2
日記にそうした忘れてはいけない気持ちを少しでも克明に残しておくためにもペンを走らせ続け、ようやくまとめ終わると一仕事を終えた安堵とともに不安を覚えました。
萌さん、遅いな。
川に水を汲みに行ったのだと思いましたが、それにしては時間がかかりすぎではないのでしょうか?
「もしかして」
私は、はっとしました。
萌さんは小柄だから誤って川の深いところに落ちてしまった場合、自力で助かるでしょうか? いえ、ああみえてしっかりなさっていますし、けど、もしものことがあったらと悪い方向に物事を考えてしまうとどんどん深みにはまっていくもので私はいてもたってもいられずに立ち上がりました。
「急がないと!」
違っていたら私の早とちりでしたと謝ればいいのです。ですがそうでなかったら一生後悔することになります。
人生の後悔を、少しでも減らせるために私はここにいるのですから
勢いよく小屋から出た私は周囲を見回して、すぐに萌さんが教えてくれた建物の裏手にまわりました。生い茂った木々の枝が伸び放題でそのなかに入るにはいささか勇気が必要でした。
深呼吸をひとつして覚悟を決めて足を伸ばします。すぐに尖った枝が肌にあたって痛く、葉がくすぐったいので前に進むのはなかなかに骨が折れます。
どれくらい進んでいたでしょうか、薄らと額に汗をかいたころ、さらさらとせせらぎが微かに聞こえて、鼻孔に水の匂いがしたのに近くに川があるのだと確信して足が早まりました。
ようやく木々を抜けると
「あ」
私は息を飲みました。
空に浮かぶ月が輝きが、照らしていのは――真っ赤な化け物。
私はひっと声を上げてその場に尻餅をつきました
血肉が人の形をしている、そう思ったのです。それほどに目の前にいた、何も身に着けていない裸の萌さんの肌という肌に斬り傷に瞬きも忘れて釘づけとなっていました。と、彼女が動きだしたと思った瞬間、世界がまわって、後頭部が地面にあたりました。
「っ!」
吐き気と混乱に目が回ります。ぽたと水が頬に落ちたのに視線を向けると水に濡れた萌さんが目の前に佇んでいました。
「覗き、ですか」
「え」
「覗きですか」
再度問われた言葉の意味が、ようやく落ち着いてきた頭にじわじわと水が土に染みるように理解して私は真っ赤になって首を横にふりました。
「ちがいます、ちがいます! 川に水を汲みに行ったのに、帰ってくるのが遅くて、もしかしたら深いところに落ちたのかと思いまして!」
私は目を固く閉じて必死に声をあげました。全身がぴりぴりと痛いほどの殺気に震えが走ります。
「……そう、ですか」
すっと上に乗っていた重みがひいたのに私は薄目を開けると、剣の鉾先が向けられて再びぎゅうと目を閉じました。
「着替えるまで待ってください」
「は、はい」
私は地面に正座すると目を閉じた上に両手で顔を覆い、完璧に見ていませんという態度をとりました。するとしゅるしゅると絹の擦れる音が耳についてますます混乱しました。
だって、だって、萌さんは女性なのに、私はなんてことをしてしまったのでしょうか!
見た目からして女性なのに、どうしてか彼女を女と見ていなかったのでしょうか? それよりも、幼さの方面ばかり気を取られすぎていて……ああ、もう!
