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噂とポートマットの人々


【王国暦122年10月26日】

【帝国暦319年10月26日】


 エルマ・メンデス破れる!

 そのニュースは騎士団に衝撃を与え、当のエルマはショックからか寝込んでいる。


 騎士団としては失った体面を取り戻したいという組織的本能が働くのが常ではあるのに、騎士団長のアーロンは、『ザ・リバース』対策に関しては実に消極的だった。

 早朝から対策会議が招集されたものの、激昂しているのは隊長クラスだけだった。


 騎士団によっても違いはあるが、ポートマット騎士団の場合は、騎士団長の下に副騎士団長。これは複数人いてもいいのだが、現在は一人だけだ。

 この下に四つの大隊があり、それぞれ第一~第三大隊と、教導隊という編成になっている。教導隊を除いた大隊には中隊が四つから五つ。その下に小隊が五つほど。各小隊は五~六名で構成される。つまり、一つの大隊は百名~百五十名といったところだ。


 かのエルマは第三大隊の第四中隊、第三小隊長、という立場ではあるのだが、第三大隊そのものが警察行動、つまりポートマット町内の治安維持をしているという性格上、小隊長クラスであっても『通信端末』が配布されている。


 ちなみに第一大隊は騎馬隊を含み、遠征軍の性格を持つ。第二大隊は防衛軍だ。両者とも軍隊そのものであり、重装備に身を包んでいる。

 このような部隊分けは最近になって行われたもので、王都騎士団の編成を参考にしている。とはいえ、都市の規模も、騎士団の人数も違うため、別個の騎士団として分けるまでには至っておらず、権限は騎士団長であるアーロンに集約されたままである。


 人数としてはポートマットと、その周辺の開拓村を守護するにしては過分であるのだが、これにはポートマットならではの裏話がある。先の戦争で攻められたプロセア軍の捕虜を送還したこと、同時期に発生した王都第四騎士団の暴発を撃退したこと。

 この二件で多額の賠償金を得ていたことに加えて、体力回復錠剤や通信端末(とそれに付随する設備)などの新規事業が生んだ莫大な販売益に対する、多額の税金が入手できた。

 元々の農産物販売も順調で、かつてない程に潤沢な資金があり、その流れで『領主軍』である騎士団の拡充が図られたのだ。


「第三大隊の失策が、他の隊の士気に影響がないか心配ですな」

「パンツ仮面、『ザ・リバース』ですか。そんなものに翻弄されたままというのは癪ですね」

「無論、我々第三大隊が全力を持って対応させていただく」

 などなど、三つの大隊長は威勢の良いことを言ってはいるものの、ピン、と背筋を張ったままの姿勢で目を瞑っている副騎士団長に、最終的には視線が集まる。


 副騎士団長は騎士団長を補佐する、というよりは、名代の性格が強く、アーロンが不在の時の代理を務める。それ故に普段から暇そうにしていることが多い。

 この、ポートマット騎士団の副騎士団長、フレデリカ・フォレストは端正で整った顔、流れるような金髪、笹穂のような長い耳、細身でしなやかな体躯――――を持つエルフだ。黙っていると超絶美人、という評判ではあるものの、剣技、盾、槍術、騎馬、魔法……に於いて、騎士団で一番腕が立つ。


 三人の視線が集まるのは、個人の武威が集団の武力を軽く凌駕するという実例を見ているからだ。その一つの例が『魔女』であり、このフレデリカなのである。


 アーロン騎士団長は、『ザ・リバース』に関しては積極的には追わない、というスタンスを宣言していた。それが何故か、という理由については尤もらしいことを並べられたが、それで納得する隊長たちではなかった。しかし、これ以上アーロンに言っても埒があかないと見たのか、話をフレデリカに振る。


「副騎士団長殿はどのようにお考えか?」

「………………」

「………………」

「………………」

「んがっ………」

「………………」

「………………」

 フレデリカは居眠りをしていた。ある意味では、この件には興味ないのでお前らがやれば? という意思表示でもある。


「とにかく――――」

 ウンザリしたようにアーロンがまとめに入る。

「とにかくだ。この件については第三大隊に任せる。第一、第二は演習を含めて通常のシフトで動いてくれ。これは騎士団長命令だ。外の方に動きがあるから、内部だけに注力するわけにはいかん。遠征の準備も継続だ」

 もう三回も同じ事を言った。老人か子供か貴様らは、とキレてもいい場面だ。


 これで第一と第二が暴発するようなら団長の落ち度であり、統制が効いていないということ。教導隊の隊長はここにはおらず(迷宮にある騎士団演習場に常駐している)、三人の大隊長は皆若い。ここは我慢が必要だろう。


