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少年と細身少女


【王国暦122年11月2日】

【帝国暦319年11月2日】


「ちょ、ちょっとレックス、やめ、やめて……」

「いいえ、やめません。ほら、本当に綺麗です」

 レックスの指先がピリピリとした電気を帯びているかのように、皮膚を這い回る。

「うそ……」

「嘘なんかつきませんよ。ほら、こんなになって……」

「あっ、本当にだめ、やめて、離して、触らないで」

「いいえ、離しませんよ」

 レックスは真顔で、優しく優しく指を這わせ続ける。

「いや、ぁ……」

「ここです、ね」

「やめ、て……」

「やめません、よっ」


 レックスと艶めかしいやり取りをしているのは、トーマス商店の従業員で、リーゼロッテたちが細身、と呼んでいた少女だ。

 この少女はプライベートだと物凄く寡黙で、無表情の仏頂面、かの魔法天才少女サリーと見かけの性質は似ている。元々、レックスはこういった寡黙な少女と寡黙なやり取りをするのが大好きだった。もう本能的にも後天的にも好み、と言っていいだろう。


「………………」

「鏡を見て下さい。どうですか?」

「…………?」

 レックスに促されて鏡を見ると、そこには体型が変わった自分がいた。細身少女は口を四角にして驚いた。

「うーん、凄いですね、ここまでとは……。本当に綺麗ですよ。上着を着てみて下さい」

「あ、うん」

 細身なのに乳房が目立って見える。お尻もグン! と上を向いている。何だこれは、レックスは魔術師なのか? いや錬金術師? じゃあなにか、自分は金属だっていうのか? そういえば彫金とか鋳造とかしてたな、コイツ!

 などと細身少女は寡黙な反面、良く回る頭で瞬時に考えた。

 細身少女も例の教会の孤児院出身で、レックスよりも年長だったのに、トーマス商店に入ったのは後だという、非常に微妙な関係の二人だ。レックスは素直でニコニコを崩さないため、孤児院では悪意に直面することも多く、虐められがちだった。それがこんなに逞しく、頼りがいのある少年だったとは…………いいや、やっぱり虐げられてこそレックスだ!


 反射的にシュッ、と手刀でレックスを殴ろうとした細身少女だったが、余裕を持って避けられた。

「恥ずかしがっちゃいけませんよ。いいんです、魅力的です」

 レックスのくせに! 細身少女は真っ赤な顔で追撃を繰り出すが、レックスに攻撃が当たる気がしない。この細身少女は、同居している上級冒険者に剣を習っている。自分にだって、それなりに実力はあるはずだ、という自負が、素直に負けを認めさせない。


 ビュオッ、ブォッ


 恐ろしい速さで風切り音を伴って手刀が走る。これは、かの女騎士エルマの素早い剣捌きに匹敵する速度だ。

 しかしレックスはそれをニコニコ顔で避ける。普通は『守護の指輪』が『障壁』を展開するはずなのに、レックスは指輪に入れる魔力を調整しているのか、展開させないように制御している。

「はぁっ、はぁっ」

「うん、動いても崩れません。完璧です」

 陶酔した表情のレックスに、細身少女はブルッと寒気を感じて、手刀を振るうことを止める。何だこれは、まるで逆らえなくなってるじゃないか……。これじゃあ、寝込みを襲う以外ないじゃないか……。

「くっ……」

 よくわからない思考に囚われる細身少女は、諦めて制服であるエプロンドレスを着た。

「あまり脂肪がないのは剣術の特訓のお陰ですね」

 そういうレックスも、実は同じ師匠から剣を習っていたりする。細身少女は夕方、レックスは不定期な時間にやることが多く、師匠が毎回立ち会うわけではない。そう実力は変わらなかったはずなのに……と、実力差を感じさせたことで畏怖も感じる。


「レックスは…………毎日剣を振ってるの?」

()()は消えちゃいましたけど、短時間でもやるようにしていますよ。いつもの海岸とかで」

「ああ……」

 人呼んで()()海岸。そこは例のプロセア軍が上陸しようと攻めてきた場所でもあって、『魔女』が大規模魔法を行使して、多数の死者が出た場所だ。

 そこは戦争当時、仮設の捕虜収容所が設営された場所でもある。戦後、特訓と称して収容所を魔法で破壊したため、魔法や攻撃スキルの練習は、何となくその場所でやる……ことが慣習になっている。初期には、漂着する水死体を『魔女』が火葬していた、という事情もあったようだが、その場面はレックスたちに見せることはなかった。