それに、先ほどは女性というよりも私はこの人を――化け物と思ってしまった。あれは、先ほどの素肌は……
「いいですよ」
声がして私は手をのけると萌さんが立っていました。髪の毛は濡れていますが、服は着替えられていて私はほっとしました。
「あの、ここには、どうして、萌さんは?」
私か遠慮がちに視線を向けると萌さんはくりくりとした大きな瞳を限界まで見開いて目をぱちぱちと瞬かせました。
「水浴びをしていたんです」
「あ、ああ」
やはり彼女も女性なのですね。
「本来、護衛のときは控えるのですが、今日は静かだったのと汗をいっぱいかいたので」
「やっぱり、昼間にいろいろと無茶をさせてましたか? 私は馬に乗っていてわからなかったので」
私が申し訳ないと俯くと萌さんは屈みこんで私を真っ直ぐに見つめてきました。
「大丈夫です」
「いいえ。本当に、私の認識不足というか、配慮不足で、それで、いやな思いをさせてしまって、先ほどなんて覗きを、いえ、その、決してやましい気持ちはなくて! 萌さんはただ川の水を汲みにいったのだと思って、それで、それで心配でですね」
なんとか立ち上がった大きく頭をさげて謝罪をします。本当に、心から悪いとは思っているんです。いくらなんでも私は考えが足りなさ過ぎました。
「心配してくれたことですから、それに……先ほど、いやな思いをしたのは神父さまではないのですか」
「え」
「萌の裸、見ましたよね?」
冷静な確認に私の頬に血が集まります。
「あんな体を見ては不愉快だったですよね?」
「い、いえ、あの」
私は思わず萌さんを見つめました。何か言おうとして口をぱくぱくと動かしますが、焦ってしまい、なにを言えばいいのかわからず、そうするとますます舌が痺れたように言葉が浮かばず、さらに口のなかがからからに乾いて苦しくなります。
萌さんの瞳がじっと私を見つめます。
ますます緊張して私は俯いていると、ふと萌さんの纏う雰囲気が変わったのがわかって、顔をあげると萌さんの顔つき険しいものとなって腰の剣を手にかけます
「どうし」
「しっ! ……小屋から、音が、します」
鋭い目で萌さんが小屋の方向を見ると唇に指をあてて私に黙るように指示します。私は両手を握りしめて震え上がりました。なにか、今までの静けさとは違う、緊張が肌を突き刺すのがわかります。
萌さんは私を手招くと、ゆるゆると腰を落として私の耳元で囁きました。
「小屋に何かいます。耳がいいのでわかり、ます」
「何か?」
「……見てきます」
萌さんが腰をやや浮かせて
「神父さまは、ここにいて、ください」
「それは、危ないのでは?」
「平気、です。萌はこんなときのためにいるんです」
萌さんが私を見下ろして、口元を綻ばせました。そうです、彼女は用心棒なのですから旅の手助けだけが仕事ではないのです。むしろ、私を危険から守る、今こそが本領を発揮するところでしょう。
声をかける間もなく、素早く、まるで骨を投げられたのを追いかける野犬のようなスピードで木々のなかに突っ込んでいくのに私はからからに乾いた口のなかを少しでも落ちつけようとごくりと唾液を飲み込み、その場に蹲って祈ってました。
永遠のような、じっとりとした闇のなかでの不気味な静寂。祈りがなんの役に立つのかと己がひどく滑稽に思えてきました。どうして私はこんな山のなかで身を縮めて一度だって私をいじめから助けてくれなかった神にすがるのか。そんなものよりも萌さんに祈ってほうがいいのではないのか? 耐えきれない緊張を孕んだ現実と向かい合った私の思考はぐるぐるとまわって混乱しはじめしていました。
萌さんは、どうしているだろう。何があったのだろうか?
悪い方向に考えが転んでしまい、恐怖に歯を震わせながら私はがさりという葉擦れの音に顔をあげました。
「も……!」
萌さんが帰ってきたと思って、ほっとした私の目の前には屈強な二人の男が現れて、ぎょっとしました。
「神父か!」
「あの荷物はあんたのものか? 馬までいるとは、イイ御身分だなぁ」
男たちの言葉に私はじりじりと後ろに下がりました。
「あ、あなたたちは……」
獣の皮を肩にかけた荒々しいなかに凶悪なものがひしひしと感じられる姿、それに手に持った剣。――いくら世間知らずでも夜盗だとわかります。
