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お土産と影


 トーマス商店で出色の商品は、『体力回復()()』だろう。

 従来、この手の回復剤は液体(ポーション)で提供されていて、固形化する発想そのものがなかった。そこに登場した錠剤(タブレット)は、携帯性よし、保管性よし、効果よし、安価と評判になり、大ヒット商品になっている。


 その一方で、この『錠剤』はポートマットから、トーマス商店以外の体力回復ポーション販売店を根こそぎ駆逐してしまった。『錠剤』登場以前にもトーマス商店一強の傾向はあったが、登場後は完全に息の根を止めてしまった(王都にも蔓延しつつあるが、それは単なる転売人がやっていることである)。


 店主であるトーマス・テルミーはアーロン騎士団長と同じく、ポートマットの顔役であり、裏会議のメンバーでもある。ついでに言えば商業ギルドポートマット支部の支部長でもあり、経済面でポートマットを支配している一人だ。この錠剤は、その地位固めに利用され、さらに他業種への投資に使われている。


 その投資の一つが下着の製造販売で、レックスがとあるところから見習い職人を大量に引っ張ってくることに成功、その習作を作る過程で生まれた男性用下着を売り出したところ、これが密かなブームを呼んでいる。


「男下着。上下くれ」

 少々恥ずかしそうではあるが、強面の冒険者がカウンターにいる美少女店員に告げる。

「かしこまりました。大きいサイズでよろしいですね?」

 美少女店員は花が咲いたような笑顔を向けて了承する。男性用のサイズはかなり大まかな区分である。


「男性用もあるみたいですね」

 ララは小声でリーゼロッテに話し掛ける。

「そうみたいね」

 男性用はカウンターでお手軽に買えるようにしてあるらしい。逆に女性用は細やかな調整が必要なのか、隣の建物に連れられていくようだ。


「お待たせ致しました」

 美少女店員が笑みを保ったまま、商品を手渡す。

 薄い木綿の男性用下着は、キチンと折りたたまれていた。

 折りたたまれている布製品に敏感になっているリーゼロッテとララは、それを見逃さなかった。荒っぽく扱われるだろう男性用下着でさえ、あんなに丁寧に折られている。レックスが、あのパンツ男(ザ・リバース)が、脱いだ服や下着を丁寧に扱っていることに通じる感性を垣間見たような気がしたのだ。


 カウンターに並ぶ列が進み、リーゼロッテとララの番になった。カウンター担当は現在、レックス、美少女、細身少女の三人で、空いたカウンターに進み出るようになっている。美少女の手が上がる。

「お客様、こちらへどうぞ?」

 あんな美少女店員に笑顔を向けられたら、男共なら自分に気があると勘違いをしてしまうのではないか。ララはそんな心配をした。美少女店員の前に進み出ると、美少女店員は一瞬だけ、レックスの方を見た。レックスの方もチラリ、と美少女店員を見た。視線が交わされて、美少女店員は小さく頷く。

 リーゼロッテとララの担当を変わらなくていいのか? という問いだったようで、そのまま継続して担当して下さい、という意志確認がされた。ほんの一瞬の出来事だったので、リーゼロッテはそれには気付かず、ララだけがそれに気付き、淡い嫉妬の感情が沸く。


「何をお求めでしょうか?」

 先ほどのやり取りを目の端で見ていた美少女は、リーゼロッテとララが、こういった店、こういったシステムに不慣れであることを承知していた。つまるところ人物を見られて対応を変えられているわけだ。

「あっ、あの」

 もちろん、こういった場所で注文などしたことがないリーゼロッテとララは、いきなり注文しろ、と言われて、軽くパニックになった。


「どこかお加減でも悪いのですか?」

 そこで美少女店員はちゃんと助け船を出す。焦っていることを指摘しているのではなく、体調が悪いのであれば『錠剤』が入り用ですね? という問いだ。

「いえ、そんなことは」

「では、お土産に何かお求めになられては如何でしょうか?」

 美少女店員は様々な機転を利かせて、自らの観察眼も駆使し、驚いたことにリーゼロッテとララの素性というものを大まかにではあるが見破っていた。()()()()()に来る女性というのは冒険者が殆どで、それ以外の人間の種類というのはかなり限られていくからだ。


