララも唾を飲み、手を伸ばす。意識はもう、砂糖菓子にしか注がれていない。
魅惑的なオレンジの香りに誘われて口にすると、
「甘い……美味しい……」
なんて贅沢な味だろうか。ララが初めて経験する美味だった。甘いものなんて普段は口にすることはできない。甘いというだけでご馳走だ。
「そこでお茶を一口……」
レックスが少し温くなった紅茶をくいっ、と飲む。恍惚の溜息を漏らす。
「香りの二重奏です……」
リーゼロッテもレックスに倣って紅茶を飲んでみると…………。
「あ……」
紅茶で口内が洗われると、体の芯が震えたような気がして、レックスと同じように恍惚の笑みを浮かべた。ララは二人が恍惚の表情をしているのを見て、乗り遅れた気がして、慌ててオレンジの砂糖漬け~紅茶~オレンジの砂糖漬け~紅茶~と繰り返した。
口内がリセットされるとはいえ、徐々に口が甘くなり、紅茶も飲み干してしまった。
「そこでこちらをどうぞ」
第二弾としてレックスが出してきたお菓子は………。
「種?」
「はい、カボチャの種を乾煎りして塩を振ったものです」
どうぞ、と勧められて、一口食べてみる。
「!」
サクッ、と心地よい感触で種が砕ける。軽い塩気も丁度良い。物凄く美味しいものではないが……もう一口、いや、もう一口……。
「むおおお?」
「何で? 何で?」
食べる動作を止められない。平皿に盛られていたカボチャの種が、あっという間になくなってしまった。
「あはは、気に入って頂けたのなら幸いです」
「え?」
言われて初めて、自分たちが一気にカボチャの種を食い尽くしてしまったのだと気付く。獣のような浅ましい食べっぷりで、品性など感じさせないものではあったが、美味しそうに食べるリーゼロッテには、実に食べさせ甲斐がありますね――――レックスの顔がそう言っていた。
レックスは嬉しそうに笑いながら、お茶のおかわりを淹れにいった。
* * *
「あ、朝食を食べていなかったからか……」
それにしてもはしたない、不作法の見本のような食べ方をしてしまった。一応はその自覚があるから、リーゼロッテもララも、赤面して俯くばかりだ。
「ああ、道理で、見事な食べっぷりでしたよ?」
レックスにニコニコ顔で褒められると、あの食べ方でよかったんだ、と、少し心が軽くなった。
「いや本当に。オレンジもカボチャも、紅茶も……凄く美味しかった。あんなの帝都で食べたことはない」
ララが率直に言う。
「私も……。レックスが言っていたわね、名物料理が五つも六つも……。あれが偽りではなかったと実感しているところだわ」
「あはは。ボクは、お二人に嘘なんかつきませんよ。でも、こんなものは名物でも何でもありません。材料さえあれば誰にでも作れるものですから」
「その材料の入手が難しいような気がするわ。お砂糖なんか特に……」
そうだ、砂糖がこんなにあるのは異常なことだ。ジャムや砂糖漬けなんて、帝都でも、皇族の、さらに一部でしか食べられていないというのに、グリテンでは大商会とはいえ、一介の従業員がお茶請けに出してくるのだから。
「その辺りは伝手がある、としか言えません。ポーザーさんが仰る通り、お砂糖は安いものではありませんけど……。お二人が元気になったのならボクも嬉しいです」
そうだった。
このレックスは、リーゼロッテとララに元気がないのを見て、こうして連れてきたのだ。
それを思い出して、実際に元気になったリーゼロッテとララは、レックスの気遣いに大いに感心した。
「それで――――何を気に病まれていたのですか?」
「えっ、あっ、その……」
リーゼロッテはレックスに問われると口籠もった。こんな小さな男の子に、女性の下着について助言を求めるのはいかがなものか、と思ったものの、すぐにレックスが下着に詳しかったことを思い出す。リーゼロッテが逡巡しているうちに、ララが助け船を出す。
「昨晩の怪人に、下着のことで指摘をされたのだ」
「ああ、なるほど。それはボクが伺っても?」
「構わない。……お嬢様の下着が不潔だと言われてね。ところが言われても、私たちにはピンと来なかったんだ」
「衛生観念の違いということですね。グリテンの中でも、このポートマットは特殊なんだそうです。迷宮に浴場ができてから、特に顕著ですね。衛生的に暮らすことの利点が大きい、と認知されつつあるようです。ですから、この三ヶ月ほどで人々の意識が変わった、ということですね」
「迷宮? 浴場?」
「はい。迷宮はここから西に行ったところにあります。浴場は迷宮に併設されているのです」
「浴場って、お風呂のことよね? 何故そんなものが迷宮にあるの?」
その疑問は尤もだ、とレックスも頷く。
「それはボクにはわかりません。ですが実際に併設されていて、僅かなお金さえ払えば、貴族でも奴隷でも、誰でも同じように利用することができます」
「誰でも? それは……………同じ湯に、高貴なる者も、卑しい者も浸かると?」
「その通りです」
「解せん話だ……」
「隔離された個室はありますから、気になるのであればそちらが利用できます。それでも基本的に同じ湯を使うのは、病気に貴賤は関係ないから、だそうです。共に衛生的になればいいじゃん? だそうです」
誰かの口真似だろう、レックスは口を尖らせて口調を変えながら説明した。
「いや、浴場の利点はわかる。それと下着はどう関係するんだ?」
「え、体を洗わずに新しい下着にしても意味がないのでは? 両者は連動していて然るべきなのではありませんか?」
「あ……」
つまり、レックスは、清潔な体に清潔な下着を身につけろ、と言っているのだ。
「習慣の問題かと思いますけど、町全体、国全体でそのようになれば、公衆衛生は一気に良化する――――実際に良化していますし」
「ふむ…………」
「私はちょっと興味が湧いてきたわ」
ララが思案していると、リーゼロッテは浴場に行ってみたくなったらしく、上目遣いでララを見た。
「それなら、新しい下着を持って、浴場に行かれてみては? 帝国にないものなら、話のタネにもなるでしょう?」
冷静に考えてみれば、このレックスの物言いは、少年のものではない。裏が何重もある商人の言い方だ。ただし、人畜無害にしか見えないレックスの笑みは、リーゼロッテとララに、それらを気付かせない。
「そうね、レックス、それなら、私たちに下着を見繕って頂けるかしら?」
「お嬢様、私は……」
「いいえ、貴女にも必要です。いいわね?」
「はい……」
話がまとまったようだ、とレックスは立ち上がり、
「では、お店に行きましょう。各種下着がございます」
と、無垢なニコニコ顔を強めて言った。