女騎士と事情聴取
騒ぎを聞きつけて騎士団の人間がやってきたのは、パンツ男が去ってから半刻後の事だった。
毛布を被せられて、騎士団の馬車に乗せられる。十人ほどの野次馬が集まってきたが、その中に心配そうな顔をしていたレックスの姿があった。
その姿を見つけたリーゼロッテは、気丈にも、小さく手を挙げて、大丈夫だ、と無事を表明した。
無事ではない。無事とはとても言えない。
それなのに、何とお強い方だろうか。
ララはリーゼロッテの背中を見つめて感動していた。レックスの悲しい瞳と無言で語り合うリーゼロッテに、嫉妬を感じている自分の、何と矮小なことか。
リーゼロッテを守れず、事もあろうに下着を奪われ、下着を履かされた。確かにモノ的には損はしていない。だが、それとは違う次元の、乙女の尊厳の問題なのだ。
ほんの短時間、馬車に乗せられて到着した場所は、ポートマット北方にある騎士団駐屯地だった。
暗がりで良く見えなかったが、建物も装飾品もよく言えば質素、悪く言えば貧乏臭く見え、客室の一つに通されると、それが正しい認識だったと、思わずリーゼロッテとララは顔を見合わせた。
暖かい紅茶を出されはしたが、普段リーゼロッテが飲んでいるような芳しい高級茶葉で淹れられたものではなく、これもまた貧乏臭い。
しばらく客室で待たされた後、細身の女騎士がやってきて、事情聴取が始まった。
* * *
「ふむ……それで、盗られたものは……?」
「パンツ……です……」
「ふむ…………」
正直面倒臭いな、と顔に出ている女騎士に事情を説明するリーゼロッテは、恥辱を通り越して赤黒い顔になっていた。
この女騎士はエルマ・メンデスという名で、男勝りな立ち姿がとても美しい。ただし髪の毛の手入れはあまりちゃんとしていないのか、枝毛が多く、くすんで見えた。
粗野なところは自分に似ている、とララは共感を持つ。
エルマがリーゼロッテに対してぞんざいなのは、リーゼロッテが露骨にポートマット騎士団を見下していることが伝播しているからだ。
騎士団の格というものがあれば、それは確かにプロセア帝国近衛騎士団や、第一、第二騎士団の宿舎は、ほとんど小さな城と言っていい豪華さだ。ララにしてみれば、そんな大袈裟で華美な宿舎などどうでもいいから、下っ端の住環境をどうにかしてほしい、と思ってしまう。翻ってリーゼロッテは中央に近い騎士団しか見てないためか、ポートマット騎士団の格が非常に低く見えるのだろう。
ポートマット騎士団以下の設備しか持たない騎士団など、帝国にだって履いて捨てるほど存在するというのに、リーゼロッテの態度は、自分が特別だ、と大声で宣言しているに等しいように見えた。諫言をすべきではあるのだが、いかんせん、エルマの前で、それを言うわけにはいかない。
「それで……遺留品がこれか。これは……女性用の下着だよな?」
「まあ、そうですね」
遺留品ということで、リーゼロッテが履かされた下着は脱がされ、代わりにまたまたカボチャパンツを履かされている。絹の肌触りしか知らないリーゼロッテは、麻のゴワゴワした下着を履かされて、これはどんな侮辱なのか問い質したい気分だった。リーゼロッテがララに視線を移すと、ララはやっと自分を見てくれた、とホッとした顔を見せた。
「……………」
ララは無言ではあったが、その顔からリーゼロッテは言いたいことを察した。帝国の姫であることを吹聴しても事情聴取には何ら寄与しないから、素直に応じて下さい、と。
リーゼロッテは溜息をついて、ララに了承の意味で小さく頷き、エルマの方に向き直った。
「最近は…………こういう裾の短い下着が流行しているのか?」
女性らしくないエルマは、見た目通りファッションには疎い。だから無神経にも予備知識を仕入れるつもりでリーゼロッテに訊いてみた。
