椎果とシヴァル
親父登場。
今日一日考えさせて下さい。
届いたピザを丸々二枚食べてからあたしは事務所をあとにした。だってお腹が空いてたんだもん。しょうがないじゃない。
街はおだやかにさわがしい。この一五六年でずいぶんと変わった。こっちに家出してきたあの日に生まれた人でも、もうこの世にいない。
でもあたしは一六才だ。
イタニ・オミスの人間は地球の人で言えば千年の時を生きる。あたしの体はまだ大人になりきれてない。あたしの十分の一しかないこの星の人の寿命はあたしをどんどん置き去りにしていく。御影の血が、あともう少しだけ弱かったらあたしの心はきっと簡単に砕けていた。
「ケイ、いまの星系連盟の状況がどうなっているか調べて」
足元を歩いていたケイがにゃう、と啼いてしっぽをぴん、と立てた。
「え、もう? さっすが。仕事がはやいね」
ケイはイタニ・オミス皇家の人間だけに与えられるサポートロボット。猫から人間、果ては宇宙船にまで変身できる。けど残念ながら、乗ってる宇宙船が事故を起こした時に使う、救命ボートのような能力しかない。救難信号の出力も低くて、騒がしい地上からじゃとても届かないほど。
猫の格好をしてるのは、『怪しまれないための変装』だそうだけど、いまはあの姿が気にいってるみたい。喉をなでてもらってる時のあの気持ちよさそうな顔ときたら。
沙羅さんに渡したオーバーテクノロジー、ナノ技術や重力制御技術のほとんどは、彼女に記録された―搭載されていたもの。そういう面で言えばあたしが御影の家に貢献できたことはほとんどない。ご飯だってちゃんと食べさせてくれし、学校も大学まで行かせてもらった。
たくさんのひとと逢える歌手の仕事はとても楽しい。世話になりっぱなし。
どうすればこの恩を返せるだろう。
最近はそればかり考えている。
月のそばに浮かぶマッコウクジラをきっ、と見据え、
「も~~~~、どうして今頃になって来るのよぉおおっ!」
行き違うひとたちがいきなり怒鳴ったあたしにびっくりして振り返るけど、それだけ。このいい意味での冷たさもいまは心地好い。 足元でケイが一声啼いた。
「……、ん。ありがと」
ケイがくれた情報によると、あたしの家出が発覚して間もなく母親は心労で他界し―さすがにそれはショックだった―、他に子どものいない親父は再婚したがついに子宝には恵まれなかった。親父にも兄弟はひとりもいない。直系の子孫による世襲だけが皇位を継げるイタニ・オミスに、次の王はいない。
星系連盟は議事によって運営されているけど、議長国の代表がいなくなればもともと不安定な連盟は崩壊する。地球のように同じ星の上で結ばれているものではないから連盟の繋がりはばらばらになり、最悪の場合、覇権をめぐって戦争が起こる。ケイはいまの星系連盟のパワーバランスからそう結論付けた。
そして何より一番重要なのは、女王になるには親父から直接、王冠と軍配団扇を受け取らなければいけない、ということ。
ふっ、と頭が重くなった。上を見ればケイが頭にしがみついている。
「ねえ、ケイは星に帰りたい?」
にい、と一声啼いた。普通の人が聞けばただの猫の声だけど、あたしの脳にはちゃんとした文章に変換される。
「なんだ。あたしより覚悟決まってるんじゃない。来たときはあんなにごねてたのに」
にゃあん。
「そりゃ来る時は覚悟決めてきたけどさ。時間、経ち過ぎたよ」
にゃ。
「だってさあ、こんなに辛いとは思わなかったもん。ちゃちゃちゃっ、と沙羅さんが生きてる間に船造って帰るつもりだったのにさ」
にうぅ。
「戦争が産んだ技術って確かにあるけどさ、この星のひとたちは争ってばかりだもん。世界を七つに分けるのでさえ五十年もかかったんだよ? 船が出来るまであと何百年かかるのかって考えただけでもぞっとするよ」
なー?
