攻撃と反撃
たいせつなことを決めるのは、自分自身の心。
親父の一言で世界が動き出した。
最初は日本。普段あれだけ腰が重い防衛庁が自衛隊を、警察庁が所轄までを総動員してあたしの居場所を一瞬で洗い出し、ヒマを持て余していた特殊部隊を御影グループ全ての会社に送り込んだ。あたしが一度も立ち寄ったことのない遠くの町工場にまで。御影椎果がシヴァルだと判った以上、どんな暴動が起きても大丈夫なように、との配慮だ。
それに北米軍が乗っかってきた。
世界を七つに分けたついでにと、跡地の利用計画まで含めてかなり具体的に移転話が進んだのに、結局ぐずぐずと残っていた横須賀の北米軍基地が声明を発表した。
『椎果嬢の正体が何者であろうと、彼女は世界の歌姫として守るべき女性だ』
国連も日本政府もこれに関しては何も言わなかった。むしろ彼等がマッコウクジラに攻撃を仕掛けないかが危惧された。何しろあの国は「敵国」に飢えてる。
雷夏さんを始めとする国連のひとたちの尽力で―少なくとも表向きは―貧富の差から起きるテロや紛争は無くなったいまの世界で、あたしの親父は格好の獲物なのだ。その科学力の、圧倒的なまでの差を完全に無視してしまえるほどに。
だが北米軍は警戒レベルを上げたぐらいで目立った行動を止めた。だがいつ拳を振りかざすか分かったものではない。
「もう、ほんっとにあの国は……」
SPが運転するリムジンに揺られながら、あたしは小型テレビで情報を集めていた。局はどこも特別番組を編成して親父が巻き起こした事故と、それから発展する世界中の動きを解説している。
それはいい。情報を欲しがるのは人の習性みたいなものだし、テレビ局もこの素材を扱わずにはいられないわけだし。
でもあたしは、御影の家に帰ってそれからどうすればいい?
あたしは地球の人間じゃない。
あたしの本当の家は、ここから何光年も離れたところにある。そして迎えがきた。
でも。あたしには沙羅さんと交わした約束がある。いま親父の船に乗って帰ることは約束を破ることになる。だからあたしは名乗り出せない。
それに気になる点もある。
「何を焦ってるの? あの人は」
あたしの記憶の限り、親父に関する噂といえば「根性無し」、「弱腰」の二文字が真っ先にのぼっていた。三つの恒星系と四つの惑星政府が加盟する星系連盟の議長でありながら、その外交手腕はお世辞にも優れたものではなかった。
その親父が、雷夏さんの威圧を受けても要求を変えなかった。
これは、異例だ。
当時十才のあたしがどれだけ親父の仕事を知っているのか、とか、子どもが政治を理解できていたのか、とか訊かれれば返答に困るけどね。
「何か、あったのかな」
そうとしか考えられない。だとしたら、あたしがやれることをやっておこう。
「ケイ、あたしの腕時計で親父の船に通信入れられる?」
あたしの太ももの上でとぐろを巻いていたケイは耳だけをこっちに向けて、にゃあう、と返事をした。
「うん、ここの位置は隠してね」
ハンドルを握るSPはあたしの正体を知っている。護衛対象が何者であるかを知らせずに働いてもらうのは悪いから、と冬雪美さんが決めたことだ。
ケイに中継役を頼み、肌身離さず左腕に付けている腕時計を使って通信を入れた。十秒と待たずに繋がった。さすがケイ。腕時計の上に現れたホログラフに船の艦橋が映し出される。軽く深呼吸をして、
「こちらはイタニ・オミス星系連盟皇国第一皇女、シヴァル=パティク・イウム・ハユル=カルュンである。今回の一件で国皇に問い質したい。取り次いでもらえるか」
ホロに映る通信士の若い男性はいきなりの通信に驚いていたけど、添付したあたしの遺伝子情報で本人確認は取れたみたい。
画面が切り替わって、豊かなあごヒゲをたくわえた艦長が対応に入った。記憶の片隅に出合った記憶がある。名前までは思い出せなかったけど。
『ご無事でなによりです。が、姫様、申し訳ありません。陛下にお取り次ぎすることは叶いません』
「何故です。娘が父と話をしたい、といっているだけですよ?」
『できないのです。御容赦下さい』
「あなた方にそんな権限はないはずです」もう我慢の限界だった。「地球の代表者とは会談していたじゃないの!」
『あれは別です。国皇は……』
『艦長、陛下より攻撃命令を賜りました』
艦長さんとの会話に割り込んできた報告にあたしは戦慄した。
「ちょ、ちょっと待ちなさい! 何よ、攻撃命令って! あたしはここにいるのよ? なのになんでそんなことするの!」
『申し訳ありません、姫様』
「待ちなさい!」
『御容赦を』
通信は一方的に途絶された。
なんであの親父は!
