RE:新撰組
秋の日差しが爽やかな風の中を抜けてくる。
高い高架の上。多摩モノレールの高幡不動行きが万願寺駅に滑り込んだ。
ドアが開くと、軽い足取りで少女は駆け出す。
下りの階段を駆け下り、定期で改札のセンサーを軽く叩くと速度を落とさずへとエスカレーターへと駆け抜けた。
長い下りのエスカレーターを短めの制服のスカートをゆらしながら降りていく。
降りきった出入り口を勢いよく曲がったとたん、
「あぁっ」
思わず大きな声をあげてしまった。
曲がったとたん少女は背の高い青年の胸元に思い切りよくぶつかってしまったのだ。
ぶつかられた青年は、端正とも言える顔をしかめて見下ろすと低く言った。
「うぁっ、じゃねぇよ。まったくよぉ。退院して三日も経ってねぇんだぞ。一週間ぐらいは安静にしてるのが怪我人の仕事だろうがよ」
鞄を肩へと担ぎながら不機嫌そうに言う青年は、自分の肩ぐらいしかない少女へとため息混じりに言う。
「お前の様子を聞くのにおばさんに電話したら学校に行ったと言うじゃねぇか。バカかおめぇは」
じろりと睨みつける顔はかなり怖い。
だが、そんな様子に少女はまったくひるむでもない。
「だってもう動けるし、退屈だし、友達に会いたいし、勉強だってずいぶん遅れちゃったし……」
次々出てくる言い訳に、
「ああ、もうわかった」
「トシに会いたかったし」
呆れるように言葉を遮った青年はその次の言葉にえっと言う顔になる。
「おはよ、トシ」
にっこりと何の屈託もなく笑いながら少女は言う。
「たく……お前にゃ負けるよ。……おはよう勇。具合はどうだ」
ため息混じりに呟くと、微笑みながら覗き込む。
「いいよ。絶好調ってわけにはいかないけど、ずいぶんいい」
トシと呼ばれた青年は、ふっと笑うと勇と言われた少女の肩から鞄を引き剥がすと自分の肩にかけた。慌てた少女が鞄を取り返そうとしたとき、
「お前、肩の傷があるんだ。今は俺が持っていく」
そう言うと歩き始めた。
勇が上目遣いで声をかけた。
「あの、手、繋いでいいかな」
肩越しに振り返ったトシは辺りを見回すと誰もいないことを確かめた。
ぐいと手を掴んで引き寄せると、刹那、唇に口をつけた。
「行くぜ」
手をしっかりと握ると、再び歩き始めた。
都立日野高校。
二人はそこへと向かっている。
少女の名は、近藤勇。
日野高校の女子バスケ部のエースの二年生だ。『日野の双璧』と言われる片割れである。
青年の名は、土方歳也。
サッカー部のポイントゲッターであり、ダブルボランチの一翼としての絶対的信頼を得ていた。
このふたりは、幼なじみであり、そして生まれながらの許嫁同士だった。
校門をくぐったとき、玄関から駆け戻ってくる背の高い少女がいる。
少年のような精悍なと言っていい顔つきの、ひときわ背の高い少女は勇に駆け寄るとトシを押しのけて抱きしめた。
「勇っ。大丈夫だった?もういいの?ほんとに大丈夫?心配したんだよ。怪我の具合どう?」
立て続けに息もつかせぬほどにいい重ねる。
「容子、ごめん。心配かけたね。もう大丈夫だから」
「ほんとにそうだよ。心配したんだからね。あたしはあんた以外にコンビなんて組まないんだから」
『日野の双璧』のもう一人。松平容子。
勇をその豊満なと言っていい胸に抱きしめ、頬ずりする。
背の高い容子の胸元に抱きしめられ、小柄な勇は身動きできずにいた。
「おい、松平。勇が窒息する。いい加減放せ」
不機嫌そうなトシの言葉に、おや、やっと気がついたよという顔で容子が顔を向けた。
「ちっ、保護者か……。ま、いいわ。勇が無事なのわかったし」
名残惜しげに体を離すと、
「じゃあとでね」
そう言うと背を向けた。
「おい、勇。今日一日覚悟しとけよ。こんな手合いが山ほど来るぜ」
容子の背中を見送りながら、ぼそりとトシは言った。
学校の授業が終わり、勇は部活に顔だけ出して挨拶を済ませると引き上げることにした。 何しろくれぐれも部活などするなよと、トシにくぎを差されていたのだ。
勇もさすがに肩の傷が完治していない以上、部活をするわけにもいかなかった。
