姫様と迷宮
迷宮とは。
曰く、魔物製造装置である。
曰く、魔物の檻である。
曰く、魔核の牧場である。
きっと、そのどれもが正解だ。
「現在のところ、生きた迷宮っていうのは、世界中でグリテン島にしかないっす。しかも島の南部、グリテン王国にしか存在しないっす。とは言っても世界の隅々まで人間が到達しているわけじゃないっすから、その限りではないかもしれないっすけど」
リーゼロッテとララは、ポートマット西迷宮近くにある冒険者ギルド出張所で、迷宮のことを教えてくれ、という依頼を出した。すぐに依頼は受理され、対応しているのが、この軽妙な話し方をする男だった。
「そうなると、現在生きている迷宮というのは、
① ドワーフ村鉱山迷宮
② ロンデニオン東迷宮
③ ロンデニオン西迷宮
④ ウィンター村迷宮
⑤ ポートマット西迷宮
⑥ ブリスト南迷宮
がある、ということですか……」
「まあ、そうっすね」
実はこの他にもロンデニオンの南西部、王城の一つ、ウィザー城の近くにも迷宮があるが、これは秘匿情報で、冒険者ギルドでも幹部の一部しか知らない。
迷宮の命名ルールは非常に単純で、直近の街か都市の、どの方角にあるか、ということだけだ。
たとえば、ポートマット西迷宮は、名前が示す通り、ポートマットの西にある。ウィンター村は村の内部にあるようなものなので、方角がついていない。
「ドワーフ村鉱山迷宮はグリテン島の中央部にあるっす。ここが原初の迷宮にして最大の迷宮、って言われてるっすけど……実はほとんど探索されていないっす」
「何故? 貴重な迷宮でしょうに?」
リーゼロッテが興味を持って質問する。
「深部を探索した者は過去に何人もいたっす。でも、誰も帰ってこなかったそうっす。それで危険だと判断されて、本格的な探索はされないまま放置されてきた、って言われてるっす。自分も行ったことはないっす」
その代わり、王都ロンデニオンの東西にそれぞれ一つずつある迷宮は、それなりに探索されている。また、ロンデニオンの北にある開拓村の一つ、ウィンター村にも小さな迷宮があるが、こちらは階層が浅く、期待外れの迷宮として有名である。
「このポートマット西迷宮と、ブリスト南迷宮は最近になって再建、再開された迷宮っす」
「ブリストって、ポートマットから見てかなり西にある?」
「そうっす。大きな港町っすよ。迷宮の方はまだ一般開放されてないっすね」
「あの、その迷宮にも『魔女』が関わっているんですか?」
「不明っす」
男はノーコメント、と言った。
「『魔女』のことは噂で良ければ、その辺の人に訊けばいいっす。でも、そんな偏った、信憑性のない情報で全体像を見ようとするのは危険っす。彼女は身内には甘いっすけど、敵認定されている勢力には容赦ないっす。そうっすね、たとえば――――プロセアの大将を送還した時に、『また来たら帝都を灰にする』って言ったそうっすよ。まあ、彼女にしたら一回目は許す、ってことだと思うっす」
「帝都を……灰に?」
リーゼロッテの眉根が寄り、思わず訊き返してしまう。
「そうっすよ。『魔女』が放った、たった二発の大規模魔法で、何百人が死んだか知ってるっすか? 五百人とも千人とも言われてるっす。その時の生き残りは、奴隷になって、この辺りで働いてるっす。まあ、あの魔法を見てたら心が折れるっす」
「その――――貴男はその、凄い魔法を見たことがあるんですか?」
「違う魔法っすけどね。大地に大穴を空けたっすよ。三発も撃てばロンデニオンでさえ壊滅状態っす。彼女一人の侵入を許しただけで、そうなることが想像できる人間なら、安易に敵対しようとはしないっす」
「………………」
「でも、代替わりして、何十年後かにはきっとプロセアは愚かにもきっと攻めてくるっす。残念なことっすけど、その時、帝都は地図から消えるっす」
「なっ…………」
なんと不敬なことを! と言おうとしたリーゼロッテだが、男が淡々と、しかも大まじめに言うので反論できなかった。ララの方は、リーゼロッテよりは客観的に男の話を聞けていたので、朧気ながら、これが皇族に対しての警告ではないか、と訝しんでいた。つまり、自分たちの正体というのは、早々に割れていたのではないか、と。
「数十年先、とは言いますけど、その時に『魔女』が存命とは限らないのでは?」
「後継者を育成しないと、どうして思えるっすか? それに、『魔女』は長寿種族っす。予定外のことがなければ、次の報復戦は彼女の手によって行われるっす」
