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浴場と絶叫


 迷宮に併設されている浴場には、レックスが言っていた通り、個室もあった。リーゼロッテとララは一つの個室を借りて、二人で入ったはいいものの、体を洗ってから浴槽に入って下さい、という但し書きに困惑して、別料金である垢擦りサービスを頼んだ。


「うわ……」

 たっぷりのお湯を掛けられて、半刻もの間、麻布で優しく擦られると、一体、体のどこにそんなものが………………と驚くほどに垢が出まくった。


 垢擦りをしているのは浴場に常駐している奴隷で、これが筋肉隆々で歯並びの綺麗な男だった。

 後で考えれば、それが故意的だったのだと気付いたが、奴隷の男はリーゼロッテとララの体を擦り上げている最中には一言も発しなかった。褒めもしないし貶しもしない、垢擦りの魔道具……になりきったかのように事務的に作業をこなしていた。その終わりに、奴隷は一言だけ、注意事項を述べた。


「一日二日は暖かくして寝て下さい」

 と。皮膚が真っ赤になったリーゼロッテとララは、これ以上体を熱くしたくない……とは思ったが、何かしら意味のあることなのだろう、と湯船に長時間浸かった。


 完全に茹で蛸のようになった二人は、フラフラと、案内されるまま、浴場の二階にある軽食堂へ連れられて、エールと、得体の知れない揚げ物を提供されて、言われるがまま口にした。その料理こそ、カーラが勧めていたものだ。

「生臭い揚げ物ね」

「魚っぽいですね」

 優雅にナイフで切り分けて一口。


「ん?」

「んん?」


 サックリとした歯触りの衣を噛み千切ると、白身魚の風味が広がる。魚の肉の線維が気持ちよくほぐれ、衣の油と合わさって、口の中で滑らかなクリーム状になった。魚のフライには酸味のある赤いソースがかかっていて、これも良く調和している。

 そこに冷えた弱炭酸のエールを流し込むと、口腔を刺激し、口の中の魚が洗われる。

 残ったものは、鼻から抜ける、強調された魚の風味……………。

 ワインとの組み合わせよりは主張が弱いが、入浴で水分の抜けた体には染み渡る美味さだ。

 付け合わせのイモフライは、揚げたてではないのが逆にいい。ゆっくりと加熱されたデンプンが糖に変わり、ネットリとした食感を与える。軽い塩味が甘さを引き立てる。

 そこに冷えたエールを流し込むと、パサパサ感を補って、残るものはイモの甘さ………。


「むうっ!」

「むごごごっ!」


 こんな奇異な食べ物は帝国にはない。揚げ物に揚げ物を合わせるなどあり得ない! しかも、揚げ物なんて、帝国では高価過ぎて、リーゼロッテでさえも数回食べたきりだった。もちろん揚げ物初体験だったララは、『最初の一皿』として、この料理が強烈に入力されてしまった。


 まるで格闘するかのごとく、この料理『フィッシュ&チップス』に対峙する人は珍しくない。この店の常連や、それこそ従業員は日に二人は見る。揚げ物が珍しいのか、調理法がいいのか、入浴上がりに合わせたメニューだからか。高価だ、と言われる揚げ物ではあるが、この料理に関して言えば、原価はそれほど高くはない。むしろ、一定の品質を保つための労力にお金がかかる。


 とはいえ、ここで揚げ物やエールを提供しているのは奴隷である。

 それも、元々、この店で働く奴隷は、例のポートマット侵攻に失敗したプロセア帝国軍に所属していた。先の垢擦り奴隷も同郷だ。

 ここの従業員は、もちろん、姫であるリーゼロッテも、王城で働くララも見たことはない。逆にリーゼロッテとララも、彼らがプロセア軍人であったことなど知る由もない。

 仮に知っていたとしたら、リーゼロッテもララも気まずい思いをしたところだろう。三割は料理の味が落ちたように感じるかもしれない。それでも、極上の美味には違いなかったが。


 ララが感心したのは、この味を庶民的な値段で、庶民的なスタイルで提供しているという事実だった。ファストフードの考え方はどの土地にもある。ただ、この店に限っていえば、それが先鋭化している気がした。


