姫様の引っ越しと下着専門店
【王国暦122年10月30日】
【帝国暦319年10月30日】
一ヶ月は三十日。つまり今日は月末だ。当然のことながら、これはグリテンでも帝国でも変わらない。
リーゼロッテとララは、あれ以来、『ザ・リバース』に遭遇していない。それでも一昨日くらいに一度出没したらしい、という街の噂は聞いた。
レックスは下着専門店の立ち上げに忙しそうで、ニコニコ顔を遠目に見るばかり。それでもレックスは気付いて、リーゼロッテとララに手を振ってくれるのが救いと言えば救いか。
あの多忙なレックスが下着強奪をしているヒマなどなさそうだし、仮に『ザ・リバース』が二人いるのであれば犯行は可能ではあるが、目立って騎士団が町中をウロウロするようになったからか、その活動は沈静化しているように見えた。
「でもララ、『ザ・リバース』が二人っていうのは想像に過ぎないわけよね?」
「それはそうですが……」
リーゼロッテの指摘に、ララは黙り込む。その根底には、レックスが『ザ・リバース』ではない、と決めつけたいという思いがある。だから別人説に拘りがあるのだ。それはリーゼロッテも同じなのだが、辱めを与えた相手がレックスであれば別にいいんじゃないか…………という思いがあるため、別人説を否定したくもある。
討論以前の会話をしながら、二人は『シモダ屋』の一階に降りていく。
「ああ、お早うございます」
青い髪のカーラが寝起きの顔を向けてくる。腫れた顔をしているのは皆同じなので、それについては言及しないのがマナーというものだ。
「お早うございます。予定通り、今日から迷宮の方に行きます」
「そうですか。朝食は?」
「頂きます。この宿に愛着も出てきたので、ちょっと寂しいですね」
ララは社交辞令を交えつつ、宿代の精算をする。
「安宿ですけどね。またグリテンにいらした時は寄ってくださいね」
確かに『シモダ屋』は安宿には違いないが、ベッドはしっかりしているし、部屋の清掃はキッチリしているし、何しろ食事が美味しい。帝国とは価値観が違うかもしれないが、快適に過ごせた料金としては格安に思えた。
リーゼロッテにしてみれば、帝国の姫としてこの街に来たのならば、決して泊まることのないグレードの宿だったろう。そうなるとツーナのステーキを始めとした魚料理や、カボチャプディングには出会わなかったかもしれない。
カボチャプディングは、あれから十箇所は回った二人だった。ララは『ザ・リバース』と対峙した時に鼻から噴き出したので、良い記憶を持っていない。リーゼロッテの方はそういったトラウマはないので、しっかりと味比べをしていたりする。だらしない体型の姫様内部ランキングでは、初めての衝撃が強かったのか、『シモダ屋』のカボチャプディングが一番美味しいとのことだった。ララとしては、鼻から出なければ、それは良いカボチャプディングなのであるが。
朝食を済ませて、その足で乗合馬車乗り場へと歩く。
前回は西の町外れまで歩いて行ったが、これは情報不足が招いた失敗で、前回降ろされた場所、ロータリーの東側に、定期乗合馬車の発着場があったのだ。
ララとしてはポートマットを歩けたことで見聞の足しになった、と思っていたが、歩くのが苦手なリーゼロッテは文句を言っていた。
そのリーゼロッテも、レックスに言われた、運動を適度にした方がいい、という助言を受けて、辛そうにしながらも、なるべく歩くようにしていた。あの、だらしない姫様に変化が現れたのだ。仮の従者ではあるが、ララにとって、姫様の変化は喜ばしいことだった。健康や体力作りなど、いずれ政治の道具として売られていく姫には不要、などと思われているのは確かだが、不健康よりは健康の方がいい。
それに加えて、精神面でも成長があった。『ザ・リバース』に襲われた経験が姫様を強くした……と思いたかったが、リーゼロッテにとってはレックスの存在が大きいのだろう。恐らくは、あの小さな少年に恋をしている。ララから見ていても、他人をあれほど思う姫様は健気で美しいと思った。
ただ、レックスは明らかにトーマス商店という大店の中枢にいる。生き生きと働いている彼を引き抜いて、帝国に連れて行くのは難しいだろう。だからいずれ帝国に帰らなければならないリーゼロッテとララにとって、レックスとの別れは必定である。
リーゼロッテの心の隅には、いっそ出奔してしまおうか、との思いがある。それは姉であるアンヌが出奔して冒険者になっていたという事実と無関係ではない。アンヌには冒険者になるだけの素養があったからこその出奔だったかもしれないし、そう何人も姫を自由にさせておく家ではない。姫は駒である……という教育をされて育ってきたのだ。エルヴィーネ、アンヌ亡き今、使える駒である自分が勝手に動ける状況ではない。兄がくれた最後の旅行……。これが最後の…………。
乗合馬車に乗り込んだリーゼロッテとララは、それぞれ、胸に渡来する、近い将来のことについて考えを温めた。
* * *
