騎士団団長と逃亡者
【王国暦122年11月1日】
【帝国暦319年11月1日】
ここのところ、街の内外が騒がしいな、とアーロン・ダグラス騎士団長は領主の館にある会議室に着席して、ウンザリした表情を隠さなかった。
アーロンの背後には副官の女性と、副騎士団長であるフレデリカ。フレデリカは目を瞑って体を左右に揺すっていた。
いわゆるポートマットの『裏会議』は、軍事的な話であっても、一見門外漢なユリアン司教やトーマスも呼ばれる。会議のトップは領主のアイザイア・ノーマンではあるが、影のトップは冒険者ギルド支部長のフェイ・クィンだろう。そのフェイ曰く、軍事行動が金になるときもあるし、宗教も無関係ではないから、とのことだが……。
その感覚に違和感を持つようなアーロンは、自分には政治センスが欠如してるのではないか、と自虐的にもなる。何のことはない、一つの出来事は複数の遠因によって成り立つ、ということでもある。街の運営に裏から関与することが多くなり、多少は鍛えられてきた……という自負はあったが、今回の『ザ・リバース』の件は騎士団が深く関わる、正しく陰謀というものだ。
それにしても、あの計画の骨子は、あの少年が立案し、提案したものだ。末恐ろしいと思うと同時に、アーロンは羨ましくなった。自分に欠けているモノを、あの少年が持っているからだ。
「団長?」
真面目一色の副官が、心配そうにアーロンを覗き込む。
「ん? 大丈夫だ」
余計な事まで気を回す副官は、アーロンにとっては欠くことの出来ない存在だ。なんだ、自分は才能には恵まれていないが、人材には恵まれているじゃないか。それでいいじゃないか。
そう思うことでアーロンは少し気分が軽くなった。副騎士団長の居眠りを思うと少し気分が重くなって、相殺されてしまったが。
「お待たせした。早速始めよう」
領主アイザイアが入室すると、出席者は別に領主に敬意を見せるわけでもなく、呼び出された苛々を表現するでもなく、淡々と議事進行をするように、と促した。
「今日は二件だな。まずは、あの少年が提案した件だ。なかなか成果を挙げているようだな」
アイザイアがそう漏らすと、ユリアン司教が発言を求めた。
「教会に来訪する人が、信者かどうかを問わず激増しています。嬉しい悲鳴ということですか。改宗、入信する人も激増しています」
教会に足が向くのは、『浄化』の魔法を無償で行使しているためだ。病気に対しての予防、という点では、『洗浄』と併用すると効果があると言われている。元々、娼館街で働く人たちは、ガサ入れ以前から、娼婦、男娼に拘わらず、定期的に教会に赴き、『浄化』を受けなければならない。
浄化を受けた証明証が、個人に対しての営業許可証になっているからだ。『浄化』を受けるなら教会、と周知がされていたこともあるが、『ザ・リバース』が暗躍したことで、再度徹底された、と言えるだろう。
「ウチもな。売れに売れてはいるんだが…………」
そう言うトーマスの顔はあまり喜んではおらず、複雑な表情、と言えばいいか。
「……うまく行きすぎているのがちょっと怖い、か?」
フェイがトーマスを代弁する。トーマスはゆっくり頷いた。
「そうなんだよなァ。ここまでとは思わなかったんだ。計画性の高さが我が従業員ながら恐ろしいな」
その思いは輩出した側の孤児院を管理するユリアン司教も同じ思いだろう。
「脱がされた娘さんたちには申し訳ないとは思うがな。騎士団の方はどうだ?」
アイザイアが多少の罪悪感を表明するが、それもきっとポーズだろう。話を振られたアーロンは、寝込んでいるエルマを思うと、これも申し訳ない気持ちになった。
「騎士団の方は少々荒療治だったかもしれない。……担当者が寝込んでいる」
ちょっと恨みがましい気持ちもあったのだろう、言葉には非難の色が混じる。
「しかし、それも織り込み済みだろう? 何か必要な支援が欲しいなら、こちらでもするが?」
「いや、騎士団の装備などの話ではないから、それは不要だと思う。配置、運用効率を考え、練度を上げる。愚直にやるしかない」
「……それこそ、仮想敵を常設すればいいんだろうがな……」
フェイが恐ろしいことを口にしたので、アーロンは高速で首を横に振った。
「ふむ。騎士団も混乱しているだろうからな。当面は落ち着くまで、例のパンツ仮面には暗躍させないようにしてくれ」
「わかった、それがいいと思う。本人もやたらに多忙だしな」
トーマスが承るが、実際には二号や三号もいるので活動は可能だ。それでも、領主の判断は、これ以上の刺激は不要、ということだ。アーロンも、その流れの方がいい、と賛意を表明した。鍛えるためとはいえ、無為に騎士団員を傷付けてしまうやり方は良くない。それに領民も傷付けているのだから。
アイザイアはその辺りをキチンと理解しているのだろうが、大のために小を傷付けてもいい、という論法は、アーロンには危うく感じられた。
それは、この計画を発想した、あの少年にも言えることだ。彼は騎士団で監視しないと危険な人物ではないのか? 『魔女』が存在しているうちはいい。だが、枷が外れて、ポートマットで実力を認められ、いずれこの裏会議にも毎回出席するようになり、暴走を始める可能性があるのではないか? あの時は三つの案件を同時に進行できる上手い手段だと裏会議がお試しにやらせてみた――――という感じだったが……。
もしかしたら、『魔女』以上の怪物を、我々は育てているのではないのか?