「さあ……」
あの変態下着男を捕らえ、成敗するには、ちゃんと地元騎士団の協力を仰いだ方がいい。それ以前に、助けてくれるだろう人間に対して、リーゼロッテの態度は、まだ不誠実に思えた。
だからララは進んで補足することにした。
「私にもわかりませんが、帝国では裾の長い下着が一般的です。グリテンではどうなのですか?」
「うーん、キミ、どう思う?」
エルマは同室している、書記をしていた女性騎士に向かって訊く。
「その方の仰る通り、裾の長い下着が一般的かと。…………下着のことなら、トーマス商店に訊いてみては?」
良いことを思いついたなぁ、と少し嬉しそうにしながら、書記の女騎士は手を叩いた。
「ああ、そうだな」
「トーマス商店? で下着を売っているのですか?」
リーゼロッテが会話に横槍を入れる形で訊く。事情聴取をされているのが誰なのか、自覚が足りないのではないか、とララは言おうかどうか迷った。トーマス商店というのは何でも売っているのだ、臓器や不死者でさえ売り物にするのだから、下着を売り物にしてもおかしくはないだろう、そんなことも思った。
「ああ、あそこは手広くやってるよ。あの娘……『魔女』って言った方が通りがいいか? が新しい事業を始めては他者にぶん投げていくらしくてね。そのどれもが高収益だって言うんだから文句も言えないみたいだ」
エルマがおかしそうに言った。この雑な女騎士にも、事情聴取をしている自覚が足りないのではないか、とララは言おうかどうか迷った。
コイツら、ちゃんと姫様に訊いて、姫様はちゃんと答えやがれ、とララは眉根を寄せた。
それにしても、またまた『魔女』か。チョロチョロと影が見えるどころではなく、自分は既に大きな影に絡め取られているのではないか。そんな恐ろしい錯覚に陥る。
「ちょっと待ってくれ――――」
エルマは懐から何かを取り出して、忙しく操作をし始めた。
「その、魔道具は?」
「ん? 他国民には説明を控えさせてもらおう。知りたければ『魔女』にでも直接訊くといい。ああ……ふむ……そういうものなのか……へえ」
魔道具を見て一人納得しているエルマに、リーゼロッテのイライラが募る。
「なんですの?」
「ああ。トーマス商店から、下着に一番詳しい人間を寄越すとさ。その間に事情聴取を進めようか」
「詳しい人間?」
ララが思わず訊き返す。
「ああ。レックスくんって言ってな。モチモチして可愛い男の子だよ。そんな彼が下着に詳しいのか……。ふうん……」
「レックス?」
リーゼロッテとララは、思わず同時に訊き返した。
* * *
奇っ怪な事件である。
パンツを盗まれて、パンツを渡された。
盗まれたパンツについてはエルマが知る由はないが、遺留品の方は検分し、そこから犯人像の推論が多少は可能だろう。
だから専門家に意見を訊くのは正しい行いだ。
事情聴取をしている部屋にレックスが招かれたのは、エルマがリーゼロッテとララに、訊きたいことを粗方聞き終えた頃だった。半刻ほどだったから、割と近くにいたのだろう。
「ポーザーさん、大変でしたね。お怪我はありませんでしたか?」
部屋に入って挨拶をした後に、レックスが気遣いを見せる。リーゼロッテは愛玩動物が慰問に来たような錯覚を覚えた。そうだ、レックスは何か良い匂いがする。あれを抱きしめたら香りに支配されてしまいそうだ。しかし、パンツ男に言われた言葉がリーゼロッテの心に、棘として深々と突き刺さっていた。病気になりそうなくらい、自分は臭く、汚れていて――――曰く『不潔』な女である――――。そうだ、自分はパンツを脱がされて穢された――――いや? いやいや? 綺麗にされたぞ?