 素早く提供、素早く味わって、素早く出ていって頂戴――――。

 考え方が一つ先を行っている。もうララはアタリを付けてはいたが、往々にして、この手の『何コレ!』な話には『魔女』が関わっている。迷宮の管理人だという話だし、迷宮にお風呂があり、そのお風呂に併設されている軽食屋の話なのだから、これが関連していない訳がない。


 それに、よく考えてみたら、あのレックスは『魔女』の影響下にいる人物の代表例ではないか。知らず知らずのうちに、自分たちは絡め取られているのではないか。得体の知れない恐怖を感じる一瞬である。


「もう一皿、もう一杯頂けるかしら」

 上品に言ったつもりのリーゼロッテだが、口に赤いソースが付いているので肉食の化け物のようだった。ララがそれを指摘しようとしたところ、拭った自分の口にも、赤いソースが付いていたので、言い留まった。


「おーいー、こっちにもー! エールをもう一杯くれー!」

 盛り上がった酔客が叫んでいるが、あまり広くない店内は、意外なほどに騒がしくない。皆、食べるか、飲むかに集中しているからだ。この食堂は、食事中の会話を楽しむ場所ではないし、食後の余韻を楽しむ場所でもない。荒っぽく、雑な料理であり、食堂なのだ。

 夢中で食べているリーゼロッテを見ると、こういう店も悪くない、とララは思う。庶民的で、気安い料理の方がいい。貧乏貴族であるララにしてみれば、この方が体に馴染むのだろう。


 二人で二皿ずつ、二杯のエールを胃袋に流し込んだ後、これも背後から――――店内に入る人待ちの列だった――――の心的な重圧を感じて、軽食堂を後にする。


 もう太陽が沈みかけていて、すぐにでも街に戻らないと、この迷宮近辺で宿を取る羽目になってしまう。

「お嬢様、馬車に乗ります。急ぎましょう」

「もう少しゆっくり見たかったわ……」


 どこからどこまでが迷宮なのか良くわからない建物群や大穴、その付近には何故かパン屋があり、安価に冒険者たちの腹を満たしている。言外には、あのパンも食べてみたい、ということなのだろうが、パン屋こそ長蛇の列が出来ていて、断念したのだった。


 そういえば、入国管理所の浅黒い担当官も、レックスも、『毎日何かが起こって楽しい』だなんて言っていたことをララは思い出す。落ち着きがない、という向きもあるだろうが、発展している都市というものは勢いがあって、概してこういうものなのだろう、と納得した。


「ポートマット中心部行き馬車、でまーす」

 小さな鐘(ハンドベル)の音が鳴り響き、リーゼロッテとララは小走りになって馬車乗り場へと急いだ。



* * *



 ポートマット中心部と迷宮との間は、馬車で走って一刻ほどの距離だ。

 石畳について知識のない二人には、これが道が良く、ほぼ直線であるが故に速度が出せているのだ、ということには気付いていない。ただ揺られていただけである。もう少し補足すれば、西通りには新道があり、これは街の外側(北側)を、迷宮街道と同じ仕様で舗装したものだ。それ故に西通りを素通りする場合には、圧倒的に時間が短縮される。

 二人が乗った馬車は北門から南北通りに入り、左手に騎士団駐屯地を見ながら南下、ロータリーに到着する。


 同乗していた数人の客が疎らに降り立ち、流れに促されるようにリーゼロッテとララも夜のロータリーに降り立った。

「まだ灯りが点いているわ」

「まだ働いているんでしょうか」

 トーマス商店の方を見ると、黄色い看板こそ点灯していなかったが、店内からは漏れ出す光が見えた。

「おや?」

 その、明らかに閉店しているトーマス商店に近づく影があった。怪しい、実に怪しい。そう思ったリーゼロッテとララは、視線で意志を確認して、トーマス商店に近づいていった。


 影―――男に見えた―――は、近づくと輪郭がハッキリして、誰なのかが判別できるようになった。あれは、果物屋のハミルトンだ。ハミルトンは、店の入り口を軽くノックしてから、暫くして中へと入っていった。


