十
時間がまだ早いため、お風呂は鳩羽の組の生徒以外誰もいなかった。そのため喋る声は遠慮なく大きい。
声が響くなか鳩羽と蜜柑が脱衣場に入ると、あがったばかりの紅樺が髪を乾かしていた。紅樺は腰まである黒髪を丁寧に手入れをしている。今までもきちんと手入れをしてきたのだろう、彼女の黒髪は艶があり、綺麗だ。
「あら、蜜柑。お疲れ様」
髪を乾かす手を止めて、紅樺は振り返った。
「お疲れさま〜。もうくたくただよ」
「湯船に浸かったら疲れも取れるわよ。しっかり足を揉みほぐして寝たら?」
「まだ十六時にもなってないのに?」
「寝る子は育つわよ」
「私の胸見て言わないでよー」
ぽこぽこと紅樺を叩く蜜柑の体型は凹凸が少ない。彼女自身も気にしているようで、心なしか笑いながら紅樺を叩く力が強い。
「私達まだ十二歳じゃない。これから幾らでも大きくなるわよ」
「なるかなー?」
「なるよ、きっと。だからご飯いっぱい食べよう」
鳩羽がそう言えば、「そうだね〜、じゃあ一緒にいっぱい食べよう」と蜜柑は笑った。
鳩羽も胸はない。胸どころか痩せすぎなのでいっぱい食べなければいけないのだ。
「じゃあ夕飯を一緒に食べましょ?」
「うん。待ち合わせする?んーと、十八時から二十一時が夕飯が出される時間って言ってたよね」
「十九時に食堂は?私、まだ荷物整理終わってないからしたいの」
「わかったー。鳩羽ちゃんもそれでいい?」
「うん」
「じゃあ後でね〜。鳩羽ちゃん、お風呂行こう」
「じゃあ夕飯でね」
「お風呂気持ちよかったね〜。夕飯までどうする?」
湯船で足をしっかり揉みほぐしてからあがっても、紅樺と約束した時間には大分早かった。
「待っててくれてごめんけど、私寝ててもいいかなぁ?」
蜜柑は疲れがとれないようで、元気がない。「日頃は運動を殆どしないから」と力なく笑っている。
「うん。私は図書館に行ってみる。時間近くになったら起こしにくるね」
蜜柑の部屋の前で別れて、鳩羽は勉強道具を持つと図書館へと向かった。
図書館は寮のすぐ側に建てられており、とても大きい。
術使に関する本は遥か昔に一般には発行禁止となり、それまで普及していた術使や術式の本は全て燃やされた。この図書館には、『ここにあるのが最後の一冊』というものばかりで、その価値は計り知れない。
「大きい……」
中に入ってみると、その蔵書数に圧倒された。鳩羽では到底届かない高さまである本棚がずらりと並んでいる。それが三階まで続いているのだ。
そしてまた、ここにはたくさんの人がいた。席を見つけて座り、周りを見渡してみれば上級生しかいないようだ。
鳩羽は少し緊張しながらも、机の上に勉強道具を置いた。
勉強道具といっても教科書はないので自分で書いた覚え書きと筆記用具だけだ。
「すみません、術使の基本的なことを書いている本が読みたいんですけど……」
図書館の利用の仕方もよく解らないので最初に貸出受付のカウンターへと向かった。
受付に座っていたのは真面目そうな風貌の女性で、今日鳩羽達に『時事』の授業を行った先生だ。
「あら、確か新入生の子よね?」
「銀鼠先生」
「麻の生徒さんだったわよね?偉いわね授業初日から。基本的なことが書かれた本?」
「はい。術使の基本的な仕事を書いている本が読みたくて」
「なんで?試験を受ける前に調べたりしなかったの?」
「いえ、調べたりその時の先生に聞いたりはしたんですが……」
「……そんなに時間はとれないけど、良かったら話しましょうか」
『離席中』と書かれた札を受付の上に置き、銀鼠は鳩羽を図書館の一角にある個室へと誘導した。小さいその部屋には布団が折り畳まれて端に置かれている。
「ああ、図書館は貴重な書物が多いから教員が交代で宿直しているの」
「そうなんですね」
「で、術使のことよね?あなたがいた所では何て教わったの?」
「資格がないとなれない軍人で、戦場では後方からの攻撃部隊に所属するって教わりました。術式を使うには体力と術式を覚えるための知力が求められるからなるには大変だって……」
「そう。多分他の生徒もそういう風に聞いて入って来た子が多いと思うわ。何か疑問に感じたの?」
お茶を差し出されながらさらりと聞かれたが銀鼠の目は笑っていない。一瞬にして空気が緊張を含んだのだ。それは怒っているとかそんなものではなく、品定めされているような気がする。恐る恐るだが、しかし、鳩羽ははっきり言うことにした。
自分が想像していた以上に危険な仕事なら学校を辞めて、家に帰るつもりだ。