出席者の全員が同じように感じている、とアーロンは信じたかった。正義なんてものはこの会議にはない。綺麗事だけで領地の運営など出来ないことは理解できるが…………。
それも今更だな、と心の中で自嘲する。だがせめて、あの少年だけは監視を続けよう。アーロンはそう決意した。
* * *
「次だ。ボンマットのことだ」
議題、というよりは話題が変わる。この裏会議は、ちゃんとした議題があるときもあるし、世間話風に始まる時もある。後者は複合的な要因や影響が見られる場合に多い。
ポートマットから西に行くと迷宮があり、その西には標高の低い山がある。
その山を越えて西に行くと、断崖絶壁の上に強引に作ったような街がボンマットだ。
古い言葉で『~マット』は平らな土地を示す。ポートマットは港町にしては珍しく平地の連続であるから、それは納得できる話だ。では、ボンマットはどの辺りが平地なのかというと、崖が元々平らだったからだ、と言われている。それを段々に削って削って港の形にした―――――のはいいが、肝心の潮の流れが悪く、お世辞にも良港にはならなかった。
それでも、この土地を任された領主、ペティンガー子爵は、二代に渡って領地を守り、細々と暮らしながら平らで居住可能な土地を広げ続けた。それは正しく偉業としか言いようがない。
状況が変わったのは先代の時だった。塩の製造が金になると踏んで、領地の生産事業を、全て塩だけに集約したのだ。領民たちの汗も混じっているだろう塩は価格競争の結果、想定外の安値で市場に流れた。隣町であるポートマットの塩産業は壊滅、ボンマットはポートマットや、王都ロンデニオン、西の隣町ブリストに塩を供給する産地としての地位を築いた。
しかし、それも先代が身罷り、当代領主になると雲行きが怪しくなってきた。大陸から岩塩が輸入されるようになり、ブリストでの塩の生産が始まると、ボンマットの塩産業は再び価格競争に晒されることになった。
塩に胡座をかいていた間、他の産業を育成できず、農地も拡張できず、植物も生えておらず、石は切り出しても運ぶ手段を確立できず――――。
領地と領民の生活は一気に厳しくなった。
凡庸な当代領主は有効な対策を打てずに、ズルズルと時が過ぎ、悪化した治安をどうにかしようとしたが…………最初に反乱を起こしたのは治安を維持するべき騎士団だった。数人の臣下は揃って反逆し、領主に打つ手はなかったかに見えたが、それを救ったのは現地の冒険者ギルドだった。
「再度治安が乱れているという話は聞いていると思う。フェイ支部長?」
領主から話を振られて、ダークエルフが話を引き継ぐ。
「……うむ。……端的に言って、暴動が起こりつつある。……原因は……」
「『魔女』か……」
トーマスがこめかみを押さえた。
「……直接の原因ではないが、最後の一押しをしたのは間違いない。……『魔女』の監視に子飼いの冒険者を使わざるを得なかったんだな。……それで治安維持に必要な人材まで投入していたら、動かせる駒がなくなって、統制が効かなくなっている、というところだ」
「なるほどな。領主は、こうなることを想定していて、『魔女』にボンマットを経由させたのか?」
今回の『魔女』の出張は、ボンマットよりも北西にある港町、ブリストに魔道具の納品をするのが目的で、距離的には遠回りでも道のいい王都経由が当初は予定されていた。ところが、アイザイアの依頼により、経由地をボンマットに変更したという経緯がある。
「今後、ポートマットは山裾の南側に沿って、西側に広がっていくのは既定路線だ。あまりにも東西に長くなれば、ボンマットも当然商圏に入る。予備調査くらいのつもりだったのだが……治安悪化までは想定外だ」
アイザイアは若き領主である。本来の出席者五名の中では、『黒魔女』を除いて一番若い。しかし表だっての立場は一番上なので、尊大な話し方を意識しているのだ。
軍事と経済を他者に握られている現状では、領主のできることはあまりにも少ない。つまりアイザイアは傀儡に近い存在なのは間違いない。だが、本人がそれを望んでいるとは思えないし、この会議の目指すところはアイザイアが理性と経験とカリスマ性に溢れた領主への育成、でもあるので、出席者は領主を立てて発言をしている。
