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地獄と天使


 リーゼロッテとララには訊くべき事は訊いた。とは言っても、深夜と言っていいこの時間に、宿に戻すのは危ないし不作法だ。

 それもあって二人は今夜、騎士団駐屯地の、事情聴取をした部屋に、そのまま泊まってもらうことになった。

 宿屋じゃないから朝食は出ない。明るくなったら宿に連れて行けばいいな、とエルマは算段を立てた。


 駐屯地にある事務室に、書記をしていた女騎士と一緒にエルマは戻り、不味いハーブティーを淹れるためにお湯をわかそうと魔導コンロにポットを置いて、

「ふう」

 と息をついた。

「どう思ったね?」

 エルマは書記の女性に、前置きなしで訊いてみる。

 書記の女性は、自らが記述した調書を見ながら、

「レックスくん……詳しかったですね」

「ああ。だが、彼は犯人ではない、と思う……」

()()ですね?」

「うむ」

 運針に使う指のうち、中指の第二関節辺りは、熟練の職人なら硬くなっているものだ。果たしてレックスの中指は皮膚が異様な程に硬く、彼が右利きである証明となっていた。

「正確を期するなら左手でも握手をしたかったのだがね。パッと見では左手は普通の人と変わらないように見えたよ」

「私も同感です」

 書記の女性のお墨付きを貰って、エルマはレックスを容疑者リストから消そうとして、一度躊躇い、結局消した。

「これで容疑者と目される者は皆無、か」

 そういうエルマだが、下着に関しての証言を得るために召喚したレックスに対して、疑義があることには変わりない。


① 下着に関して詳しすぎること

② 現場にいて、野次馬の中にいたこと

③ 被害者と知り合いだったこと

④ レックスが『魔女』の弟子であること


 犯人のパンツ男は、背格好に関しての証言が酷く曖昧で、それこそ女性の可能性もある。犯人像が全くの白紙な分、固定観念に惑わされずに済む、とエルマは前向きに考えた。

 その意味では、紛う事なき子供であるレックスであっても犯人の可能性を否定できるものではない。もっと言えば、あの『魔女』の影響下にいる子供なのだ。常識で考えてはいけない、と頭の中で警鐘が鳴ってもいる。

 しかし、()()を見るに、レックスが犯人である説には否定要素が濃くなり、エルマにしてみてもホッと胸をなで下ろしたい気持ちになった。


「下着を剥いで……下着を奪って……下着を与える。何が目的なんだろうな?」

 エルマは思案顔で呟く。書記の女騎士は律儀にも呟きに反応した。

「強姦に失敗したとか? 下着を与えたのは罪悪感からだとか?」

「いや、ポーザー嬢、アイグナー嬢の証言では、最初から下着を交換するのが目的だったように見えた、と言っていたな。汚い使用済みの下着を奪って新品に交換する……慈善事業にしてはやり口が強引だ」


 その、汚い下着の収集そのものが目的である、とまでは思い至らない。ただ奪うだけならエルマの思考は、いずれそこに至っただろうが、新品の下着を履かせる、という謎の行為が、捜査現場に混乱をもたらしていた。

 どうにも犯人の行動が想像できないでいる。

 いっそ、『魔女』が犯人だ、と言うなら大いに納得しそうだ。


「あの採取娘がねぇ……」

「え? 何です?」

「うん、レックスくんの姉貴分、『魔女』は、毎日のように日光草の採取に出掛けていてな。門番だった私とよく挨拶を交わしていたものさ」

「そうなんですか……」

 書記の女騎士は最近になってから騎士団に入団したので、ちょっと前のことでも知らなかったりする。『魔女』と懇意である、と吹聴すること、そのものは虎の威を借る狐の故事のように虚勢の域を出ないのだが、噂が一人歩きして肥大化している『魔女』とは知り合いというだけで、大人物に見えてしまう。