「まだ分からない。帰った方がいいんだろうけど、……やっぱりね」
にゃあう。
ケイに言われて左前を見ると、家電量販店の街頭テレビで地球側の代表―雷夏さんとあたしの父親との会談が流れていた。
街頭テレビの前には仕事帰りのひとたちが輪を作り、真剣な顔でテレビを見ている。その壁をかきわけながらどうにか一番前まで出る。何人かがあたしに気付いたけど、テレビの方が気になるみたいで騒がなかった。
『ですから、せめて謝罪していただきたいのです。事故とはいえあなた方は二千四百八十七名の命を奪ったのですから』
折りジワの残る新品のシーツをかけた長机を挟んでふたつの星の代表が対話していた。 向かって右側が雷夏さん。左側にあたしの父親、スオラシュが座ってる。でも凄いな雷夏さん。まだ五時間ぐらいしか経っていないのに、もう会談をしてるなんて。この強引さがなかったらこんなに早く火星移民なんてとても無理だったんだろうけど。
『千年近い時を生きるあなたたちでも、命の尊さは変わらないはずです。いくら国王であろうとも……』
『こんな会談になんの意味がある! 我々は娘を引き取りに来ただけだ! 残り四十時間を切ったぞ。核以上の悪夢を見たくなければ早く娘を差し出すべきだと思うが?』
額の第三の瞳を恥ずかしげもなくさらし、机を乱暴に何度も叩きながら親父がわめき散らしている。神経質で、弱者には居丈高に振る舞う典型的な高慢者。この人が死ぬか引退すればあたしが女皇になる。あんたがそんなだから、あたしは家出したの。王様になるのがイヤだったんじゃないからね。
『いいえ、捜索はしません。というより無理なんです。あなた方から見れば短い時間でしょうが、私達には一生よりも永い一五六年も前にやってきて、さらにどこで暮らしているかも判らないたったひとりの女性を捜すことは不可能に近いのです』
自分の意見を押し通そうとするだけの親父の態度に雷夏さんは相当苛立っている。その証拠に眉が危険な角度に傾き始めている。
『なんと、そのような判断で捜索もしないとは。この星は血の通わぬ者が暮らしておるようだな!』
ぎり、と鈍く重い音が聞こえた。あれはきっと雷夏さんの歯ぎしりの音だ。
哀れにもそれが聞こえなかった親父は「自分の立場が上だ」と勘違いした。背もたれにのけぞり、一層尊大な口調でこう言った。
『見つからぬ、というのなら賞金なりをかければよかろう』
ばか。知らないからね。
雷夏さんの右手に凶悪なまでの力がたわめられた。直後、みし、と響いた低く重い音はたぶん、テーブルが上げた悲鳴だ。みしみしみしっ! と徐々に悲鳴は大きくなり、ついに雷鳴のような音とともに雷夏さんはブ厚いテーブルを叩き折った!
『そんな……』
そして彼女の太ももを支点にして左側が高く上がったテーブルを左手で床に激しく叩きつけた!
『そんな魔女捜しみたいなことが出来るわけないでしょう!』
その怒号にマイク割れが起こり、テレビのスピーカーがびりびりと揺れた。
あたしからすれば―たったそれだけのことで親父の顔から余裕は消え、代わりに恐怖が滲み出ている。
負け犬のにように怯える親父をきっかり一○秒間だけ睨むと、怒りに震える息を吐き、拳を解いて心を鎮めた。大人になったなあ。あと十才若かったら親父、とっくに病院送りだね。
『……失礼、しました。ともかく、シヴァルさんに対してこちらからアプローチ出来ることは少ないのです。十日とは言いません。せめて一週間待って下さい。それで彼女からなんの反応もなければシヴァルさんは地球への亡命意思があるものとして、捜索を打ち切ります。それが私達にできる唯一の方法です』
親父は誰の目にも分かるぐらいに狼狽し、よりによって雷夏さんに助けを求めた。
『我々に滅びの道を歩めというのか』
雷夏さんは親父をきっ、と睨み据えた。
『それが人にものを頼む態度ですか』
親父はびく、と全身をふるわせた。
『シヴァルさんがどれほどの覚悟を持って家出をなさったのかは知りませんが、家出をされるような環境においやったのはあなた方の責任でしょう。その上一五六年も放っておいて、自分たちが困ったときになってやっと捜しにくるなんて都合が良すぎませんか』