とはいえ、騎士団は領主の私兵に過ぎないのに、こうして裏会議のメンバーの一人として出席を要望されているのは、領主のやることに意義を唱えられる立場にいる、という意味では正常ではない。それでも、街を良くしたい、という気持ちは同じだと信じたい。そうでなければ騎士団長などやっていけない。
「……ブリスト南迷宮の立ち上げもな……。早速揉めたしな……」
本当に『魔女』は、いたらいたで内部に、不在なら外部と揉める。颯爽と走るトラブルメーカー以外の何者でもない。結局はポートマットの利益になって返ってくるので、この裏会議のメンバーは、彼女に否とは言えないのだが。
半月ほど前、ポートマットの住民である『魔女』が、他領の遺跡を掘り起こして、そこで先住権を主張させた。形式上は別に管理人がいて、『魔女』がそのお手伝いをしただけ……ということになっているが、この会議のメンバーは、誰一人として、それを素直に信じていない。ポートマット西迷宮は実際に『魔女』一人で発掘、再建したものだし、迷宮の有用性も、危険性も熟知している彼女のことだから、そうしなければいけないという判断があったのだろう。
まあ、いずれにせよ程度問題だな、とアーロンは納得する。
アーロンは以前、武力を背景に『魔女』と脅し合戦をしたことがある。が、彼女に対峙したことを、会った瞬間に後悔した。そして軍門に下ったのである。
個人的な武威もそうだが、『魔女』は見ている場所が自分たちとは違う。遠くを見ている時もあるし、近場しか見ていない時もあるが。
例の少年は、『魔女』の薫陶を強く受けているという。女性用下着としか思えない魔道具を見せられた時、アーロンは年端もいかぬ少年に恐怖した。いずれ、あの少年は策謀を持って、ポートマットやグリテン王国に大きな影響を及ぼす人物になるのではないか。
曰く、大物の片鱗を感じたのだが、それはアーロン騎士団長をして、すでに精神的に負けているということでもある。いい年齢の大人としては、そこに悔しさを持つのが本来の姿だと思うが、『魔女』との接触以来、見た目だけで判断することは危険である、と学習もした。だから、周囲の調整役として動くこと、それがポートマットの騎士団長としての仕事だと、割り切るようになっていた。
「ノクスフォド領地、ブリスト騎士団とは結局、手打ちは済んでいる」
アイザイアの補足に、アーロンは頷いた。迷宮の奪取に動いたブリスト騎士団は撃退されたらしい。ブリストはグリテン王国第二の都市で、その騎士団を相手に『魔女』は一人の死者も出さずに撃退したのだという。
本来、これはブリストの街を含むノクスフォド領地とポートマット領地の戦争になりそうな案件である。だが、双方無傷で乗り切ってしまい、これも結果論としか言えないのだが、ポートマット領地とブリスト領地は政治的に接近することになった。雨降って地固まる、というやつだ。
「そこで、ボンマットへの対応は、ノクスフォド領地……まあ、ブリストの街だな。ここと合同で当たることになった」
「なるほど、遠征ということですな」
アイザイアの説明に、アーロンは、副騎士団長まで呼び出された理由に納得する。
「うむ。五日までに救援依頼があれば、その時点で出発。救援依頼がなくとも、五日には出発。ポートマットは、ボンマットに軍事介入する」
アイザイアは少々面倒臭いな、と肩を竦めた。
「最終的には占領、ということでよろしいか?」
「いや、領主を軟禁、までだろうな」
なるほど、あくまで救援の名目だったか。領主かその係累を確保してこそ任務達成ということだな、とアーロンは理解した。
「了解した、伯爵閣下」
「うむ」
アイザイアは大袈裟に頷いてみせた。
「しかし、懸念がある。向こうの戦力が把握できていない」
アーロンの口調は、雰囲気としては若者を諭す大人のそれである。アーロンは他領の騎士団長と比較すれば若い部類で、アイザイアとは十歳も離れていないのだが。
「……それについては、冒険者ギルドが責任を持とう」
フェイが口出しをしてくる。