 さすがに騎士団長に三度も言われ、副騎士団長にやる気が見えないとなると、自分たちだけが跳ね返りの行動をするわけにもいかない。自然、第三大隊隊長に視線が集まることになった。

「全力を尽くす」

 第三大隊長は、それしか言えなかった。

「んが………」

 フレデリカ副騎士団長は、結局ずっと寝ていた。



* * *



 ポートマットの町中では、ある噂が飛び交っていた。

「なあ、知ってるか? 清潔にしてないと夜にパンツを被った怪人が現れて、パンツを脱がしていくんだそうだ。代わりに新しいパンツを置いていくそうだがな……」

「あれ、兄さんもその話、聞いてたの? 私は怪人じゃなくて魔物って聞いたわ」

「お、おれがカアチャンをまもるよ!」

「ボクもまもるー!」

「わたしどうしよう」

 兄と話していると、その妹の子供たちが、口々に可愛らしくも勇気ある発言をした。

 この妹は夫が死んで、実家に戻ってきた。いわゆる出戻りで、しかも子連れだった。よもや未亡人のパンツなど狙わないと思うのだが………。

「念のためってわけじゃないけどな。お前も清潔にしていてくれよ?」

「そうね、私だって襲われたくはないわ………」

 妹はブルッと震えて、自分の体を抱きしめた。


 妹の旦那――――義理の弟――――が死んで、遺族年金など雀の涙で、子育てをするのには精神的にも肉体的にも辛かったのだろう。家業の木工を手伝わせて気を紛らわせてはいるが、実家に戻ってからの妹は塞ぎ込みがちだった。


 それでも、最近は少しずつ状況が変わりつつある。近所の鍛冶屋の爺さんの様子を定期的に見てほしい、という依頼というかお願いがあり、そのお願いをしてきたのが上客だったこともあり、二つ返事で了承したのだが、これが思わぬ効果を発揮している。

 この鍛冶屋の爺さんというのが、恐らくはポートマットで一番ではないか、と思われる偏屈爺さんで、定期的に妹と妹の子供達を行かせていたところ、どうやら物作りの仕事、というものを見せられてきたらしい。それもあって、嬉しいことに、一番上の子供は、家業の木工を手伝う、と言い出した。


 妹も、一方的に喋れる相手(偏屈爺さんは殆ど喋らないので一方的に話すことになる)がいることは精神衛生上、好ましい事態だったようで、最近は本当に明るくなってきた。この分なら、妹を貰ってくれる男がそのうちに現れるのではないか、と兄としては期待をしてしまうほどに。

「それでね、兄さん、パンツ繋がりではあるんだけど、トーマス商店が新店を出すそうなの。下着のお店なんだって」

「へぇ?」

 本当にあそこは手広くやっている。よくもまあ、そんなに従業員が確保できるもんだ、と兄は感心してしまう。

「そのお店の従業員を募集しているんだけど、応募してもいいかな――――?」

 塞ぎ込んでいた未亡人の妹が、外に目を向けてくれた。木工工房はきつくなるが、兄としては祝福したい出来事だった。

「いいさ。行ってこいよ。工房はどうにでもなる」

 慈しみの視線が妹を包む。涙を流して、妹は、ありがとう、と笑った。



* * *



 ポートマットの町中では、ある噂が飛び交っていた。

「おーい、そこの樽、厨房に持っていってくれー」

 相変わらずウェイトレスに頼む仕事内容ではないな、と思いつつも、店頭に納品されたまま置かれていた酒樽を傾けて転がしはじめた。

「んっしょっと」

 段差になっている場所では、軽々ではないものの持ち上げる。ウェイトレスの力持ち加減が知れる。

「なあ、知ってるか、パンツ男の噂」

「え、ああ、聞きました」

 せめて樽を運んでない時に話しかければいいじゃないか……と思いつつも、黒髪のウェイトレスはつまらなそうに反応した。


「パンツが汚いと襲われるってさ。ヒヒ」

 先輩ウェイターは野卑な薄笑いを向ける。普段から女性への対応が問題視されている男ではあるが、この男が店主の息子なので、面と向かって文句もいえない。何となく、このお店も辞め時かなぁ、だなんて思い始める今日この頃だ。