「………………」

 そうか、自主練習は続けているのか。であれば、先ほどの動きの素早さにも納得だ。細身少女は小さく唸った。

 そう言われてみれば、モチモチふっくらした印象のレックスではあるが、二の腕や前腕はかなり筋肉がついている。この年代の少年にしては力持ちだと言えるだろう。実は顔が丸いだけで、レックスは脱いだら凄いのかも……と細身少女は、恥ずかしさに火照った頭でドキドキしてしまう。

「…………!」

 ぶるぶる、と首を横に振る細身少女は、邪な考えを頭から追い出そうとした。自分を奮い立たせるように、エプロンドレスの腰についているベルト代わりのリボンを結ぶ。

「あ……?」

 腰の部分が細くなった? コルセットを着けているわけでもないのに? そんなの着たことないけど?

 目に『?』を描いた細身少女はまたまた口を四角に開けてレックスを見た。

「別に内臓を動かしたわけじゃありません。筋肉質な体といえど、多少の脂肪はありますから。特に背中側ですね。それをこう、自然にブラのカップに収めただけです」


 ブラジャーやパンツの着付けは、『魔女』に習ったものの、レックスの技はそれを凌駕しているように感じられた。そう、これはもう(スキル)じゃないのか。細身少女はそう考えるに至る。


 ところでこの世界でスキル、と呼ばれるものは、大まかにいって魔法と技能とに分けられる。

 魔法であるものなら、特殊なものを除いては魔法陣として記述が可能で、それを魔道具の形にすることで、潜在魔力量が少なかったり、魔法を使えない人でもとりあえずは使うことができる。対して技能は魔法陣化するのが難しいものが多い。これは単純に経験や修練によって身につくものだから、と言われている。出張中の『魔女』なら、もう少し突っ込んだ説明をしてくれるはずだが、現在、彼女はポートマットには不在である。


「こっ、こんな着付けっ……新しい人たちにもっ?」

 寡黙な細身少女としては精一杯の問いだった。

「しましたよ? 皆さん、大いに体型が変わって素敵になりました!」


 ニコニコしているレックスだが、そこに恥じらいは全く見えない。触れられる事には慣れていないくせに、触れることは熟練の手管だ。この危うさ、アンバランスさが、今のレックスをかえって魅力的な少年に見せている。今現在は()()()だが、いずれ、意識してやることになるのだろう。そうなったときに、新たな女殺しが誕生するのだ………。


 細身少女が言ったように、『トーマス商店繊維部・下着課』、通称『下着屋トーマストーマス・アンダーウェア』の店舗では、新たに四名を採用していた。応募自体は二十名あり、四名が下着課に、四名が本店と迷宮支店の要員として採用されている。

 この八名はいずれも女性だ。


 採用基準は一応あって、読み書きと簡単な計算問題を出題して、後は志望動機と本人の家庭の事情の調査。年齢と美醜はあまり重視されなかったが、トーマス商店で働く従業員がどれも可愛いか美人か……(これはトーマスが選んできている訳だが)であるため、女性に関していえば暗黙の了解で容姿に自信のある人しか応募に来なかった。

 採用されなかった十二名は、すぐに人物の背景が判明しなかった――――というのが、実のところ、不採用の本当の理由である。トーマス商店には商売上の秘密が多く、現状では従業員からの情報漏洩を防げる体制が整っていない。そのため、どこの誰であるか判明している、人となりが既に知れている……応募者を優先して採用した。


 不採用の十二人中六人は男性で、うち二名が中年。この中年二名と、少年二名は、トーマスによれば、恐らくスパイだろう、ということだった。レックスにはわからなかったが、トーマスの情報網に引っかかったのだろう。

 残り六名の女性のうち、二名がポートマットの定住者ではなく、残りの四名は純粋に筆記試験で落ちた。

 スパイに関しては今回採用した八名の中にいるかもしれないが、疑うとキリもない。『魔女』が戻ってきたら正確なところを()()もらおう、ということになった。


 その時には、今回の不採用者(本人たちには保留、のように言ってあった)の出自もハッキリしているかもしれない。レックスとしては男の同僚が欲しかったところでもあったので、望みのある少年二人とは、何らかの形でコミュニケーションを取っていこう、と思っていた。女所帯のトーマス商店にあって、一人だけ男子、というのはやはり肩身が狭く、ハーレム職場というものを誤解している人たちからすれば、文句を言いたくなるレックスである。


