三十七
元々荷物がそんなになかった鳩羽はほんの数分で用意が終わった。
小さい鞄を持ち上げて鉄紺を見上げると、鉄紺は歩き出す。
「中央校までは私も同行する」
不安な表情を露わにしている鳩羽を安心させようと穏やかに鉄紺は言ったが、それくらいで拭えるものではない。
鳩羽は何も答えなかった。
先程の場所へ戻ると、紅樺や桔梗など、同級生が鳩羽を待っていた。
「別れの挨拶だ。ほら、行ってきなさい」
ぽん、と背中を押されて鳩羽は前のめりになった。
「鳩羽っ!」
一番に紅樺が走り寄って鳩羽を抱き締める。
「聞いたわ。私、絶対、絶対に中央校に行くから!」
「紅樺……」
鳩羽も紅樺をぎゅっと抱き締め返した。
その体勢のまま、前を見ると桔梗や他の同級生と目が合う。
さよならを言わなきゃ。
そう思ったのに、言葉が出てこなかった。見えない壁があるかのようで、声をかけるのは躊躇われた。
「みんな、鳩羽が羨ましいんだよ」
「柳鼠……」
微妙な空気のなか、いつもと変わらぬ穏やかな口調で彼は皆より一歩前に出てきた。
「僕達はみんな優秀だと言われていた。でも、君は……追いつかないくらい遠くにいたんだ」
眼鏡の奥にある目を細めて、柳鼠は穏やかに笑った。
「元気で」
「うん……柳鼠も、みんなも……」
紅樺が鳩羽を更にぎゅっと抱き締めた。鳩羽はそっと紅樺から腕を外し、視線を合わせる。
「紅樺、私、待ってるから必ず来てね。約束だよ」
「っ、もちろん!」
「うん、じゃあ……またね」
そう言うと、紅樺は鳩羽から身体を外す。
「行くぞ、鳩羽」
「はい」
中央校へは転移での移動となる。地下に転移専用の場所があり、鉄紺と鳩羽は二人、薄暗い階段を降りていった。
「鳩羽。手を」
躊躇いがちに鉄紺が鳩羽の手を握った。鳩羽は驚いて鉄紺を見上げる。ごつごつした大きい手。ほんのりと暖かい手に鳩羽は何故か胸がどきどきした。
やがて階段を降りきり、分厚い古い扉の目の前に二人は立った。
「鳩羽」
「……はい」
「正直に言えば、お前には中央校はまだ荷が重い」
「じゃあ何故行かせるのか」と言いたいのをぐっと堪えて鳩羽は鉄紺を無言で見て続きを促した。
「言っただろう。言式を見つけたからだと。……いいか、今から言うのは内緒話だ」
扉に手をかけながら鉄紺は鳩羽を真剣な眼差しで見つめた。
「もし、もう一つ言式を見つけても、秘密にできるようならしておけ。何故なら、三つ言式を見つけた術使はまだいないからだ。もし、お前がその一人目になれば祀りあげられ、術使を辞めるのは絶対に無理になる。……わかったな?」
「はい」
きっと三つ目をみつけることはないだろうと思ったが、鳩羽は神妙に頷いた。
「これは予感だが、お前はみつける。国に知られれば術使としては成功するだろう。しかし……鳩羽には幸せになってほしい。お前が願っているような幸せを手に入れてほしい」
鳩羽の幸せは、願いは、家族と幸せに暮らすこと。
綺羅に入学する前も幸せだったが、欲を持った。
『もう少しお金があれば』と。
でも今はそうは思わない。
鳩羽はぽろぽろと涙を流した。
「……っく……ぅえっ…」
嗚咽しながらも、必死で頷く。
「お前はいい子だ。きっと、大丈夫だ。……頑張れ」
鉄紺は扉に触れていた手を離して、鳩羽をそっと抱き締めた。
「辛くなっても諦めるな。俺から言えるのはそれだけだ」
鳩羽はぎゅっと鉄紺にしがみつく。それはまるで幼子のようだったが、鉄紺は何も言わずされるがままになった。