① お使いを頼まれた風でもない

② 従者がいる

③ お金は持ってそうだ

④ 従者も買い物に不慣れ

⑤ 旅人風である

⑥ キョロキョロしているので何を買うのか決まっていない


 以上のことから、リーゼロッテとララを、他国の王族か皇族か、その係累で、お忍び旅行、または視察、と美少女店員は判断した。

 それ故の『お土産は如何?』発言である。


「お嬢様、お兄様たちに、この下着をお土産になさっては如何でしょうか?」

 少し落ち着きを取り戻したララが提案する。

「そっ、そうね。じゃあ、男性用下着、大きいのを二組、中ぐらいのを一組。それにその、錠剤? を幾つか頂けるかしら?」

「かしこまりました。錠剤は十個入りでよろしいですか?」

「それで構わないわ」

「かしこまりました。少々お待ち下さいませ」

 そう言って、美少女店員は商品を取り揃えていく。揃えられた男性用下着は、例によって綺麗に折りたたまれている。

「一つ訊きたいのだが」

「はい?」

 ララは気になっていたことを、美少女店員に訊いてみることにした。

「その、下着というものは、こうも綺麗に折り畳まれているのが普通なのか?」

 問いを反芻しているのか、美少女店員は一瞬だけ真顔になり、また笑顔に戻ると、

「はい、こうしていないと布が傷むのです。折り畳んでいないと嵩張りますし、皺になってしまうのです」

 なるほど、その解答で色々納得できるものがあった。レックスは布が傷まないように気をつけていたのだ。それならば、あの丁寧さも理解できる。

 では、『ザ・リバース』は何のために丁寧に折り畳んだのか? 衣服や下着を傷めたくないという理由の他に、何かがあるはずだ。その差異が明確にならない限り、レックスと『ザ・リバース』の関連性は消えてくれないだろう。

「それは男性用、女性用に限らず?」

 質問の意味が正確に伝わっているかどうかは怪しい。だがララは敢えて訊いてみることにした。

「布製品なのは同じですから。等しく丁寧に扱うべきです」

「布を扱う人なら皆同じ考えを持ちますか?」


 ララは先の見えない質問を続けているものの、背後からは馬鹿な質問してないで早く注文を終わらせてくれ、という無言の圧力が、並んでいる人間から容赦なく浴びせられている。さすがのリーゼロッテも、ララと背後の様子を交互に伺い、慌ててみせた。

 ところがララは一向に気にするでもなく、対応する美少女店員も急かすようなことはせずに、要領を得ないララの質問に誠実に答えようとしているのが感じられた。何という従業員教育だろうか、とリーゼロッテは唸らざるを得なかった。


「特にそう考えると思いますよ。今のところ、綿でも絹でも、布製品は大変な貴重品です。自分が関わっているのならなおさらだと思いますよ」

 美少女店員はララを真っ直ぐ見つめて言った。その解答の幾つかには、ララの求める答えが含まれていた。


 貴重品だから丁寧に扱う、それは布製品を扱う人間であれば例外なく、ということ。『ザ・リバース』がリーゼロッテから脱がした服を丁寧に扱った理由はわかった。しかし、それでも、レックスが『ザ・リバース』ではない理由にはならない。ララは確固たる証拠が欲しかった。無理矢理にでも見つけたかった。

「他にご注文はございますか?」

 美少女店員は会話を打ち切った。後ろからの心的重圧が凄いことになっていたからだ。

「ないわ」

 リーゼロッテが言うと、すぐに合計金額が伝えられる。

 暗算? にしては早すぎる!

 二人が驚いているのに釣られていては美少女店員のカウンターだけが滞ってしまう。チラリと美少女店員は、またレックスを見た。レックスが僅かに頷く。さっさと進めて構いません、というニュアンスだ。


 この視線での会話(アイコンタクト)に、今度はリーゼロッテも気付いた。察するに、この三人の店員のうち、一番年少なのはレックスで、司令塔もレックス。一番客捌きが早いのもレックス。一番ニコニコしていて、丁寧な客扱いをしているのもレックスだったりするのだから、どれだけの作業量を瞬時にこなしているのか、見当も付かなかった。