「そんな怖がるなよ」
「そうだぜ。神父さま、哀れな俺らのために祈ってくれよ、かははははは」
この場での優位な彼らは私をあきらかにバカにして見下してきました。すると一人が近づいてきて
「なぁ神父さまぁ!」
私に近づいてきた男が声をあげて剣を振り下ろしてきました。
殺される。
まだ何も知らないというのに私は! 息を飲み、ぎゅっと拳を握りしめてただ睨みつけている私の前に何かが飛び出してきました。
「あ」
萌さん。
彼女は私の前に飛び出すと、何かで男の剣を受け、弾く。ああ、剣だ。それも二本の針のように細く、鋭い。それを両手に持った萌さんは腰を低く、男の懐に素早くもぐりこむと――肉の砕ける音を私は聞いた。ぎぃとも、どすとも聞こえる重い音。そして、萌さんは男の胴体をまっぶつにするとさらに駆けだした。もう一人の男は自分の仲間が死んだことに混乱しているのに萌さんは近づいていく。
「だめです、萌さん、殺しちゃ」
私の咄嗟の声に萌さんは前に出していた剣をさげて、飛び蹴りを男の頭にくらわせた。これもごりっと音はしたが、それでもただの打撃音だけのようでした。
ごとっと男が倒れたあと萌さんは振り返り、私を見ました。
「……無事、ですか?」
萌さんが私に近づいてきたのに、私はびくりと震え上がりました。それに萌さんは足を止めて俯いて足元を見ました。
彼女には私の恐怖が明白に伝わったのでしよう。
私は彼女を、目の前にいる萌さんを恐ろしいと思って顔をまともに見れません。あまりにも鮮やかに一人ひとりを殺してしまった彼女が。
それが私を助けるための行動で、私の制しの声に夜盗の一人は生かしていてくれたのだと自分に言い聞かせ済ますが、どうしても、恐怖心は消えません。
はじめて、人を殺すのを見てしまった混乱と恐怖は私を不作法にしていました。
「萌さん、あの、小屋は」
「夜盗がいました。数はおおよそ十人……ここに二人きたということは、十二でしょう。……早く離れましょう」
「逃げるんですか? 山のなかに?」
「いいえ。夜盗の数はわかっています、倒します」
萌さんの言葉に私は目を丸めました。
「そんな、危険じゃ」
「あの程度なら勝てます。むしろ山の中に逃げるのは、危険です。地理を知らないので不利です。それに……荷物がない状態で山のなかを過ごすのは大変です」
「たし、かに」
それに、と萌さんが続けました。
「荷物はいいんですか?」
「それは、あ」
私はそのときになって自分が大切な巡回神父手帳を忘れていることに気が付きました。教会から発行されたロザリオとその手帳の両方が私の身分証となります。ロザリオを持っていますが、彼らが手帳を悪用されたらと思うと全身から血の気がひきます。
「いけません。取り返さないと」
「では、わた」
唐突に萌さんの小さな体がぐらりと前に倒れます。
私は目を限界まで見開いて彼女の後ろから現れた――先ほど飛び蹴りで倒されたはずの夜盗が立っていたのにぎょっとしました。口から血を流した夜盗はにやりと下品に笑うと崩れた萌さんを見下ろしました。
「このアマがァ、こいつ、こいつ!」
彼は狂ったように萌さんを蹴りつけるのに私が止めようとした。
「やめさなっ」
彼の突きだした剣に私はぎくりと動きを止めました。
「ハッ、このアマが、このアマがあああ! よくも俺を、仲間を! 連れ帰ったらさんざん犯してやるからなぁ!」
目の前の絶対的な暴力に私は怯えているしかできないなかで、ふっと白百合のような手が宙をかきました。
「あ」
萌さんが顔をあげて、息を飲むほどの鋭い目がじっと夜盗を睨みつけていました。仄暗く、深い、憎しみの詰まった瞳に男が怯えたように再び大きな声で意味のわからない言葉で怒鳴りながら蹴りを放ちます。ごりっと骨が砕けたんじゃないかという音に私は小さな悲鳴をあげると、別に小さな声が聞こえました。見ると夜盗の太い首から透明色の刃が生えている。それは萌さんの手にしっかりと握られた剣
いつの間に、握ったんだと疑問に思うよりもはやく萌さんは男の首を突き刺した剣を抜くと、もう一度、今度は男の心臓を迷うことなく突き刺して引き抜きました。