リーゼロッテとララは、『魔女』の後継者、と聞いて、レックスを想起した。彼が、帝都を攻撃する………。それは想像したくなかったが、妙に現実味のある想像だった。
「帝国は…………そこまで愚かではないと思いますが?」
「ああ、帝国を卑下しているわけじゃないっす。ただ、人は忘れる動物っす。国は傾くと制御できずに内側に目を向けずに外に目を向けるっす。何十年も前に負けた国があれば、国威発揚の名目で攻めたくなるっす。こっぴどくやられた記憶が薄れていれば尚更っす」
リーゼロッテとララは目を見合わせた。この男はどこまで知っているのだろうか。さすがのリーゼロッテも、これが皇族である自分へのメッセージだと気付いた。
「それは何かの夢物語で、グリテンが持つ願望でしかありません。帝国はそこまで墜ちはしません」
リーゼロッテは根拠のない反論をした。しかし……恐らくは、この男の言うことの方が正しいとも感じていた。
ヴィンフリート、オルトヴィーンが健全な状態で、グリテンにちょっかいを出さなければ、帝国の未来は安泰だったのではないか。しかし、現実には正反対の行動を取ってしまった。
帝国は、自ら崩壊へ進む、時計の針を進めてしまったのだ。ヴィンフリートとオルトヴィーンが感じているのは禁忌に触れてしまった後悔と申し訳なさなのだ、とリーゼロッテは今更ながら気付いた。
「わたくしが……させません」
「そうっすか。脱線の上に蛇足っす。申し訳ないっす」
あまり謝意が感じられない男の言い方に反感を持ったものの、元々はララが『魔女』の解説を求めたという負い目があったために、リーゼロッテとララは口を噤んだ。
* * *
当初、リーゼロッテは迷宮内部のガイド――――を依頼したのだが、これは丁重に拒否された。
自殺ですか? と真顔で言われ、おやめなさい、と慈愛の表情で諭されて、説得している間に受付の奥から顔を出してきた、この男が案内を承ることになった。
依頼内容は少し変えて、迷宮の概要、ポートマット西迷宮周辺の案内、そして、入り口ホールまでの案内。譲歩と妥協を重ねた結果、そう落ち着いた。
ポートマットを見聞する、というのであれば、迷宮の一つでも見に行かなければ。本当なら、冒険者を装ってでも迷宮の中に入り、体感した方がいいのだろうが、それはララに全力で拒否された。内部で魔物と戦うのはララであっても、低階層のゴブリン数匹が限度だろう。そんな実力であればリーゼロッテを守りながら、彼女が安全に観察するのを助ける、というのは論外だ。
それに、迷宮とグリテンの関係性を知りたい、というのであれば、別に迷宮に入る必要はないだろう。
「じゃあ、さっき作ったギルドカードを使って、迷宮のホールに入るっす」
男は首から提げていた自分のギルドカードを取り出して、二人に見せる。
「さすがに戦闘は無理っす。冒険者ギルドとしてお二人に提供できる、最大の誠意と敬意だと思ってくれればありがたいっす」
リーゼロッテとララは、自分たちの手に握られていたギルドカードを見る。金属の枠に半透明の水晶らしき四角い石が填め込まれていて、その色は薄い緑色をしていた。ちなみに男が持っていたのは、水晶の部分が薄い赤だった。これはランクによって違うらしいのだが、どのランクが何色か、ということは説明されなかった。
この迷宮に入場するにはギルドカードの発行が前提となる。それで二人はギルドカードを作ってもらうことになった。これを発行する、ということは、リーゼロッテとララは晴れて冒険者となり、『ポートマット西迷宮出張所』所属、ということになるのだが、所属については大陸の冒険者ギルドに異動届けを出せば現地でも使えるようになる。
それよりは姫と騎士が冒険者の称号を持つことに不具合はないのか、と言うと、これはあまり問題視されない。というのは、リーゼロッテとララのランクは『初級』であり、そのランクで冒険者を自称するかどうかは本人に任せられる。登録さえすれば、誰でも冒険者ギルド所属になれるものに、確固たる意味があるとは思えないからだ。
ギルドカードは見ればかなり立派なもので、それを毎回無料で作成していたら、その分は赤字ではないのか? と男に訊いてみると、
「ああ、本当に冒険者ギルドに貢献して、利益をもたらしてくれるのは全冒険者のホンの一握りっす。で、その人たちが稼いでくる金額に比べたら、その登録料なんて微々たるものっす」
という答えが返ってきた。どうやら稼ぐのは百人中一人いればいい方らしい。
「だから、それはお土産、記念品だと思って大陸に持って帰ってほしいっす」