 ララが預かっている財布から支払いを済ますと、後ろの客からの『早く進め』オーラを受けて、押し出されるようにリーゼロッテとララは、トーマス商店を出た。

 ちなみに商品を包むかどうかは訊かれず、そのまま渡された。思えば、店内にいた客は何かしらの容器や袋を持っていた。何も持っていない人間は『道具箱』持ちなのだろう。


 後ろを振り返り、トーマス商店を俯瞰する。

「わかったような、わからないような……」

 結局のところ、『ザ・リバース』の正体は、捕まえてみないとわからないのだ。それを周辺から探ろうとしていた時点で間違いなのである。この結論は、アーロン騎士団長がエルマに言ったことと同じで、現行犯以外に正体を暴く術はない。

 ララは、モヤモヤした気持ちが続くのか、と憂鬱な気分になる半面、レックスが犯人だとしたら、彼が捕まらなくて済むのでは、とホッとした気分にもなった。

「どうにも、あれね、私たち、振り回されっぱなしね」

 リーゼロッテが自嘲気味に言う。ララは、本当にその通りだ、と深く頷いた。



* * *



 リーゼロッテとララがトーマス商店の前で頭を抱えている姿を、物陰から覗っている人物がいた。

「………………」

 その人物は、リーゼロッテとララが、『シモダ屋』に戻るまで尾行をし、そのまま昼食を優雅に摂り、動きがないことを確認して、何やら魔道具を取り出すと、操作をし始めた。

 男が取り出した魔道具は『通信端末』で、エルマが持っていたものと同じものだ。

 これを所持することを許されているのはポートマットでは数十人、グリテン全体では百人に満たない。ごく短い文章をやり取りできる――――という、機能としては単純なものながら、遠方にいる人物と連絡が取れることは、この世界に於いて類を見ない威力を発揮する。


 例によって、この種の、世界観にそぐわない魔道具は『魔女』の発明品で、元々はごく親しい人物とやり取りするためだけに作った魔道具だ。それを拡散させ、多数の人物に持たせるように勧めたのは、冒険者ギルドポートマット支部の支部長、フェイ・クィンである。


 この世界の冒険者ギルドは、元々、荒くれ者がお互いを監視するために作った組織で、そのうちに互助組織の性質を持つようになり、結果的には地方騎士団、国家騎士団よりも遙かに健全な暴力組織に変質した。


 基本的には小規模の街であっても一つは冒険者ギルド支部(または、より小規模な出張所)が存在し、それらを束ねるのは『本部』と呼ばれる機構である。

 グリテン王国の場合は王都であるロンデニオンに本部があり、グリテン島から海を隔てたプロセア帝国にも、同種の組織がある。本部レベルでも横の連絡があり、組織の体裁は横並びになるようにコミュニケーションが取られている。


 冒険者ギルドは政治的に中立を謳っており、どこかの政治家や国家、領主に与しないのが基本姿勢ではあるものの、このポートマットではいささか事情が違う。

 というのは、支部長であるフェイは、アーロンやトーマスがそうであるように、『裏の会議』のメンバーであり、街を裏から牛耳っている一人であるからだ。この会議のメンバーは、他に若き領主であるアイザイア・ノーマン、聖教会ポートマット支部の司教であるユリアン・ラングリー、そして『魔女』の、合計六名。いずれも表の顔が確固たる地位を持つ人物である。


「ふむ……」

 男は返信されてきた短文(ショートメール)の文面を見て軽く唸る。監視の交代が遅れるという連絡だった。ここのところ、この種の諜報活動に就く機会が増えている。人員不足でもあり、専門の組織の立ち上げが必要だ、と痛感しているところだ。この仕事を命じた上司に相談してみようか。しかし、自分はそういう組織の長なんていう器ではないし……。

 こういう、継続して人物を監視する、などという仕事は、もっと粘着質な性格の方が良い、と男は確信している。舐めるような視線と、目的のためには手段を選ばない冷徹な性格。自分はそんな性格ではない、と思ってはいるが、それはあくまで自己評価である。上司がこの命令を下しているということは、少なからず自分には素養があるのではないか。そうなると自己評価なんて怪しいものだな、と自嘲する。


「…………………」

 おっと、監視対象が降りてきた。お出かけか。

 男は青い髪のウェイトレス(この宿の一人娘だ)に支払いを済ませると、ゆっくり監視対象の後を追った。



* * *



「美味しいと評判らしいのよ」

「ひ……お嬢様……」

 リーゼロッテが提案したのは迷宮の浴場へ行ってみることだった。『シモダ屋』のウェイトレスで一人娘、カーラから、

「迷宮の大浴場の二階にあるフィッシュ&チップスが美味しいのよ。お風呂に入った後に、エールと一緒に頂くんだけど、これがまた!」

 と、身振り手振り、大袈裟にお勧めをされたのだ。


 レックスに淡い恋心があるのは出会った時からではあるものの、『ザ・リバース』ではないか、という疑念を持っていることは、心に瑕疵を持っていることでもある。自分の心に板挟みになっているララを、主(正確には主ではないが)としては放置しておけなかった。気分転換をさせてやりたかったのだ。