 リーゼロッテとララは中を覗こうとするが、曇りガラスのせいで良く見えない。

「中に入るわよ」

「姫様……」

 決意は固いようだ。中にいるのがレックスで、もしかしたら秘密の会合が開かれているのかもしれない。いや、レックスが危ない目に遭っているかもしれない。いやいや、レックスが殺されそうな目に遭っているかも…………。

 助けなければ。エスカレートした思考は、リーゼロッテとララに直情的な免罪符を手渡す。

 不作法にもノックなどせずに、店正面の扉を開けて、中に入ると―――――――。


「あれ、リーゼさん、ララさん?」

「ん?」

「アレ?」

「あら?」

 カウンターにはレックスが立っていて、何かを受け取った格好のまま、固まっていた。

「どうしましたか、こんな遅くに?」

 レックスが心配そうに声を掛けてくる。

「あ……?」

 見れば、ハミルトンが手渡していたものは、果物が山盛りになっていた籠だった。

「くだもの……?」

「ええ。本当にどうしたんですか? 大丈夫ですか?」

 レックスはカウンターからリーゼロッテとララのいる場所まで移動して、優しく触れて、真顔で心配な表情を向けた。


「果物……」

「ええ、そうですよ。ハミルトンさんが果物を時折こうやって持って来てくれるのです」

「もう古くて売り物にならないやつだけどな……」

 ハミルトンは恥ずかしそうに言った。リーゼロッテとララは、もっと恥ずかしそうだった。



* * *



 ハミルトンが持って来た果物は、傷んではいたが十分に食べられるもので、彼に言わせると、これぐらい熟したものの方が本当は美味しいのだという。

「割ったときに出てくる果汁の甘味が違うんだよな」

「そうですね」

 せっかくだからと、レックスは素早くリンゴの皮を剥いて、四等分した断片を、リーゼロッテとララにも渡した。ララはそうでもないが、リーゼロッテにしてみれば、剥きたての果実を男から直接手渡されるのは初めての経験だった。