 エルマはそれが錯覚だと自覚はしているものの、『通信端末』も貰っているし、我ながら出世コース、エリートなんじゃないかと少しだけ自惚れた。


 エルマに限らず、『魔女』の知り合いというのは、その存在に脅威を感じると同時に、知り合いであることを誇るという両面を持っていることが多い。それだけ『魔女』の影響は大きく、騎士団の運営、発展にも寄与していることから、そもそも『魔女』に関わるものはタブーである。ポートマットの町中でそれは一般的な認識でもあるので、最大限にそれを利用しているのは、件のトーマス商店と言えよう。


「その『魔女』は出張でポートマットにいないようだし、パンツ(マン)? 女かもしれないのか? の正体を知るにはまだ情報が足りないな」

「パンツをこう……逆さまに被るなんて、女性の敵には間違いないです」

 書記の女騎士は義憤に満ちた瞳で言った。

「ああ、それだな。『逆さま(リバース)』とでも呼ぶか」

 何気ない会話から産まれたパンツ男の呼び名(コードネーム)ではあったが、それがどのような意味を持つようになるのか、このときの二人には知る由もなかった。


* * *


【王国暦122年10月24日】

【帝国暦319年10月24日】


 事情聴取が終わった後、リーゼロッテとララは疲労からか、エルマが去った後の宿泊室で、すぐに横になってしまった。

 目が醒めるとすでに朝で、太陽の光が小窓から入ってくるのに気付き、ララは慌ててベッドから跳ね起きた。

「姫様、お目覚め下さい。朝です」

「……もう、食べられないわ」

 このポッチャリ姫、石でも腹に詰めてやろうか。眉根を寄せるララから殺気が出たのだろう、リーゼロッテはビクッとなってから眼を開けた。


「おはようございます、ひ……お嬢様」

「ん。おはよう。今朝の朝食は何かしら」

 目覚めてすぐの台詞がそれか、とリーゼロッテの変わらぬ態度に、ララは呆れと感心とが混ざった瞳を向けた。昨晩、あんなに衝撃的な事件に巻き込まれたばかりなのに、気丈なことだ、と。


「ここは宿ではありません。騎士団の人にご挨拶をしてから街に出て、そこで頂きましょう」

「ああ、そうだったわ。仕方ないわね」

 少しは自分で行動しろよ、とララは思うものの、リーゼロッテを始め、従軍経験のない皇族などこんなものだ。そんな諦観がララの中の怒気を鎮める。

「はい。グリテンは雨が多いとは聞いていましたが。今日は晴れているようですね」

 そんなことを話題にしながら、まだ顔が腫れまくっているリーゼロッテの背後に回り、束ねてある髪を一度ほどき、櫛を通しながら、再度緩くまとめる。こんな自分の身なりも自分で整えられないなんて、ちょっと可哀想だな、なんて思いながら。

 そんな従者の気持ちなど、それこそ何百人の従者と接してきているリーゼロッテからすると丸わかりではあるものの、それを一々指摘もしないし、立場に関して議論することの不毛さは良く知っているので、黙ってララのなすがままにされている。


「昨日は疲れたわ」

「はい」

 ララは私もです、とは言わなかった。リーゼロッテの身だしなみが整うと、軽く頷くだけに留めた。

「一度…………トーマス商店に行ってみたいわ」

「レックスに会いに、ですか?」

 ララの何気ない言葉に、リーゼロッテはキッとララを睨む。

「そうではないわ。下着を売っていると言っていたわよね。この麻の下着が……気持ち悪いのよ」

「ああ……わかりました」

 皇族じゃなくても、そんな下着とも言えないようなモノを履き続けてはいられない。かぶれる可能性すらある。ララにも、同性としてそれは理解できた。自分の下着と交換しますか、と言いそうになったが、フッと、あのパンツ男の言葉が蘇る。