 リーゼロッテは自分が被害者であるにもかかわらず、気丈にも他人を気遣っている。それがララにも伝わってくるために、迷宮行きの提案に乗ることにした。だらしない肉体の主人は、トーマス商店の下着を着用することで肉感的な美女に変貌している。先にララが揶揄したように、男に見せびらかしに行きたいのかもしれない、などと色々な理由を付けて、ではあったが。


 今はお昼過ぎで、今の時間の迷宮行きの馬車は、西の町外れにある馬車ターミナルから定期便が出ているという。

 レックスが指摘したように、リーゼロッテはあまり歩き慣れているとは言えない。散歩のつもりでゆっくり歩くことにして、それも見物をしながら、西通りを進む。

「疲れたら休みましょう」

「まあ、そうね。図らずもゆっくり見て回るという事態になったわね」

 馬車をチャーターするにも、誰かが馬車ターミナルに行かなければならない。リーゼロッテを一人にするわけには行かないから、結局のところ、最速の手段が一緒に歩くことだった。

「そうですね。右側が住宅街ですね」

「あれは………教会?」

 左手に石造りで三角屋根の建物が見えてきた。

「そのようです。合掌している掌のレリーフがありますし。聖教会の建物で、これほど大きなものは初めて見ました」

「そういうものなの?」

「はい、プロセアでは聖教会は少数派ですから」

「ふうん……」

 ララの解説を聞きながら、西通りを西に向かって歩く。


「こうしてみると、ポートマットは南北に極端に短く、東西に極端に長いんですね」

「それって珍しいことなの?」

「そうかもしれません。普通、港は入り江に作られることが多いのです。波の影響を避けるためだと聞いています」

 レックスが一緒なら、もっと詳しい解説が得られそうだ。ララが解説したことに加えて、坂道が多い港町が殆ど、ということを考えると、ほぼ平地であるポートマットは不思議な発展の仕方をしていると言える。


「街の成り立ちにも色々あるものねぇ……」

 リーゼロッテが住んでいる帝都にも当然成り立ちと歴史があるはずだが、作法や貴族的な嗜みばかりを教育されているリーゼロッテは、その辺りの知識がスッポリ抜け落ちている。それに気付くということは、いかに自分が歪な教育をされて、道具的な扱いをされているのか、に気付くということでもある。

 長兄(フリードリヒ)がこの視察旅行を推してくれた理由は何だろうか、とフッと考える。従者一人だけをつけた旅は危険に満ちている。実際にパンツを奪われるという事件にも遭遇した。しかし、()()()()は想定内として送り出されている。


 リーゼロッテは、自分の婚姻話が近づいているのでは、と邪推した。王城内部で鬱屈した日々を過ごしてきた彼女は、自発的に城の外に出た経験がない。外に出て初めて遭遇する悪意が『ザ・リバース』だというのだから、運命というやつは手加減を知らないのではないか。

 リーゼロッテは内心で嘆息する。

 ともあれ、この視察旅行が終わったら、きっと、顔も知らない、どこかの国内有力貴族か、国外の王族の元に嫁がされるのだろう。

 だから、この旅は、リーゼロッテにとって、最初で最後の旅行なのだ。また、籠の鳥に戻るのだ。


 リーゼロッテは不意に後ろを振り向く。かなり距離が離れてしまったが、その視線は東のロータリーを捉えていた。その脇にあるお店に勤めている少年を思いやる。

 レックスを帝国に連れて帰ることは出来ないだろうか。

 可能かどうか色々と考えてみる。それを考えてみることはリーゼロッテにとって甘美な時間だった。


「お嬢様、あそこが馬車乗り場のようですね」

 ララが指差す方向には、馬車が多数、滞留していた。町外れまで歩いてきたのだ。

 レックスが指摘した通り、運動不足が祟ってふくらはぎが痛い。そうだ、レックスの言う通りだ。だから、ふくらはぎが痛いのも我慢できる……そんな思考に囚われるリーゼロッテだった。





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