「ああ、そうみたいですね」

「なぁ、なぁ、お前のパンツも汚いのかどうか、俺が見てやろうか?」

 下心に満ちた提案。いっそ清々しい。もういいや。決めた。

 ウェイトレスは小さく溜息をついた。


「お断りします。あー、あのー、ごしゅじーん。私、このお店、辞めます」

 厨房に樽を運ぶついでに、ウェイトレスは辞意を表明した。

「なに? なんだって?」

 腕の良い料理人である店主だが、人の扱いはそれほど上手くはない。

 狼狽と困惑と怒気が、厨房からウェイトレス一人に集中する。

「駄目だ。人手が足りないんだ」

「私の他に誰か雇えばいいと思います」

「駄目だ。そんなの急に言われても困る」

「いいえ、もう決めましたから」

「駄目だ!」

「私、息子さん、嫌いなんですけど」

 ウェイトレスは冷めた目で店主を見据えた。この店主は、自分の息子とウェイトレスをくっつけたがっているように感じられていた。無給で働く従業員が欲しかったのであって、息子の将来を考えたものではなかったのだろう。あの息子(ウェイター)に必要なのは、女性ではなくて、女性の形をした人形ではないか。それなら、ロータリーの中央に鎮座している乙女騎士像と結婚すればいい。


「あのな、お前な、ウチを辞めて他の店で雇ってもらえると思うなよ?」

 陳腐な脅しをしてくる店主に、益々、この店に嫌気が差してしまう。幸い多少の蓄えはある。爪に火を灯すようにして貯めたお金だ。王都辺りまで行けば幾らでも仕事はあるだろう。うん、交通費程度はあるか…………とウェイトレスは算段を立てる。


 その足で店を出てしまい、今度は大きく溜息をついた。

 この店は、冒険者ギルド所属の常連客が多い店だった。自惚れではなく、幾分かは、ウェイトレスの自分目当てに通っていた客もいるだろう。性的嫌悪を催す視線に晒されていたが、また同じウェイトレスの仕事を求めた方がいいだろうか。王都ではなくとも、迷宮に新しくできた宿もあることだし、選り好みをしなければきっと職には就けるはずだ。


 自分を励ますように、(元)ウェイトレスはロータリーへと足を進めた。馬に乗った乙女騎士像が勇ましいポーズでロータリーの中央に飾られている。

 チラ、と視線を移す。このロータリー脇には、冒険者ギルドとトーマス商店がある。この二つから、(元)ウェイトレスが連想するのは、以前、客として来たことがある『魔女』のことだ。


「んっ?」

 トーマス商店の西隣の建物には張り紙がしてあった。

「『新規出店のため、従業員募集。トーマス商店』……」

 またぞろ、『魔女』が新しい何かを始めたのかもしれない。そうだ、彼女ならきっと自分の窮地を救ってくれるのではないか。彼女なら、私をちゃんと使ってくれるのではないか。

 そう考えるだけで、店を辞めたことが正解な気がしてくる。

 どうせダメ元、応募してみようかな、と(元)ウェイトレスは、隣の建物、トーマス商店本店へと向かっていった。



* * *



 ポートマットの町中では、ある噂が飛び交っていた。

「昨日の晩の騒ぎ、知ってる?」

 ポートマットの港が発展し、流入する人が増えていることから、確実に需要が増えているのに、この街の領主は、歓楽街のガサ入れを最近、複数回に渡って行った。

 結果として、()()施設を併設する飲み屋、娼婦を斡旋する仲介人が常駐する宿屋――――俗にいう娼館――――は、大きく数を減らしていた。


 ガサ入れの名目は『病気の駆除』とのことで、病気について知識のない人間がほとんどだった歓楽街の住人たちには、迷惑でしかなかった。娼婦も大きく数を減らし、定期的に教会に行き、『浄化』などと、まるで不浄なもののような扱いを受け入れ、『衛生局』とやらの認可を受けた者しか働けない。


 そんな経緯があったため、ここ歓楽街では、他の地区よりも徹底して衛生教育がなされ、他の地区に比べて、圧倒的に衛生的な人間が多かったのである。その知識を持っていないと、営業が許可されなくなっていたからで、これは経営側も、従業員側も同様だった。


 無論、無認可で売春行為をする者(男娼も含めて)もいるが、当局に発覚した場合、さっさと騎士団に捕まり、街の西にある留置施設に行かされる。そこでは()()()仕事に従事することになるが、まるで職業訓練所の様相を呈している、その場所で暮らした者は、殆ど歓楽街には戻ってこない。