「続けてくれ」
「……報告によれば、現在、ボンマットの街を守備しているのは冒険者ギルド出張所、所長のカレル・リンド。以下、未登録の大陸出身者、中級冒険者が八名」
「おや? 以前はもっと人数がいたように聞いているが……?」
「……それは、例によって、カレルが『魔女』を過小評価していたということだろうな。……カレルが暗殺に送り込んだ上級冒険者を返り討ちにしたそうだ。……まあ、実態は『魔女』の暗殺は無理と踏んで、随伴する冒険者を始末したかったみたいだな」
「冒険者を? 何故?」
アーロンは疑問に思って訊いてみる。
「……このカレルは女たらしでな。……『魔女』と行動を共にしている冒険者の女の腹の中には、奴の子がいるんだそうだ」
「子供を母体ごと? 何で殺すんだ?」
今度は身重の妻を持つトーマスが訊く。
「……ああ、女を食い散らかしているのでな。……捨てられた女が怨嗟を子供に吹き込むんだな。……カレルは何度か自分の子供に殺されかけている」
会議室にいる全員が嘆息した。自業自得を体現しているような男ではないか、と。
「……まあ、それは余談だな。……そういうわけで、戦力は激減している。……それに加えて、ボンマット出張所の管理責任を問われているブリスト支部から、討伐隊が出ている。……本部からも応援がきているし、一両日中には無力化できるだろう」
「中級冒険者が八名、上級が一名。それを無力化できる戦力というと……?」
「……上級冒険者が四名と聞いている」
冒険者の理屈も計算もわからないが、その人数で大丈夫なのだろうか、とアーロンは顔を曇らせたままだ。
「……不安そうだな。……うち一人はブリスト支部長のカアルだ。……まあ兄弟喧嘩ではあるがな……。……上級冒険者四名という組み合わせ、これは市街地戦では動きやすい有効な数だと思う。……排除するだけなら二名でもいけるだろう。……いずれにせよ奇襲をすることには変わりない。……それに、本部からの応援は特級冒険者、『陰影』だ」
「ああ、あの―――――」
アーロンは深く納得した。あの『陰影』は『魔女』と互角の模擬戦を行ったことがある。そんな人物が後詰めなら安心だ。ちなみに冒険者ギルドには特定の冒険者に対して二つ名を決める慣習があり、『魔女』も『陰影』も二つ名で、当然だが本名ではない。
「そこでだ、ダグラス騎士団長。フェイ支部長とも話し合ったのだが、遠征隊は団長自らが行ってほしい。これは現地の舵取りが難しいということと、ポートマットの影響力を残してきてほしい、ということだ」
「それで副騎士団長を呼んだと。そういうことですな」
フレデリカは個人での戦闘力はあるが、あまり交渉事に向く人材ではない。ではあるが、留守中の騎士団を預かる程度なら出来るだろう。
「副騎士団長。留守を頼めるか?」
「無論です、騎士団長」
それまで目を瞑っていたフレデリカが、カッと目を見開いて首肯した。その姿を見て、フェイ支部長だけは、
「……天舞宝輪……」
と唸っていたが、どういう意味なのかは出席者の誰にもわからなかった。
「了解した。ポートマット騎士団は第一大隊を連れて、本格的に遠征の準備に入ることにする」
「うむ、頼んだぞ」
先遣隊や、場合によっては後続部隊の編成もしなければならない。留守中の編成についても話し合わなければ。
アーロンは素早く頭を回転させた。
* * *
それは突然の奇襲だった。
夕方になり、一杯煽っていたところだった。
大きな気配が近づいてくる。
明らかにこちらを狙っている。
感じる気配は特大のものが一つ、大きなものが二つ。三人だけで来る可能性は低い。もう一人か二人、隠密系のスキルを持った冒険者が随伴しているだろう。
この特大の気配は、弟だ。兄である自分を罰しにきたのだ。他の二つの光点も上級相当だろう。これは…………本気だ、とカレルは戦慄した。
その連中が町中に入る際には、門番を担当していた二人はやられてしまったはずだ。もう、町中には入られていると判断した方がいい。
「所長さんよ、どうするんだ?」
中級冒険者の一人が訊いた。所長、と呼ばれた男はエルフだった。カレル・リンド。冒険者ギルド、ボンマット出張所の所長である。
