二の十一
鳩羽はまず高い木へとめがけて走った。
真正面にいる紅鶸には目もくれず、違う方向へと走り跳躍する。周りが唖然としているのを気にも止めず、高く跳躍して木の上へと上がっていく。
「ちょっと!!どこ行ってんのよ!」
紅鶸が慌てて追いかけるがそれよりも鳩羽は高く高く登っていき、四十メートルぐらい登ったところで鳩羽は追いかけてきた紅鶸をと向き合った。こめかみに血管が浮き出そうなほど怒っている紅鶸にこそっと仕掛けていた術式を放ち、鳩羽は努めて冷静に話しかけた。
「すみません、誰にも聞かれずお話をしたくて」
「話?」
「はい、紅鶸先生はここの卒業生なんですよね?」
「そうよ」
「なら、実際の術使としての活動も」
「もちろんしていたわ」
「どうでしたか?」
そう問われて紅鶸は動きを止めた。瞳の焦点が合わなくなり、ぼんやりと問われるままに過去を思い出していた。
「どうって、どうもないわよ。ただ戦って、殺して、殺されそうになって大怪我して怖くなって術使失格と言われてここにきたのよ」
「そうですか。どんなことがあったんですか?」
「……弟が殺された。まだ生意気盛りの十二歳だった……あんな目にあって……あんた、なんの術式使ったの…」
紅鶸は我に返って鳩羽を見た。
自分の意思でないようにするすると話をしてしまう。実際の仕事であればこういった術は飛び交って当たり前だったが、鳩羽は最近編入してきたばかりのまだヒヨコだったはずだ。いくら浅縹が面倒をみていたからといって自分に気づかれずにこの術式を展開できるなんて。
「信じられない」
紅鶸は迷わず持っていた短刀で己の手を刺した。
自白や催眠の術式には痛みを与えれば解決するものが多い。
「先生!」
「胸糞悪いこと思い出させるんじゃないわよ!私はねぇっ!目の前で弟を殺された!それも残酷にね!爪を剥ぎ、耳を削り、腱を切り!!畜生!あいつら!殺してやる!!もっと残酷な方法で!死んだ方がマシと言うぐらいな目にあわせてから殺してやる!」
「先生!!」
顔を真っ赤にしながら泣き叫ぶ紅鶸に鳩羽は焦った。
紅鶸の表情を見ながら過去になにかあったのは想像できた。挑発にのってもらうために精神的な術式をちょっとかけたつもりだった。
「先生!しっかりしてください!!」
「うるさいうるさいうるさいっ!!」
未だに紅鶸はあの時の光景を毎日夢に見る。たくさんいる王族の子供達。その末端にいた自分と一番仲の良かった弟。王位継承権なんて遠い遠いものだったのに。それでも執拗に絡んでくる異母兄妹達。敵は少ない方がいいいと殺されかける日常。
心にも身体にも傷を負い、毎日思い出し、それでも十年以上かかけてゆっくりと思いを消化して日常に戻っていった。
それなのに。
「あんたは!!」
紅鶸が火の術式を描き、放つ。それも一回ではなく何回も何回も放っていく。
目は怒りに染まっていて、戦略もなにもあったものではない。ただ、無闇矢鱈に放っていく術式は鳩羽でも簡単に防げて、見ていてとても痛ましいものだ。
こうなったら体力がなくなるまで術を発動させた方が紅鶸のためにもなるだろうか、と鳩羽は紅鶸の火の術が周りの木を燃やさないように水の術式で消していきながら考える。手を抜いていると思わないように攻撃の術式を発動し、でも怪我をさせないように紅鶸が避けれるような位置に当たるようにと巧妙に戦っていく。
どのくらい続いただろう。出鱈目に術式を放っていた紅鶸はやがて最後だと言わんばかりに大きくて複雑な術式を描き始めた。
時間が経ち、少しだけ冷静さを取り戻した紅鶸は、手を出してこない鳩羽にも痺れをきらしていた。
教師としてはいけないが紅鶸は今回で鳩羽が大嫌いになった。すぐ殺したいぐらい嫌いだ。
殺すのは校長により禁止されているがこのぐらいは許されるだろうと鳩羽より大きな術式をゆっくりと描き始める。
流石に鳩羽は焦った。
これは当たったらひとたまりもない。かといって、術式の発動を妨害するために紅鶸を攻撃する勇気も鳩羽にはない。これほどの術を防御するほどの能力もない。
どうしようか、どうしようかと鳩羽は焦った。
そして焦った挙句、出てきた台詞は
「参りました!!」
というとんでもないものだった。