汚されたと思ったのに、そうではない。それがパンツ男によってなされたということで、リーゼロッテは混乱していた。
「ええ……驚いたわ。本当に」
瞬時に言葉は口から出ず、結局出た言葉は陳腐で曖昧なものだった。
「アイグナーさんも……お怪我をなさっているとお見受けします。これでも水系の『治癒』は使えるんですよ。宜しければ施術して差し上げますよ?」
謙ってレックスが心配そうに言ってくる。
「ああ……大丈夫だよ、レックス。あ、でも痛みが出たらお願いしようかな」
後で痛むことにして、レックスに癒してもらおう。ララはそんな邪なことを考えた。
「さて、レックスくん。短文でも伝えたけれど、見てほしいものがあるんだ」
エルマが麻袋から取り出した下着を見て、レックスはにこやかな顔を引き締めた。
「下着ですね。拝見します」
「ああ」
エルマから下着を受け取ると、レックスはまず全体を俯瞰して眺め、その後縫い目を検分し出した。時々ひっくり返して裏を見て、また表を見る、ということを何度か繰り返す。
「…………」
「丁寧な作りですね」
「ふむ……」
「素材は絹……産地はわかりませんが……いや、王都産かな。超一級の生地というわけではありませんけど、一級品であることは間違いないです。生地自体は新しくはないですね。縫い目は密で正確、一流の職人の仕事ですね。デザインは……驚きました、トーマス商店で売っているものに似せてありますね」
「でざいん? とは何だ?」
「形状のことです。……そうですね、たとえば、一般的なパンツって、裾が長く、お腹の部分も長いですよね。でも、このパンツは両方短いです。保温性や動きやすさより、見た目を重視していると言えます。これはトーマス商店で売られている一部の商品の形状に近いです」
「うん? トーマス商店で売られているものではないのだな?」
「違います。布と布の切り返し………一度切り離して再度縫い付ける……も、ちょっと前にウチで売っていた下着に似ていますけど、ウチの商品じゃありません」
「ふむ、根拠はあるのか?」
エルマは詳しすぎる少年に質問を重ねる。レックスの表情に緊張は見られず、真面目に下着を論評している。
「はい。このデザインで売られていた物は、全て綿製品だからです。このデザインで絹製品は、ウチで売られたことがありません」
「なるほど…………」
合点がいった、とエルマは大きく頷いた。
「何故――――そうやってわざわざ布を切り離して、再度くっつける、みたいなことをするの?」
リーゼロッテも、詳しすぎる少年に訊いてみた。
「はい、一つには布の伸縮を制限するためです。布はこう………縦糸と横糸が交差していますよね。布が伸び縮みする、というのは、この交差を広げたり捩ったり、正確な形を崩しているということです。布という平面で体を包むと、どこかが伸びて、どこかを縮めないとピッタリしないんですけど、際限なしに布の変形を許すと、元の形に戻らなくなるんです」
「そうか、それがパンツが伸びる、ってやつか」
エルマは雑な雰囲気に相応しく、女性らしくないことを言った。その場に女性しかいなかったという気安さはあれど、淑女としては下品過ぎる。ララは少し顔を顰めた。
「この、切り返しの角度も、飾りも、実に似てますね。これほどの職人がいるんですね」
「ん、トーマス商店に下着を卸している職人が作ったものではない、と?」
「違います。ウチの職人に、そんなことをする余裕のある人はいません。毎回、納品までギリギリ……ですから。それに、これを縫った人は左利きです。ウチに降ろしている職人は全員右利きなんです」
「へ?」
その場にいる全員が首を捻った。レックスの説明が続く。
「証拠は幾つかありますけど――――。縫い始めの位置が左上ですよね」
レックスが手慣れた様子でパンツを裏返し、縫い目を見せる。エルマ、リーゼロッテ、ララが言われた箇所を見ると、確かに、正面から見て左上、その裏側から僅かに糸が飛び出ていた。