男の体から吹き出す血を萌さんが頭からかぶって、黒く、染まっていく。そんな彼女の鼻からとめどなく出ている血もやはり赤く――彼女もただではすまなかったのだと私は理解しましたが吐き気を催すような血の濃密な匂いに思わず手で口元をおさえました。
萌さんはゆっくりと立ち上がりました。
「萌、さん」
ふらりと彼女が歩き出すのに、きっと夜盗を皆殺しにするのだと察しました。この人ならできると私は確信しました。いくら大の男が束になっても彼女には勝てない。ギルドが腕利きと認めている彼女には
「萌さん、だめ、です」
ひどく自分が愚かなことを口にしているは理解していました。
私が先ほど止めた結果、生きていた夜盗が彼女になにをしたのか。それを思えば私は何もせず、自分の独善を口先だけの言葉で押し付けているにしかすぎない
私が黙って俯くと立ち止まっていた萌さんは再び歩きだす足音に、思わずすがるような声をかけてました。
「萌さん」
「萌は、剣なんです。剣は斬る、ためにあるんです」
「そんな、あなたは」
私の言葉よりも早く萌さんが走り出し、木々の包む暗闇のなかに消えてしまった。
一人で残された私は全身から力を抜いてその場に崩れました。自分の身を抱きしめて震えるしかできずに
なんてことをなんてことをそんな無意味な言葉が頭のなかをぐるぐるとまわります。
「萌さんは、どうして」
そこで私は自分が失態をしたのだとようやく理解しました。
どうして萌さんを止めなかった? 彼女の幼い背中は止めてほしそうに、私の言葉を聞こう最後まで待っていたのに。
剣が斬るものだというならば、
それを持っているのは誰でもない私だ。彼女は恐怖に怯えた私の判断を理解して剣として行ってしまった。
全身に駆けまわった絶望と意地汚さに吐き気がしました。私は自分が汚れたくないから何も言わなかった。言葉を紡げなかった。彼女はだから駆けだしていった。
ぐるぐると頭のなかに浮かぶのは学生のとき私のことをいじめていた同級生たちの顔でした。いじめられるのも、見下されるのも仕方がない。私がぐずでのろまだから。そういいながら私は彼らのことを憎んで、恨んでいた。それを必死に隠していたのは、そんなふうに己を認めて惨めになりたくなかったからだ。兄に反発して巡回神父になったのは……他人に自分を馬鹿にされたくなかった!
肝心なときに私は口を噤んで、本心が口に出来ずに、動かない……汚いくせに。
誰よりもプライドばかり強くても、兄に本気で立ち向かうこともしなかった。
「とめな、なくては、彼女を」
いま、ここで彼女を追わなくては。私は一生、逃げ続けることになる。言い訳をして、罪悪感に染まり、ようやく見つけた祈ることの意味すらわからなくなってしまう。
走って、転げて、土だらけになって、息が乱れて、肺の痛みに必死に耐え、抗いました。いま、戦わなくてはすべて無駄になってしまう。そんな恐怖に突き動かされてようやく出た道は血みどろでした
萌さんが、これを?
茫然としていると悲鳴があがりました。
萌さん?
私はゆるゆると進むと、萌さんがいました。ああ、まるで獣だ。黒い獣、魔の化身のような。血を浴びすぎて黒い獣となった萌さんが男を一人、また一人と殺していく。悲鳴をあげて逃げ戸惑う者は無視して、向かう者を手に持つ二つの刃で、突き殺していく。
そうして三人、風が吹くように仕留めてしまったあと萌さんは動きを止めました。
止めた? 私は怪訝に思って見て気が付きました。彼女は無駄な動きを最小限にするため敵の次の動きを誘っているのです。
そんな彼女にたいして夜盗は生き残っている六人。
「化け物め!」
「人喰い魔女め!」
悲鳴のような罵言。
「殺してやる、こいつ! 仲間の仇だぁ!」
切実な憎悪。
誰かを傷つければ、誰かの憎しみを買う。
当たり前のことだが、萌さんはそのなかにひとりで立っているのだと考えて震えが走りました。止めなくては。彼女が
「くくくくくくくくくくくくくくくくくく、ソイツ、クワセロヨ!」
全身に嫌悪が走るような声に私は動きを止めました。それは夜盗たちも同じですが、彼らの顔には安堵の表情が浮かべて振り返ります。
なにかがきた。なにが? ――眼を凝らすと森の中から出てくる影、それは両手に剣の人間? ちがう、あの白すぎる肌、赤い瞳は、両手は鋭い爪の――魔物!