「停めてください!」
急ブレーキで車を停めてもらい、転がるように外に出る。月は―あった。そしてマッコウクジラの腹から、夜目にもはっきりと分かる漆黒の球体が西の空へと落ちていく。
「逃げてぇっ!」
叫んでどうかなるものでもないけど。でも叫ばずにはいられなかった。
落ちていく。
落ちていく。
なんで、こんなこと。
小型テレビが絶望的な状況を伝えた。
『えー、ご覧、いただけるでしょうか……』
それはヘリからの映像だった。
シベリアのツンドラ地帯が消滅していた。
*
人的被害がゼロだったのは不幸中の幸いだった。でもあそこにはたくさんの動物たちが暮らしていたし、針葉樹の森は貴重な資源でもある。
それを、あの親父は一瞬で消し去った。
だけど、それだけじゃ済まなかった。
手を出したのは北米軍。
月基地に配備されていた核ミサイルを親父の船へ発射した。当然、国連の承認も無いまま、せっかく雷夏さんが各区域の代表に、攻撃しないように説得して回っていたのに。
北米区域大統領の主張はこう。
『椎果嬢の自由意思を無視したこの攻撃は、たとえ人命が失われたものでなくとも許されるものではない。国連が報復を行わない、というのなら我々が鉄槌を打ち振るおう』
だからって月都市の近くで核を使っていい理由になると思うの?
ほとんど北米区域のわがままだけで月に配備されていた二十発もの核ミサイルを、大統領は一発残らず発射した。何百年経っても、国という概念が薄まったいまでもあの地区の振りかざす『正義』は同じみたい。
だからこの問題はあなたたちにさわってほしく無かったの!
でも結局、放たれた二十発の悪魔は一発残らず無効化された。当然よ。重力を制御出来るあたしたちが核なんかを恐がると思ってるの? 安全な兵器なんて元々ないけどさ。そもそも、跳ね返されたらどうするつもりだったのよ。
月も地球もダメージは受けなかったから良かったけど、もちろん雷夏さんは烈火の如く怒った。
『平和の内に解決できる問題に横槍を入れたあなた方を、国連事務総長の名において強く断罪します。向こう五年間の代表会議への参加禁止と、決定事項への遵守を命じます』
お母さんに叱られた子どものように北米地区はおとなしくなった。けど、他の五区域はここぞとばかりにあらゆるネットワークを駆使して「御影椎果」の身柄を捜索し始めた。核分裂を抑止させる技術なんて、どの国も喉から手が出るぐらいに欲しいものだから、あたしを手土産に技術供与を求めるつもりで。 どっちも最低。
「いい加減にしてよ、もうそんなの」
にゃ。
「え、電話?」
ケイに言われるまで、自分のケイタイが着信音を鳴らしていることに気付かなかった。慌ててポケットから取り出し、相手が誰かも確認せずに通話ボタンを押した。
『あ、椎果ちゃん? あたしあたし』
「えっと、アヤさん?」
ケイが声紋からちゃんと本人だと証言してくれた。
『そうそうそう。よかった~。やっと繋がったわ。ねえいまどこ? 周り静かみたいだけど、無事なのね?』
「あ、はい。えっと、SPさんと一緒です。いま家に……」
『うん、わかった』安心したのか、急に口調が砕けた。『やーもう、びっくりしたよ。会談で椎果ちゃんの名前が出てくるんだもん』
「あ、あの、みんなは」
『うん。みんなも驚いてる。でもみんな納得はしてる。椎果ちゃん一六才にしちゃ、達観しすぎてるもん。一五六年生きてるって分かったら、ああそうか成程って』
「……そうですか」
『じゃあ切るよ。みんなにもよろしく言って……』
そんな、急すぎる!
「待ってください!」
『なに、家に帰るんでしょ? だったら、はいこれまでお疲れさま。あたしは楽しかったよ。じゃあね』
「待って!」
遅かった。
受話器から二度とアヤさんの声は流れてこなかった。リダイヤル―だがそれもなぜか着信拒否されて繋がらない。
まただ。
あたしは一方的に置いていかれる。
あたしが生きていくのにこの星の時間は、
「速すぎるよぉ……っ」
次回、おうちに帰ります。