 ドキドキしながら受け取り、恐る恐る口の中に入れてみる。

「え、これがリンゴ?」

 食感は柔らかくネットリしていて、リーゼロッテが普段食べているリンゴではない。囓る度に甘酸っぱい果汁が迸る。

「美味しい。美味しいわ」

 そりゃよかった、とハミルトンは嬉しそうに微笑んだ。


 結局、もう一つのリンゴを剥いて、リーゼロッテとララは二人で平らげてしまう。

 談笑しながらのデザートタイムを幸せな気分で味わった。

「もう暗いですから送りますよ」

「俺も家に帰る方向だし」

 トーマス商店に乱入? して半刻は経っただろうか。

 レックスとハミルトンは、リーゼロッテとララを『シモダ屋』まで送ると申し出た。


 心地よく疲れていてお腹も膨れたリーゼロッテとララは、その申し出を受け入れて、トーマス商店を出て、四人でギンザ通りへと向かう。

 が、何か騒がしい。

「…………まさか…………」

 ララの呟きは果たして正解だった。

「そっちに行ったぞ! 逃がすな!」

 エルマがショートカットの金髪を振り乱し、声を張り上げていた。

 騎士団の数人がエルマの号令で、指示のあった方向へと展開していく。

「エルマさん!」

 レックスが声を掛ける。振り向いたエルマは、目を剥いていた。

「レックス……くん?」

「はい、何かあったんですか?」

「出たんだよ、『ザ・リバース』が」

 ララも、エルマと同じように困惑に満ちた表情だった。


「それは危険ですね。リーゼさん、ララさん、早く宿に行きましょう」

 レックスは、冷静に、真面目な顔で言った。

「あっ、ああ」

「そ、そうね」

 リーゼロッテとララが頷いて、『シモダ屋』に向かおうとすると、それをエルマが止めた。

「ちょっと待ってくれ。そっちはまだ危ない。…………君たちは今、どこから来た?」

「? トーマス商店にいましたけど?」

 ハミルトンはレックスに果物を届けに、リーゼロッテとララは乗合馬車で先ほど到着して、やはりトーマス商店にいたことを証言した。

 エルマの困惑の度合いが強くなる。

「隊長、こっちに来ます!」

「なにっ!」

 騎士団員が叫び、エルマは声のした方向に振り向く。

 パンツを被った――――恐らく男――――が真っ直ぐレックスたちの方向へ向かってくる。

「ザ・リバース……?」

 レックスは呟いた後、落ち着いた表情でリーゼロッテとララを道の端に寄せた。ハミルトンはすでにレックスとは逆の端に避けていた。


 真ん中にいたエルマは剣を抜き、『ザ・リバース』に対峙する―――――。

「てぇぇぇぇえぇ!」

 掛け声一閃、エルマが小剣の剣先を突き出す。ここで、せめて薙ぐか、斬るように剣を使っていれば、『ザ・リバース』の動きは変わっただろう。しかし、一直線に向かってくる相手に、そこまでの余裕はなく、真っ直ぐに突きを繰り出す他はなかった。


 剣を回避し、腕を伸ばした格好のエルマの脇を『ザ・リバース』が通り過ぎようとしていた。横目で見ると、ぼやけた人型の肉塊が逆さまになったパンツを運んでいるような、不思議な光景だった。肉薄されたエルマにしてみれば、パンツが迫ってきて、突然消えたようにしか見えなかっただろう。


「なっ!」

 驚愕するエルマの背後に回り、『ザ・リバース』は背中から脇から下半身から、まるでダンスを踊るように顔を近づけていった。


「クサ・イ」

「なにぃいい!」

 体臭を嗅いで、非常に失礼なことを呟いた『ザ・リバース』に、エルマの顔が憤怒に染まる。


「でえええええい!」

 今度こそ剣を斬り下ろしたエルマだが、そこに相手はいない。すでに『ザ・リバース』は細い路地を通り、東側へと消えていった。

「くそっ! 追うぞ!」

 気を取り直したエルマは、部下の騎士団員を連れて、南北通りの向こう側に消えていった変質者を追う。


 一瞬の出来事だったが、騎士団員がいなくなると、周囲は急に静寂に包まれた。

「今のうちに宿に入りましょう。ハミルトンさんは」

「大丈夫、この位置なら戻れる。またな、レックス、お姉さんたち」

 ハミルトンはレックスたちにニカッと笑いかけると、小走りに南の方にある、自分の家へと走り去った。

 レックスはリーゼロッテとララをエスコートして、『シモダ屋』へと入った。


「レックス、何事?」

 カーラが出てきて、状況を訊く。

「例のパンツ男、ザ・リバース? です。危ないので扉を閉めて中に籠もっていて下さい」

「わかったわ。レックスは?」

「お店に戻ります。明日までにやらないといけない仕事があるんです」

「そんな! 今出たら危ない!」

 ララがレックスを止める。リーゼロッテも不安げな表情を崩さない。

「いえ、あんな事で、ボクの仕事は止められません」

 ニッコリ笑って、静止を振り切り、レックスは飛び出すように走り去った。

「レーックスッ! 戻ってよ(ズルッコメーン)!」

 しかし、レックスは後ろ手に来るな、と示して、姿が見えなくなった。

 カーラはレックスに言われた通り、店の扉を閉めて、ガッチリ施錠をしてしまう。

「あっ、レックスを! 助けなければ!」

 激昂するララを、リーゼロッテが後ろから抱きしめた。というか羽交い締めにした。

「ララ、貴女が行ったら、誰が私を守るの?」

「ひ、お嬢様……」

 正論過ぎる正論に、ララは動きを止めた。

「大丈夫よ、あの子、ああ見えて結構丈夫だし。パンツ仮面? は男の子の下着には興味がないわ」

 物凄く冷静にカーラは断言して、

「多分ね」

 と曖昧な補足をした。

 ララは泣きそうな顔を歪めて、やがて諦めて、レックス、と呟いた。

 そのララの様子を見ていたカーラは、大きく溜息をついた。





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