その店は、ポートマットで初めて、いやグリテンでも、世界でも初めて、女性用下着を専門に扱う店だった。
街中の噂になっている、『清潔な下着を身につけていないと襲われる』という話に尾鰭がついて、女性用下着の需要が急激に高まったため、前倒しで急遽開店――――――ということになっている。
確かに、格好としては急に開店したようにしか見えない。この開店時期についてゴーサインを出したのは店主のトーマスである。だが、出店を打診して、計画をして、トーマスに提案したのは、他ならぬレックス少年だ。
「ふうむ………」
トーマスは、開店後も長蛇の列が途切れない店を、外から眺めて感心していた。トーマス・テルミーはドワーフで、ずんぐりむっくりな体型の、髭面の中年男だ。
レックスに才能アリ、と見込んで教会の孤児院から選んで引き取ったのも、このトーマスで、その時は同い年の女の子、サリーと一緒だった。そのサリーは魔法と錬金術の才能を見せていた。それもグリテンでトップクラスになる素養がある、という。
レックスはサリーの影に隠れてはいたものの、堅実に積み重ねることを厭わない性格と、貪欲な知識欲、人当たりの良さで頭角を顕してきた。一体誰の薫陶なのか、策謀を張り巡らせるタイプの商人になりそうだ。
トーマスは今でこそ商業ギルドのポートマット支部長ではあるが、長らく副支部長だった。当時の上司……支部長はアイデアマンで、様々な案を出しては放り出す……という人物だったため、トーマスは毎度毎度後始末に追われる毎日を過ごしていたものだ。
一瞬、トーマスは前支部長を思い出すものの、明確な違いがあった。レックスには実行力があり、自らが動くタイプでもあったのだ。世が世なら、革命家にでもなれる素養がある、とまで感じている。
再び混雑する店頭を見やる。
トーマス商店本店の隣の店舗は、代替わりに失敗して、放蕩息子が手放した店だ。将来の拡張のための土地を確保する…………程度のつもりでいた。特に内装を変える必要もなかったため、何かの専門店として立ち上げようか、と思案していたところ、レックスから提案があった。
それが女性用下着専門店なのだが、レックスは周到にも脇を固めてから提案をしてきたのだ。
一月ほど前に王都からの難民が多数、ポートマットに流入してきたのだが、当然、ポートマット領地としては大いに困惑していた。主に住居と、働き口の斡旋に困ったのだ。
領地中が困っているところで、まずレックスは難民キャンプに赴き、裁縫のできる人間を集めた。裁縫については、妙齢であれば最低限の技量はあるので、多数が集まったらしい。数十人集まったところで簡単な縫い物で練習させた。講師役は自分と、現在女性用下着を縫っている職人(老齢の婦人だ)だ。そこで出来た縫い物というのが、男性用下着である。
大量に出来上がる、質のよろしくない男性用下着だったが、これをトーマス商店本店で、格安に販売した。これが意外に売れたため、難民の内職として一定の認知を得て、トーマスに対しても説得力を持つことになった。
難民の婦人たちの練度が上がってきたのを確認してから、レックスは女性用下着に移行させた。恐るべき計画性と我慢強さだった。そこで女性用下着の大量の在庫を得たレックスは、その販売元として、隣の空き店舗の活用を提案してきた、というわけだ。
一も二もなく了承したトーマスは、気をよくして、ポートマットの裏会議に、レックスを連れて行く。レックスの持つ先見性、計画性、忍耐強さは、ある意味で才能で、それは経験を積ませて鍛えたら、トーマス商店はおろか、ポートマット領地、ひいてはグリテン国内……を支配する商人に成長するのでは、という読みがあった。
つまり自分を超える、後継者候補として裏会議に随伴させていった、というわけだ。
トーマスは常に後継者について思いを馳せている。
以前は考えもしなかったことだが、来月には子供が産まれる――――というのは理由の一つに過ぎない。トーマスにはその他に養子扱いにしている子供がいて、ドロシーとサリー、そしてレックス。その他に四人の少女がいるが、こちらは保護者ではあるものの、まだ養子にはしていない。もう一人、通名では『魔女』と呼ばれるドワーフ少女の保護者でもあるが、これはまあ、別格で、どちらが保護者なのか、もうわからない状態になっている。
と、後継者候補が複数いて、誰に任せても遜色あるまい、と贅沢な悩みを持つトーマスだ。
レックスについては、裏会議に連れていったことで、街の暗部にも触れたわけで、これがレックスの転機にもなっている。
折しも、その日の議題の一つは、
「帝国の姫様とはな……」
そう、トーマスの呟きにあるように、リーゼロッテ・マーガレーテ・フォン・プロセアのお忍び旅行は、事前に察知されていたのである。
もう一つの議題は、公衆衛生の周知だった。
ついでにもう一つは騎士団からで、編成分けを行ったところ、どうにも第三大隊である警察組織の運用がイマイチ上手く行っていない、という愚痴にも似た話題であった。