「オレ・ハ、フケツ・ナ、パンツ・ヲ、ユルサナ・イ」

「ひっ?」

 ララが呟いた言葉に、リーゼロッテは過剰に反応した。

「なっ、何てこと言うの」

 怒りにも勢いがない。主人のトラウマに土足で踏み込んでしまったと気付いたララは、

「申し訳ありません。いえ、癪ですが、あのパンツ男の言うとおり、姫……お嬢様のパンツは不潔だったのかもしれません」

「不潔……言ってくれるわね、ララ。三日前には新品に履き替えたわ!」

「それです、お嬢様」

「なによ」

「あの、パンツ男の基準では、三日前の新品でさえ、不潔だったということです」

「そんな馬鹿な話はないわ。第一、不潔って何よ」

「言葉そのままの意味でしょう。履き続けると病気になるくらいに汚い……」

「あのパンツは最高級の絹を使っていたわ。……(わたくし)が汚いと仰るの?」

 リーゼロッテは自らの不備を従者に指摘されて、不機嫌になった。

「いいえ、お嬢様。帝国の基準、私たちの基準では、汚いなんてことはあり得ません。体を洗えば抵抗力が落ちて病気になるのは常識です。風呂に入るなどロマン人のような破廉恥な行いは論外です。ですが、ここはグリテンです。我々はそれを失念しているのです」

「郷に入りては郷に従え、ということね。グリテンの基準では、私は不潔極まりないと、あのパンツ男は言ったのだ、ララはそう言いたいわけね?」


 プロセア帝国の基準では、自分は『不潔』なんかではない、と心の逃げ道が見つかり、リーゼロッテはとりあえずそこに入り込む。

「はい。ここがグリテンだと再認識していただき、ここに合った生活をしてみては如何でしょうか?」

 そうだ、グリテンに来たのは視察なのだ。見て、感じて、それを(フリードリヒ)に報告しなければならないのだ。その中で、ヴィンフリートとオルトヴィーンを変えてしまった悪意に対峙しなければならない。

 そうだ、悪意だ。昨晩に遭遇したのは悪意そのものだったではないか。あんな辱めに遭うなどと……。


「わかったわ。じゃあ、貴女も下着を買わなきゃ駄目ね」

「は?」

 アンタだって相応に不潔なのよ、とリーゼロッテの目が言っていた。



* * *


 騎士団の人間に挨拶をして辞去しようとしたところ、昨晩、二人の事情聴取を担当したエルマがやってきた。

「あー、例の遺留品だが。こちらで預かっておく、ということで構わないな?」

 ああ、そんなことか、とリーゼロッテは肩を竦めた。

「ええ、構いません。私の物ではありませんので」

 普通に考えれば、あれは遺留品でしかないのだから、所有権云々の話にはならないはずだ。エルマが訊いているのは、麻のパンツなど、長時間履く物ではないから、どうするんだ? という問いである。


「これから件のトーマス商店に行って、購入しようと思います」

「ん……そうか。こう言っちゃ何だが、怪我の功名というか、災い転じて何とやら、というやつだな」

 エルマは、率直な物言いで、サラッとリーゼロッテの神経を逆撫でした。一体どの辺が功名なんだ、と。リーゼロッテとララが憤慨して文句を言おうとしたところ、エルマは言葉を続けた。

「いや、すまんな。しかし、トーマス商店の女性用下着はいいぞ。少々お高いが、アレを履くと、もう普通の下着にはもどれん」

「……はぁ……」

 リーゼロッテとララは生返事をする以外になかった。着用感など、個人差があって当然だと思うのだが、それを通り越してのセールストークを展開したのだ。

「まあ、実際に着用してみればわかる。ちなみに騎士団の女性団員には購入割引があって――――」

 と、話を聞いてみると、要するに代理で買おうか? 少し安くなるから、という親切心の発露だったようだ。

「ありがとうございます、メンデス卿。でも大丈夫です。こう見えても多少の金銭は持っていますので」

 好意を無碍にするな、とは、騙されまくって借金を作りまくった、ララの亡き父の言葉だ。リーゼロッテの拒否はわからなくはないが、頑なに拒否する類のものでもないのに、と訝しく思った。ララは貴族とは言っても高位の生まれではない。何だか勿体ないような気がするのは、節制を強いて育ててくれた母の薫陶の賜か。