「普通、最初の一針って、裏の方から表に向かって縫い合わせるんです。自分の手が邪魔して布を確認できないですし、保持できませんから。実際に、これを縫おうと思ったら…………」
「ほんとだ」
「なるほど」
「え、なに、どうして?」
一人疑問符を投げるリーゼロッテには、裁縫の経験がない。右利きの自分たちが縫い合わせをしようと思ったら、右上から始めることに気付いたエルマとララは、深く納得の表情になった。
「運針は、ここからこう……下着から見ると下に向かって。右利きだと実際の運針は右から左に行きますよね。この下着、それが逆なんです」
「ほんとだ」
「なるほど」
「え、なに、どうして?」
またまた一人疑問符を投げるリーゼロッテは、自分以外の全員がレックスの証言を理解していると知ると、途端に悔しさがこみ上げた。しかし、裁縫など、王女がやるものではない。あ、でも母親はレースを時々編んでいたような……すぐに飽きたのか最近ではやっていないみたいだけど……。
「確かに、言われてみれば、縫い目の方向が普通とは逆だ」
「はい。そういうことで、これを縫った人は、左利きだと思われます。とても珍しいことなんですけどね」
「珍しい? 何故だ?」
「左利きの人でも、矯正しちゃうんですよ。業界の慣習みたいですけど。確かに、作業を分担した時に、左利きの人がやった物があったとしたら、縫い目にバラつきが出ますから、意味のある修正と言えますね。もう一つの理由はハサミです」
「?」
リーゼロッテ以外は、レックスの独演会に魅入られている。いちいち説得力があり、疑問には解説がある。九歳だか十歳だかの子供が、理路整然と喋っているというのは十分に違和感なのだが、それを感じさせない。一番話を理解していないリーゼロッテこそ、この違和感に気付かなければならなかったのに、彼女はレックスの様子ではなく、レックスの言葉を反芻して、理解しようと脳の能力をそちらに振り向けていた。
レックスは自分の『道具箱』からハサミを取り出して、刃の部分を握り、ララに柄の部分を持つように言った。
「あ、『道具箱』を覚えているのか……すごいな、レックス」
ハサミを渡されながら、ララは感心した。『道具箱』は収納魔法とも空間魔法とも言われていて、人によっては驚くような容積の物体が収納できる。習得している人は多いが、レックスほどの若輩で覚えているのは珍しいし、それだけレックスが優秀な証拠だと言えた。
「普段から納品で走り回ってますから。覚えさせられたんです」
誰に、とは言わなかったが、それもきっと『魔女』なのだろうな、とララは想像した。
「そうか……で、このハサミが?」
「左手で握ってみて下さい。切りにくいでしょう?」
「ほんとだ」
「なるほど」
「私にもやらせて……」
懇願してハサミを左手に持つリーゼロッテは、なるほど、これは切りにくい、と納得した。
「ハサミは右利き用に出来ているのか」
「裁ちハサミには左利き用っていうのも作ればあるんでしょうけど、矯正した方が実利があるみたいですね」
「そういうものなのか……うん、よくわかった。ありがとう、レックスくん。夜分遅くに済まなかったね」
エルマが右手を出しだして握手を求める。それは紳士に対する態度そのものだ。しかし、目の前のレックスは歴とした子供でしかない。今は子供が起きている時間ではないのは確かだ。それを強引にでも連れてきて、訊いてよかった、とエルマは満足気だ。それは握手をしたからでもあるのだが……。
「いいえ。今日知り合ったばかりの人たちが事件に巻き込まれるとか、そんなことでポートマットが嫌いになられたら困ります」
ニコっ、と握手をしながらレックスが笑った。
色白でポッチャリしたレックスが笑うと、暖かい雪だるまを見ているような、ララはそんな不思議な気持ちになった。