これらは単なる情報や状況報告であり、公衆衛生の周知については、『魔女』の帰還(現在彼女は長期出張中である)を待って決定するので宿題に、という話になるところだったのだが、レックスが意外なことを言い始めた。
「この三つを一つにしてみませんか?』
と。
通常、裏会議に於いては、本出席者であるトーマス、フェイ支部長、アーロン騎士団長、領主アイザイア、ユリアン司教、これに加えて冒険者ギルドの迷宮出張所所長と『魔女』の七名しか発言権を持たない(迷宮担当者は仮の扱いである)。だが、レックスは怖い者知らずの子供でもあるので、臆することなく発言の機会を求めた。出席者の中にはレックスを侮る者もいたし、その提案を小馬鹿にした者もいた。
が、レックスの計画を聞いてみると、なるほどどうして、なかなかに上手い方法だ、というフェイ支部長からのお墨付きを貰い、裏会議出席メンバー全員がレックスの行動をフォローする、という流れになったのである。
つまり、
① 帝国の姫への監視と対応
② 領民への公衆衛生の周知と徹底
③ 騎士団警察組織の練度向上
という要件を満たす計画なのだが、諫める立場であったトーマスがレックスにそのまま意見をさせたのは、これが、
④ 女性用下着の売り上げ向上
に繋がっているからだ、と瞬時に看破したからでもあった。
それにしてもレックスに、その不思議魔道具を与えた『魔女』は、不在であっても騒がせてくれる。一見しただけでは、何に使うのかわからない魔道具であったが、それを着用したレックスを見て、普段は寡黙なフェイが一人だけ大爆笑していたのを思い出す。
「変態の天才か……」
トーマスは呟く。
その時にフェイは、レックスにそう言ったのだ。
変態の意味はその時にはわからなかったが、どうやら倒錯した性的嗜好を言うらしい。レックスを天才だというなら、きっとそうなんだろう。誰だって、他人に言えないような性的趣味の一つや二つや三つや四つ、あるものだ。トーマスはそうやって納得した。
「トーマスさん、こんにちは」
と、そこで後から声を掛けられる。果物屋の跡取り息子、ハミルトンだ。
「やあ」
トーマスはハミルトンに掛ける言葉がなくて、チラッと見ただけで店頭へ視線を戻す。
「繁盛してますね」
「ああ」
ハミルトンは、彼の世代ではガキ大将的な立ち位置にいる。周囲を引っ張る力を持っているし、よく働くと評判だし、商売熱心だ。
ポートマットで大流行中のカボチャプディングも、最初のレシピを完成させたのは、このハミルトンなのだという。研究熱心なところは、レックスとウマが合うのだろうな、とトーマスは髭をいじりながら思う。
レックスが提示した計画で必要な人材として挙げられていたのは、このハミルトンと、小柄で諜報に長けた冒険者一名。この冒険者はフェイ子飼いの中級冒険者に即決された。もう一つは口の硬い宿の提供。これは監視を容易にするためで、レックスは『シモダ屋』を指定してきた。
後は自分でやるので、騎士団の方は第三大隊を動かして頂ければ――――ということだった。アーロンが、自分やフレデリカも動かしていいのか? と聞いたところ、さすがのレックスも、それには拒否を示した。これは、鍛えられているであろう騎士団の集団よりも、現時点でレックスの能力(戦闘力と言っていいだろうか?)が上回っていると言うことだ。また『魔女』が何か処置をしたのではないか、と訝しんだトーマスだった。『魔女』が何かやった、といえばドロシーに対してもで、『認識阻害』の魔法を利用したと思われる魔道具を提供していた。ドロシーがミセス・エメラルドとやらに変身したのを見せられた時にはトーマスも両手を挙げて驚いてしまった。小娘だと信用が置けない……という場面では、変身して裏から暗躍するのだという。
「ふふ…………」
血が繋がっていなくても、同じ孤児院出身で、同じ店で働き、同じ人物たちから薫陶を受ければ思考回路が似てしまうものなのだろうか。
ドロシーの発想がレックスのそれと同じだということは、トーマスにとって微笑ましい事象だった。
ただ、一つ言わせてもらえば、片方は娼館経営で、もう片方は下着の強奪である。トーマス商店の利益になる、と理解してはいるが…………。ドロシーの方は義憤に駆られてということで理解はできるが、レックスの方は趣味や嗜好を最優先させているのではないかと邪推したくもなる。
「ハミルトン」
「はい?」
「君も下着を……?」
トーマスは、ハミルトンに、君にも女性用下着をどうこうする趣味があるのかね? と訊いた。
「健康な男子としては人並みに。ですが僕はちょっと特殊なので」
トーマスは、この後、ハミルトンに話しかけたことを非常に後悔することになる。
「僕は果物屋なものでして。果実から出る果汁が大好きでして……。ドロッとしたもの、鼻から出たものとか最高ですね」
ハミルトンが凄く明るくカミングアウトすると、やっぱりレックスと同類なんだな……と、トーマスは頭を抱えた。