「シュバール<夜の化身>さま!」
「助けてくれ! この女を殺してくれ」
夜盗たちが声をあげるのにシュバール<夜の化身>は口のなかにある鋭い剣のような牙が見せて、からからと笑っていました。
「人間にしちゃあ、強い、強いやつは大好きさ。そいつを食らえば喰らえだけ、俺たちゃああ、つよくなれるんだぁ」
萌さんがじっとシュバール<夜の化身>を睨みつけました。
「人間が、魔族と手を結んで……夜盗か」
萌さんの声は恐ろしく冷たい刃のように淡々としているのに夜盗の一人が声をあげました。
「うるせぇ! 俺たちゃ、魔族に村を滅ぼされたんだ!」
「それで、魔族の手下をして、弱い者からものをとって、奪って、犯して、満足か? その生き方に」
容赦のない舌鋒に夜盗たちは項垂れ、ついに声をあげました。
「だまれぇ」
六人いっぺんに萌さんに向かっていきます。萌さんは身を低くして彼らの刃を避けると、まるでダンスするように、ひらりと舞って、彼らの足首を切断しました。哀れなる夜盗たちの悲鳴をあげるのにとどめを刺そうとして――魔族が萌さんの懐に飛び込んできました。魔物の鋭い両手が萌さんの肩を貫きます。
「おまえも容赦がねぇなぁ」
「……っ」
悶える夜盗たちを踏みつけて魔族は萌さんをじりじりと後ろに追いつめていきます。
「萌さん!」
私が叫んだのに萌さんはいきなり全身から力を抜いて後ろに倒れると、その拍子に魔物が覆いかぶさってきたのを蹴り飛ばし、両手に持つ刃で首を叩き落としました。
黒い血が、散っていく。
魔族の血は毒。いけない、萌さんが――彼女は魔族の体にのしかかり、両手に持つ刃を心臓に――魔族は首を落としても死にません。二つある心臓を突かなくては。
毒の血を浴びながら萌さんは魔族にのしかかっている、離れてくださいと叫びたい私に彼女はちらりと視線を向けました。今、彼女は全身で魔物を取り押さえ、毒をまき散らすことを止めている――私を守るために。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお、うおおおおおおおおん、その力、おまえ、勇者だな?」
魔族が飛ばされた首を地面に転がして笑うのに私は耳を疑いました。
この世に生まれた魔族、その王を倒すことのできる人類の――勇者。
聖都の最高司祭により言い渡された魔王を狩ることのできる、対魔族専用の戦士である「勇者」。ただ強いだけではなく、その生まれ、いえ、胎内に流れる血も特殊だと聞き及びましたが、私の知る限り、勇者は全員で十人――結局、誰も魔王の城から帰ることはなく、そして魔族はずっと存在していることから、私たち民は勇者たちの死を考えました。最高司祭は勇者たちの霊を称え、さらなる強い勇者が再来するだろうと口にしていましたが……しかし、勇者のなかに女性がいたなんて、聞いたことは一度もありません。
「くくくくくくくくくくくくくくくくく、聞いたことあるぜぇ、いろんな勇者がいたが、一人だけ、おんながいたんだよぉおおおおお。魔王さまのところまでいったんだってなぁ? けどよ、魔王さまに倒されて、そうそう、奴隷だったんだろうぉおおおおお」
この魔族はなにを言って
「さんざん犯されて、孕んでよ、そしたら逃げちまってよぉおおおおおおお、てめぇか、てめぇだなぁ、あははははははははははははは、ガキを生んだ匂いがするぜ、おまえがあの勇者かぁああああああああああ! 子どもはどうした? どうしちまったぁああ? ああひでぇ女だなぁああああ、血の匂いだ、血の匂い魔族やにんげんの血のにおいだぁああああ、さんざん殺してきたもんなぁあああああ、血のせいでひどい毒だ、あんたの体、ひどい悪臭がする、毒だ、魔族の体よりもずっとひどい毒のからだだぁあ。ガキはころしたか? ころしちまったのかぁ? みんな、みぃんな、ころしちまったも」
萌さんは黙って両手にある剣で魔族の心臓を貫くと、耳を塞ぎたくなるような言葉がようやく止みました。
萌さんは自分の下で白い煙をたてて溶けていく魔族をじっと見つめているのに私は口を開こうとしましたがそれよりも早く別の声があがりました。
「てめぇがゆうしゃなのかぁ」
まだ生きていた夜盗が震える声をあげていたのです。まだ生きているといっても足を切断されて大量の血を流した顔は青白く、まるで幽霊のようです。
「いまのはほんとかぁって聞いてるんだァ! 答えろっ!」
血反吐に白い唾を飛ばして発する太い声が空気を震わせるほどにびりびりと響き、彼の血走った目がぎょろりと動いて萌さんを捕えました。
「……本当よ」
「それじゃあ、てめぇが、てめぇが魔王を殺さなかったから俺たちは魔族に村を壊されたのかぁああ!」
「……」
「こんなことになったのは、てめぇのせいだぁああああああああああ! 俺らが夜盗になったのも、人を殺したのも、こうやって、こうやってみじめに死ぬのもぉおおおおおお!」
呪詛をまき散らして夜盗が事切れるまで萌さんは立ち尽くしていました。そして、ゆっくりと私に振り返ります。
彼女は私の元から一メートルほどの距離をとって立ち止まりました。