男はそんなことを言いながら先導する。リーゼロッテもララも、当然だが大陸から来た、なんてことは伝えていない。だが、トーマス商店の美少女店員の対応といい、この男の対応といい、一々先回りしてくる。
ここまで来ると、自分たちに与えられているのは、情報統制の結果、一部が開示されているだけじゃないのか、とララは思うようになった。グリテンやポートマットに都合のいい情報しか見せてくれない、そんな気がしてくる。そんな得体の知れない思惑に包囲されているのは精神衛生上、健全ではない。一体、どこから自分たちは先回りされて、情報を統制されていたのだろう。そこまで思い至ると、ポートマットに降り立った時点にまで遡り――――旅先での素敵な少年との出会いまで、仕組まれていたのではないか、と全てに疑いを持ってしまう。
薄々、リーゼロッテも、気付いているだろう。時折、男に質問したりはしているが、きっと返ってくる答えは表層上のものだけだ。だが、自分たちは諜報部員ではないのだし、姫のお忍び調査旅行としては、この辺りが限度ではないか。
諦観がララを支配しつつあった。それはこの旅行の終わりが近づいている、ということでもあった。
* * *
男に先導されてリーゼロッテとララが石造りの階段を降りる。降りて暫く歩くと大きな石扉があり、そこから少し入ったところに、不思議な銀色の箱が通行止めをしていた。
箱の脇にある読み取り部にギルドカードを触れさせると、黒い板が左右に割れて、通行が可能になる。
「へ、へぇ~」
何という不思議な仕組みだろう! リーゼロッテとララは思わず瞬きを繰り返す。
「出る時にも同じようにして出るっす」
何のために、こんな不思議なことをしているのかはわからなかったが、とにかく仕組みもわからないし、物珍しさで思わず天井から床から、色々なところを見渡してしまう。
「あ、魔法陣……」
天井には大きな魔法陣が記述してあった。
「何の魔法陣かは知らないっす。ウチらにもわからないっす」
何でも知ってるっす、みたいな顔をしているくせに、本格的にわからないこともあるんだな、とララは意地の悪い笑みを浮かべた。
ホールには何かの受付カウンターみたいな場所があり、そこにはガラスでできた美しい人形が立っていた。
「あのガラス人形は、理由もなしに触ると怒るっす。上級冒険者でもあっさりやられるっす」
「え……」
ガラス人形は少女の姿をしていて、動くとはとても思えない。
「何故、侍女服を着ているんでしょうか?」
「わからないっす。多分、迷宮管理者の趣味っす」
「はぁ……」
とんでもなく緻密な服だ。これが侍女服? とリーゼロッテは感嘆するしかない。まるで、『ザ・リバース』が渡してきたパンツのような、一針に愛が籠もっているような……。
「さ、あまり長居できないっす。周辺も軽く案内するっす」
男の話によれば、迷宮は内部にいる者の魔力を吸い上げるのだという。その魔力で迷宮が運営されている……とのことだった。自分なんかの極小の魔力を吸って、それで魔物牧場が運営できるのは感覚的に収支が合っていないような気がしたが、ララは口には出さなかった。
帰りも同じようにギルドカードを箱に触れさせてから、外へ出る。
太陽が傾きかけているが、まだ時間的な余裕はあるだろう。男は山の方へ案内して、少し高い位置から迷宮関連施設について説明を始めた。
「あそこが工場っすね。あっちも工場っすね。両方ともトーマス商店が仕切ってるっす。迷宮支店があるのもそこっすね」
トーマス商店と迷宮とは根深い関係があるようだ。リーゼロッテとララは、もちろん、トーマス商店、と聞くと条件反射のようにレックスを思い出してしまう。
「あの……奥にあるのは?」
リーゼロッテが北側の構造物を指差した。
「騎士団の演習場っす。…………ん?」
その、騎士団の演習場、とやらがどうにも騒がしい。上から俯瞰してみれば、広場にいるのも、全体として冒険者よりも、装備が揃った、騎士団員風の人間が多くいるようにも見えた。
「何かあったっすかね……」
男が異変を口にした。ララには、それが何なのか、経験上、すぐに察知することができた。
「どこかに攻め入ろうとしている騎士団のようですね」
それを口にすることは自分から正体をバラしているようなものなのだが、ララは気にせずに伝えた。
「ははぁ、なるほど……」
男は状況を見て、加えてララの発言を聞いて、すぐに合点がいったようだった。
「何かあるんですか?」
「いや、何でもないっす。向こうが大浴場、向こうの池が……」
何かあるんだな、とララは訝しげに男を見るが、男は飄々と迷宮周辺施設の案内を再開するのだった。