 さて、採用八人のうち、年長の四人は、下着課に専属となった。

 未亡人で木工家具屋さんの主人の妹。

 元ウェイトレス。

 元娼婦。

 元雑貨屋の娘。

 このうち、元雑貨屋の娘は、トーマス商店が潰してしまった店の一つで、罪悪感と責任感からか、店主のトーマスがねじ込んだ人材でもある。トーマスは商業ギルドの支部長でもあるので、人道的な気遣いもしなければならない立場だ。市場を席巻することは面倒も生む、という証左だ。

 未亡人などはレックスの母親と言ってもおかしくない年齢だが、しっかりレックスによる『着付け』の洗礼を受けた。四人が四人とも、洗礼後には潤んだ瞳でレックスを見つめた。丁度、いまの細身少女のように。


 彼女たちは採用決定後、丸々一日をかけて下着の知識、着用方法についてみっちり教育を受けた。文字通り体を張った教育だったが、教えるレックスが熱意に満ちていたため、性的なことは一切なかった。……なかったのだが、火照ってしまった体は恨みがましい視線をレックスに送ることになった。それが潤んだ瞳の正体でもある。


「そう……」

 本当に考えられないことで、自分でも自分の気持ちがよくわからない、と細身少女はレックスを見つめた。今、細身少女を支配しているのは、嫉妬の感情だった。虐げる対象だった、弟のような存在…………やさしく丁寧に触られただけでこんな気持ちを持つなんて、自分はなんて安い女なんだろうか、と自虐的になりながらも困惑する。


 この細身少女は下着課に専属ではなく、隣の本店から一時的な責任者として動けるように、という考えから、レックスの洗礼を受けた格好だ。そうしないとレックスが動けなくなるからで、いかに本人が下着に情熱を燃やしていても、周囲はそれ以外の仕事も要求してくる、ということだ。


 たとえば、『魔女』もサリーもいない現在、トーマス商店で使っている魔道具(入り口扉や金庫、レジスターなど)の管理が出来るのはレックスだけだ。新人が増えたこともあり、レジ端末には使用者の()()()()を登録しなければならないのだが、その登録操作が出来るのはレックスだけだったりする。


 また、本来の店長であるドロシーも店長業務だけではなく、商業ギルドの方の寄り合いに出席したり、例の裏会議にトーマスの代理として出席をすることもあったりで不在が多い。その時に店長代理(常連客からは小型店長、と言われて親しまれている)をするため、本店にも一定時間いなければならない。

 いずれは常駐の四人を交替制にして、彼女たちだけで回すことを考えるとしても、立ち上げて間もない店では、何が起こるかわからない。だからトラブルに対応できる人材が目を光らせていた方がいいのだ。

 いかにレックスとはいえども分身はできない。

 一つカラクリというほどではないが、雑貨屋としてのトーマス商店本店の販売ピークは開店直後の早朝だ。そこから午前中、ダラダラ…………と客足が続く。対して下着屋が開店するのはお昼前(閉店は夕方過ぎ)だから、レックス一人でも何とかなる、というわけだ。


 開店から今日で三日目ではあるが、トーマスがざっくり計算したところ、昨日までの売り上げから得られた利益で、もう出店の(イニシャル)コストは回収したとのことだった。

 まさかポートマット中の女性が買いに来た……ということはないだろうが、客数から判断すると、二日間で(住民の半分が女性、という大雑把な考え方で)二割から三割の女性が来店したことになる。


 今は本店の朝ラッシュが終わったところで、下着屋の開店準備中。細身少女がレックスの洗礼を受けて悶えているのに、側にいる四人は、素知らぬ顔で掃除をしたり、箱からパンツを取り出して並べたり……している。

 なお、レックスには残念なことに、ブラジャーの方は量産性が悪く、『魔女』が作ったブラジャー(迷宮製)と比較して質も落ちる。まだ満足のいく製品はできていない。

「お店…………開けるよ」

 細身少女が自分の羞恥を隠しながら背中を向ける。


 レックスは細身少女の背中――――正確には浮き出たホック――――を目で追った。

 早く夏にならないだろうか、それまでに普及品のブラジャーの完成度をもっと上げなければならない、そんな使命感に燃えるレックスだった。





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