雷夏さんは親父の甘えに怒り、その怒りは自分の言葉を疑問形にさせなかった。
『娘さんの気持ちを、少しは察して下さい』
『ならば、顔も知らぬ異星の娘と滅びの道を歩むというのか? 核以上の悪夢を見たくなければ……』
『我々にも重力弾は造れます』
『ブ、ブラックホールを造れると?』
切り札を封じられ、親父はまた狼狽した。
『ええ。まだ余剰次元にではなく、三次元空間に、ですが。我々があなた方よりも技術が遅れている、とは思わないでいただかないで下さい。そんなことよりも話をシヴァルさんに戻しましょうか』
姿勢を正して親父を睨み付ける。単純な怒りもあるけど、それだけじゃない。
『本当に帰りたいのならあなたたちが訪れた時、真っ先にシヴァルさんは姿を見せているはずでしょう? それが無いのは帰りたくないか、迷っているか』
そこですこし言い淀んだ。
『……もう、亡くなられているのかのいずれかだと私は思います。いまは時間を下さい。私たちにではなく、シヴァルさんに』
顔中に吹き出ている冷や汗をハンカチで拭いながら、親父は絞り出すように言った。
『ならぬ。我々には一刻の猶予もないのだ』
どこまでも他人に頼ろうとする親父を、雷夏さんは哀れむような目で見つめた。
『知りません。そんなこと。ご自分でも努力なさったらどうです』
そこで誰かが側近がスオラシュに耳打ちした。その顔から恐怖が少しずつ消え、そして入れ替わりに尊大な輝きを取り戻していく。
『ふ、捜さずとも向こうから居場所を知らせてくれたわ』
あたしはそんなことやっていない。だとすれば―、
「ケイ、あんたまさか!」
『この星の島国でミカゲシイカと名乗る歌い人が我が娘だ!』
雷夏さんが立ち上がって親父の声を遮るように怒鳴った。
『シヴァルさん、自分で判断して下さい!』
『ミカゲシイカを連れてきた者には望む褒美をやるぞ! シヴァル、いますぐ出て来なければ分かっておるだろうな!』
会談の映像はそこで終わった。
同時に、街頭テレビを取り囲む人集りが騒ぎ始めた。あたしは振り返って人集りに向かい合う。もう隠しておく必要もなくなっちゃったから、いいですよね。沙羅さん。
「みなさんお気付きのように、私は御影椎果です。でも」変装を解いておでこの第三の目を晒した。「シヴァルという異星の王女でもあります。いままで嘘をついていてごめんなさい」
人集りがざわついた。こうして見てみるとスーツ姿の会社員が多い。こんな日でも仕事をしていた
人は多いみたい。
たぶんこの人達はあたしが金塊にでも見えてるんだろうな。悲しい気持ちが支配して逃げなかった。じり、とにじり寄る人集りの目がそれを証明していた。ケイが頭の上で唸り声を上げるが、たかが黒猫一匹に臆する人はいなかった。
ざっと見て二十人はいる囲みの最前列の目は飢えた肉食獣の如く血走り、今まさに追い詰めた獲物に飛びかかろうとした瞬間、
「椎果ちゃんどこかに行っちゃうの?」
人集りの膝のあたりから視線を感じた。
「やだよ! 椎果ちゃんのお歌、あたし好きだもん! どっかいっちゃうなんてやだ!」
五才ぐらいのおんなのこが顔中を口にして叫んでいる。人集りもその泣き声に正気を取り戻し、動きを止めた。一番前にいたスーツ姿の男性があたしに何か言おうと、
「椎果さん! こっちです!」
人集りの向こうから響き渡った男声がそれを遮った。SPの人だ。助かった。それが正直な感想だ。目立つから、という理由で普段は遠巻きに守ってもらっている彼等の尽力がいまは何よりもありがたい。
まだ泣いているおんなのこの頭を撫でてあげたかったけど、ケイにそんな時間はない、と怒られた。後ろ髪引かれる思いで人集りを掻き分け、SPが呼ぶ地点まで走り出す。
「ごめんなさい、みなさん」
人集りは茫然とあたしを素通りさせた。
おんなのこはまだ泣き続けていた。
あとで分かったけど、ケイは逆探知をされていただけだった。
疑ってごめん。
次回は人類の反撃です。