ただし、正式に出張所に配属されているのは彼一人だけで、その他の冒険者は、大陸の冒険者ギルドからやってきた人間だ。冒険者ギルドでは他地域から移動してきた冒険者には、現地冒険者ギルド支部への登録を義務づけているのだが、それに反して、彼らは現地の冒険者ギルドには登録していない。これは非合法の活動をする際によく使われる手段で、冒険者ギルドが懸念するように、領民の監視と抑圧のために、彼らは領主と直接契約していた。これも当然ながら冒険者ギルドの規約には違反する。
カレルを除いて、現在街にいる冒険者は八名で、全員が中級冒険者だ。うち二名は門番でやられているはずだ。他の二名は町中を見回っているところだろう。残りの四名がカレルと共にいる。
このまま、冒険者ギルドの出張所――――といっても場末の酒場そのものの店に居着いているだけだが――――に籠もっていてはまとめて狩られるだけだ。
「奴らは北から来てる。東から抜けて、北上してくれ。それで逃げられるはずだ」
「アンタは?」
「俺は連中を引きつけるために南へ行く。見回りの二名は運がなかったということで、俺が回収する」
要するに二手に分かれて逃げる、ということだ。連中の目的はカレルの捕獲だろうから、ここにいる四名が逃げ延びる可能性は高い。
出張所の地下室から地上に出ると、
「行けよ。全力で走れよ?」
と、中級冒険者たちに向けて格好付けた言い方をした。
「ああ」
「またな」
カレルは気配を大きくして、自らに敵の目が向くように、南に向けて走り出した。
中級冒険者たちはすぐには東に行かず、なんと、攻撃魔法を撃ち始めた。
「――――」
詠唱キーワードは聞こえなかった。馬鹿な奴らだ、俺が囮になるって言ったのに、テメエらが囮になってどうする……。カレルは舌打ちをしながらも連中の行動に感謝した。
気配を小さくして、目立たないように小さな街を走り抜ける。
ボンマットは崖の上の平地に作られた街なので、すぐに崖に出る。
他の奴らは、魔法攻撃をしながら、指示通り東方向へ向かっている。ここで攻撃魔法、恐らくは一番習得しやすい火系――――を撃つのは、他の街なら大火災を招くだろうが、このボンマットでは建物の数も少なく、石造りの建物しかないため、対人という意味では有用だろう。敵は魔法攻撃をしてくる方を狙うだろうし、実際、連中の方を重視して追い始めた。あの四人の中には正式な魔術師はいなかったはずで、放てる魔法は弱いものだろうが、それでも厄介だと思ってくれたらしい。
カレルは崖を飛び越えて、街のメインストリートである急な坂を、落ちるように駆け下る。
途中で製塩施設が目に入る。
ボンマットの富の象徴であり、領民からは搾取の象徴だ。自分にとって塩とは何だったんだろうか、と感傷的な気持ちになる。
坂を下りきり、積み出し用の小さな港に出る。小さな漁船が修理中なのか、船着き場に停泊していた。
追っ手の気配は―――――。近づいてはいるが、崖の上だ。如何に上級冒険者といえども、落ちれば無事では済まない。連中が追いつくには坂道を下らなければならず、まだ時間的な余裕はありそうだが――――。
暗くなった海面を見て、一瞬だけ躊躇する。
船でも盗んでいくか? 操船なんてしたこともないのに?
それでもカレルは船に近づいた。修理中で外装に使うのか、木板が目に入った。
カレルは手頃な大きさの板を手にすると、勢いを付けて、海に飛び込んだ。
「ぶはっ」
潮の流れは不規則で、溺れそうになりながら、とにかく岸から離れようと泳ぐ。海流は基本的には東から西に流れている。――――であれば、東に行くことができれば追っ手を撒ける。
生き延びるにはそれしかない。冒険者ギルドに粛清される前に、グリテン島から脱出しなくては。大陸に逃れて、また女を抱いて――――。そうだな、次は、姫様でも騙して、グリテンに戦争を仕掛けようじゃないか。
そんな、滑稽無糖だと自覚している想像をしながら、カレル・リンドは黒い海に消えていった。
彼が、どこかに泳ぎ着けたのかどうか、それは定かではない――――。




