二十四
鉄紺の言われた通り、二人は食事も普段より摂り、入浴を済ませると早くベッドに入ることにした。
「じゃあ、頑張りましょう」
鳩羽は颯爽と自分の部屋へと入る紅樺の後ろ姿を見送った。そのまま部屋には戻らず、廊下の窓から夜空を見上げる。
蜜柑や他の同級生にも推測を話すべきか迷っていた。
(思い違いだったら……)
その時の皆の反応を考えると、それも怖かった。
蜜柑にだけ言おうかと思った。ただ、そうすると後が怖い。正しければ、何故蜜柑にだけ言って、蜜柑と仲のいい女子には言わなかったのかと言われるだろう。違ったら、『蜜柑に迷惑かけて』と陰口を叩かれる。
「……やめとこう」
鳩羽はぽつりと呟いて自室の扉を開けた。
●●●●
――深夜。
眠気に負けてうとうととし始めた時、カチャリと扉が開かれる音がした。
その音は普段なら気づかないような小さな音だった。ただ、気を張っていた今日はすぐに気づいた。息をのんで、右手に持っていた短刀を握りしめた。ありったけの勇気をかき集めて、声を発した。
「だれ……ですか?」
上擦った声が出てしまい、緊張が伝わったのだろう。扉を開けた人物が笑った気配がした。
「起きたんだ。なら試験を始めるから静かについてきて」
高くもなく低くもなく、印象に残らない声だった。左から右に流れる声は気をつけていないと頭に入ってこない。
今何を言われたか咀嚼している間に、声の持ち主はさっさと廊下へと出て行く。我に返った鳩羽は慌てて近くに纏めていた荷物と短刀を持って廊下へと出た。
最初は目の前を歩く教師は随分早歩きなんだなと思った。
そのうち、鳩羽が小走りにならないと追いつけないぐらいになった。そして学校の門から出たところで、ついに駆け足になった。
山へ入り、洞窟へ入り、右へ左へと道を進み、やがて行き止まりとなって、ようやく走っていた人物は足を止めた。
振り返った人物は男性か女性かわからない本当に中世的な顔つきと身体つきをしていた。
全く特徴のない人物。
それが目の前の教師だった。
「取り敢えず、ここまでは合格」
その教師が発した言葉に鳩羽は目を大きく見開いた。その様子にその人物――白橡――は笑った。
「第一の試験は、侵入に気づくことができるか。第二の試験はついてくることができるか。そして今から第三の試験。ここから学校まで戻ってくるだけ」
その言葉に鳩羽は一瞬安心しかけた。そして、息をのむ。
(どうやって来たのかまるでわからない)
それを見透かしたように白橡は頷いた。
「一応最初の試験だから一週間経っても戻って来なかったら迎えにくるから。ただ、あてにしないで。食べ物も水がなくても誰も助けてはくれない。それに一学年上の生徒が罠を張ってる」
――あぁ、もちろん罠は死なない程度に加減するよう言ってある。
その言葉に鳩羽は絶句した。そんな彼女にお構いなしに白橡は説明を続ける。
「君を含めて七名。それぞれ違う洞窟で試験を受けてるよ。先に戻ってきた生徒に高い点数がつくようになっている。質問は?」
「帰ることができなかったら、何かあるんですか?」
「まあね。でも試験を受けることができなかった生徒達よりはだいぶ楽。他には?」
「えっと、具体的に何があるのか教えてください」
「聞きたいの?いいけど」
白橡は表情を消し、冷たい視線で鳩羽を見下ろした。
「食事抜き」
「食事、抜き?」
自分でも間抜けな声がしたと、鳩羽は慌てて口を手でふさいだ。とても怖い罰があるような言い方だったので安心したのが声にまで表れてしまった。
「うん、飢餓に慣れてもらいたいから一週間ぐらい」
「え?一週間?」
「長いよね。でもこれだけだからまだいい方。他の生徒は加えて、第一の試験の罰、第二試験の罰があるから」
「でも食事を一週間もとらないと倒れちゃうんじゃ……」
「うん、最初はね。でも水は飲んでいいし、段々慣れてくるよ。そのうち二週間近くは大丈夫になる。それに戻ってくればいいんだよ」
白橡は静かに笑った。薄い唇が続けて言葉を発する。
「そろそろ試験を始めようか。期間は一週間――頑張って」
そう言うと、白橡は消えた。文字通り、ふっと見えなくなったのだ。
その途端、周囲は真っ暗になった。まるで白橡が幽霊みたいだ。怖さを少しでも軽減するため、鳩羽は慌てて光の球を作り出した。そして先ずはその場に座り込んだ。
(記憶が新しいうちに道順を書いておこう)
記憶を逆順に辿って、道順を覚え書きしていく。自信があるところまでに印をつけ、あとは多分こうだったかなと曖昧なまま書いていく。
洞窟を出れば後は山を下るだけなので大丈夫だろう。山へ来たこともあるし。
「よし」
鳩羽は立ち上がって服に着いた埃を払い落とした。
短剣を片手に歩き出す。
「最初は右……」
歩いてすぐ、光る線のようなものが足元にあるのに気づいた。光の球を翳して見てみれば、それは足首ぐらいの高さに張られた糸。糸を視線辿ると洞窟の壁に小さな穴を見つける。
引っかかったら矢でも飛んでくる仕組みだろう。
跨いで通り越そう。そう思って歩き出した鳩羽は、ふと、不思議に思って足を止めた。白橡は罠を仕掛けたのは上級生と言っていた。上級生が自分にも解る、こんな簡単な罠を仕掛けるだろうか、と。
鳩羽は少し離れた場所から石を投げてみた。ちょうどよく糸に当たり、思った通り矢が飛んだ。それだけだった。
(気のせいかな)
そう思って近づいた瞬間――
ヒュンッ!!
再び矢が飛んできた。びっくりして反射的に一歩下がると足に小さな石が飛んできた。
「いたっ!!」
左の踝に直撃して痛さに思わずしゃがんだ。すると頭上を石が飛んでいく。
「!!」
しゃがんでいなかったら、その石は鳩羽の頬、もしくは頭に当たっていたかもしれない。
思わず尻餅をついてしまって、地面に座り込んだ。心臓が速い鼓動を刻む。頭が真っ白になった。
「……なに?……なんなの…」
ぼろぼろと涙が出てきた。ぐしゃぐしゃになった顔を袖で乱暴に拭っても、後から後から涙が出てくる。
「やだ……もう、帰りたい……」
何でここまでしなければいけないのか。
怖い。
怖い。
怖い。
鳩羽は暫くその場で泣き続けた。