 何故なら、病気についての知識を得て、手に職も得て、何らかの職業を斡旋され、一部は周辺の開拓村へ移住させられ、体を売るヒマも隙もなくなってしまうからだ。


 この件に関しては、『衛生局』と騎士団が嬉々として摘発するため、無認可で売春行為をすることはリスクが高く、さらにいえばリターンが物凄く低い。これは特に経営者側に顕著だった。従業員は前述のように、手に職(多くの場合は畑仕事だが)をつけて解放されるが、経営者、つまり斡旋している側はより罪が重いとされ、留置施設から出るときには財産を没収されて、奴隷紋を押されることでしか出所できないという。


 その辺りの事情は噂どころではなく真実で、ここのところ、ポートマットの町中を騒がせている噂とは別種のものだ。

「知ってる知ってる。見たよ、私」

 娼婦同士、以前はこうした横の繋がりなどなかったのだが、当局のガサ入れ以降は、情報こそ自分たちが生き延びるために重要であると気付き、こうして会話をすることが増えた。それは同じ店に勤めるものだけではなく、他店の所属であっても同様だ。


 ガサ入れで多くの経営者が投獄され、行き場の無くなった娼婦たちを拾ったのは、『ミセス・エメラルド』なる老婦人だ。素早く娼婦たちをまとめあげて、潰れた娼館を買い取り、働く場所を提供した。

 不思議なことに、今までこんな名前の夫人など聞いたことはなかったし、実際に何人かは会っているのだが、やはりどこの誰なのか、誰も知らない。突然出現した、歓楽街の救世主だ。


「ミセス・エメラルドの情報だとね、『とにかく清潔にしておけ、風呂に入れ、パンツを毎日替えろ、可能な限り教会に毎日行け』だそうよ」

「あぁ、それでかぁ。パンツ男に襲われた人は、歓楽街にはいなかった、って」

 そう、昨日の『ザ・リバース』の襲撃で、パンツを奪われた(渡されて履かされた)人は、この地区には皆無だったのである。女騎士エルマにしてみれば、迅速に駆けつけた結果であり騎士団の成果、と言いたいところだろうが、実情は違う。


「なんかねぇ、キョロキョロしてたり、ウロウロしてたって」

「ははん、巷の女よりよっぽど清潔だっつーの」

 先んじて衛生観念というものを(強制的にだが)植え付けられた娼婦たちは、確かにその通り、ポートマットで一番衛生に気を配っている職業に就いていると言えた。


 ただ、この仕事はいつまでも出来る仕事ではない。ミセス・エメラルドは、お抱えの娼婦たちにそうも言っていた。だから次だ、その先を考えろ、と。それが頭にあった娼婦たちは、パンツ男襲撃の噂の()に、こんな噂をしたものだ。

「それはそうと知ってる? トーマス商店が新店を出すって話なんだけどさ――――」



* * *



『ザ・リバース』()()の中の人である冒険者の男は、ここのところの習慣になっている『シモダ屋』での昼食を摂りに、ギンザ通りを歩いていた。

 街で聞こえてくる噂を拾い集めるのも、日課になっている。

「うーんー」

 間延びしてはいるが、これがこの男の唸り方だ。

 街を一周する間に聞いた噂は、驚く程に一様だ。

 曰く、

『清潔にしていないとパンツ男に襲われる』

 である。歓楽街地区だけではなく、工業地区、港地区、商業地区、住宅地区…………恐ろしい早さで()()()噂が伝播している。これを仕組んだのはもちろん、一人の仕業ではない。だが、全体図を描いて提案したのは一人の少年である。


 昨夜は、もちろんパンツ奪取と強制交換をしにいったのだが、目的を達成できなかった。パンツに合うサイズの女性を物色し、その上で不衛生な標的……はいなかったのだ。

 三号は、一号から交換用のパンツを受け取った時、それが一枚だけだったことに不満を漏らした。しかし、一号はこう言ったのだ。

『恐らく、その地区に対象となる女性は一人いるかどうかです。だから一枚持っていけば十分でしょう』

 と。

 正しく一号の言った通りになった。


「魂ー? が震えたなー」

 実に面白いと思った。街の風紀を律するために悪役となって暗躍するなんて。

 もちろん、最初にこの計画を上司――――フェイ支部長から聞いた時は驚愕の一言だった。

 しかし、一号がフェイ支部長の背後からニコニコと出てきた時もそうだ。魂が震えるのだ。

 そして―――――その場で三号になることを了承したのだった。

 一号の姉的存在である『魔女』と、三号は知己だった。『魔女』に通じる()()の片鱗を感じたのだ。


「天才っていうのは、ああいうものなのかなー」

 三号は独り言を言いながら、『シモダ屋』に入った。





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