「そうか。それならば何も言うまい」

 今度はエルマが肩を竦めた。


* * *


 リーゼロッテとララは改めて礼を述べてから騎士団駐屯地を出ると、朝のポートマットへと繰り出した。

「やっと解放されましたね」

「そうね……」

 考えてみれば、ちゃんと被害者の話を聞いて、犯人を割り出して、捕らえようとしていた。疑わしいと思ったら即時処刑、が当たり前の帝国に比べると悠長にも思えたが、人道的には明らかにポートマット騎士団のやり方が正しい。グリテン全土でそうなのか、ポートマットだけの話なのかは、二人には判断がつかなかったが。

 人権意識に隔絶した差があり、それはグリテンの方が進んでいる、と認めたくはなかった。それを口にすることは帝国批判になりそうだ。だから、二人は黙ったまま、南北街道を南へ戻ることにした。


 街を南北に貫く道は、ひっきりなしに馬車が通過し、どちらかと言えば港がある南から、北にある王都(ロンデニオン)に向かう馬車が多いものの、上下線とも夥しい数だ。

「朝の馬車の渋滞っていうのは同じなのね」

 リーゼロッテがしばらくぶりに口を開いた。

「ええ。馬糞も……………んっ?」

 ララは急な応答を迫られて、馬車といえば馬糞で汚いのも変わりがない、と言おうとして、道端に馬糞が落ちていないことに気付く。

「どうしたの、ララ」

「いえ、馬糞が落ちていないんです。馬鹿な……」

 いや、正確には馬糞は落とされまくっている。それを道端に寄せる奴隷も散見できた。だが、路上や道端に残っている馬糞が、ない。

「そう言われてみれば……あっ、あの穴は何かしら?」

 リーゼロッテに示された方向を見ると、道端の一部に穴が開いていた。人が落ちる心配はなさそうな小さな穴だ。掃除人は、道具を使って馬糞を素早く回収し、素早く穴に落とし込んでいる。路上に馬糞が存在するのは、ほんの数秒、といったところだ。それは神業などではなく、人海戦術でもなく、効率良く開口されている穴のお陰だ、というのは素人が見てもわかる。清潔を保つように設計された馬車道と、それを間違いなく運用する人々は、一つのシステムだ。ポートマットは衛生的な町になるように設計されているとでもいうのか。

「馬糞を……なんということでしょう……」

 二人の脳裏には、あのパンツ男が言った『不潔』という言葉が浮かび、この馬車道の清潔な状況を考えれば、確かにその通り、プロセア帝国は不潔な国に違いない。


 認めたくない!

 ああっ、不潔!


 リーゼロッテの頭の中が『不潔』で満ちる。まるで正体の見えない化け物に包囲されているかのようだ。

 歩みが止まる。

「ひ……お嬢様?」

 昨晩、不潔、と連呼された当の本人は、青い顔になり、歩けなくなった。

 リーゼロッテに呼びかけるララは、リーゼロッテを見て悔やんだ。

 全然平気ではなかった。リーゼロッテはパンツ男によって心が傷ついていたのだ。もっと気遣うべきだった…………。


「あれ、ポーザーさん? アイグナーさん? 騎士団から今お帰りですか?」

 声を掛けられて、リーゼロッテもララもハッとなり、振り向く。

 そこには、モチモチした体躯で、心配そうに見上げる少年がいた。

「レックス…………」

「二人とも大丈夫ですか? お店がすぐそこなんです。休んでいきませんか?」

 純心を映す瞳に、リーゼロッテとララは、地獄で天使に遭ったような錯覚を覚えた。





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[一言] >「は?」 は?じゃないが そういうものだと思ってたら気にならないものなんでしょうかね……
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