それに、今日はいくべき場所があったのだ。
学校を出ると、閑静な住宅地の中を歩き、小さな畑の横を通って道の突き当たり。
石田寺。
ここには、幕末を駆け抜けた土方歳三の墓地がある。
歳也の家、土方家の菩提寺だ。
門をくぐると、右手に曲がり目当ての墓にむかう。
鞄から線香とライターを捜し出すと、手で風を防ぎながら火をつけ、土方歳三の墓前へと供えた。
手を合わせ頭を下げる。
耳元に、胸の中に歳三の姿が甦る。
あの動乱の幕末の終焉にとばされた勇は、土方歳三達新撰組や旧幕府軍のメンバーと共にすごすこととなった。
冬の北海道。まだ蝦夷と呼ばれていたその場所の、箱館の町で彼らとすごした。
何もできない自分の非力さを目の当たりにして何度絶望したか。
守りたかった。ただ、生きていて欲しかったのだ。
この人を。自分を受け入れてくれた、優しい人を。
でも何もできないままこの時代へと帰ってきてしまった。
「ごめんなさい。謝って済むことじゃないけど。何もできなかったあたしを許して」
何度も謝罪する。
「何をあやまんだよ」
いきなり声をかけられた。
「わかっちゃいるが、自分の墓っていうのを見るのは妙な気がするなぁ」
振り向くとトシが立っていた。
「お前を部に迎えに行ったらもう帰ったって言われてな。すぐに帰るとも思えなかったから来てみたが、やっぱりだったな」
「トシ。なんでわかるの」
「そりゃわかるさ。お前のことだからな。というのは冗談で、お前の鞄から線香の匂いがしてたんだ。ああ、墓参りかなと思ったってことだ」
静かに微笑む。
「トシ。いえ……今喋ってるのは歳三さんかな」
その穏やかな瞳に、あの日のあの人が重なる。
土方歳也の中には転生した土方歳三その人がいた。過去の記憶を最近甦らせた歳也は、勇がまだ病院にいた頃に、碧血碑へと詣でた際そのことを告げたのだ。
「ああ。お前のことだから、また謝りにいったんだろうと思ってな。何度も言うが、俺はお前の犠牲で助かっても嬉しくも何ともねぇんだからな。俺はお前が生きて、ここにいてくれるのが何より嬉しいんだよ。俺はあの世の近藤さんに胸が張れたんだ。それでいいじゃねぇか 」
腕を組みながら勇を見下ろす。
「それよりさっさと帰ろうぜ。今日は俺の家に寄ってけよ。お袋が気にしてる」
「うん。おばさんには挨拶しなきゃと思ってた。だからよってくよ」
トシが手を差し出す。
その手をとった勇の手を握りしめると、立たせた。
二人並んで何も話すことなどなく歩く。モノレールの高架下を渡り、土方家へとただつないだお互いの手の温かさだけが心を通わせている。
ドアを開けると玄関に見慣れないスニーカーが並んでいる。きっちりと整えられた様子はえらく真面目な性格を示しているようだ。
「お?客かな。ともかくあがんな。おふくろー。勇が来たぜ」
玄関から声をかけるとトシはさっさと階段を上がっていく。
勇は玄関から挨拶を奥へと向けてかけた。
「おばさーん。勇ですっ。おじゃまします」
奥から声が帰ってきた。
「いらっしゃい。悪いんだけど、今手が離せないから居間に入ってて」
その声に勇は中へと上がる。
居間の引き戸を開けたらそこには先客がいた。
居間のテーブルの横にあぐらをかきながら本を読んでいる一人の少年。
少し癖っ毛の襟にかかるような髪を五月蠅そうに掻き上げると顔を上げた。
優しげな色白の顔。黒い瞳。
勇を見るとにっこり笑った。
「やぁ、勇ちゃん久しぶり」
その顔を見て勇は驚いた声をあげた。
「一君。どうしたの」
そこにいたのは、歳也の親戚。藤田一、高校二年。
でも、確か家は……。
「今日は平日だよ。どうしたの。学校は」
会津若松に家があるはずだった。
「いや……。実はね、父さんが海外赴任決まっちゃってさ。母さんもついていくんだ。でも僕、来年受験だしさ、海外のカレッジに行くつもりはないしね、僕はこっちに残るつもりなんだよ。それで、ここにやっかいになる予定なんだ」
「そうなんだ」
「ああ。なにしろ僕、語学は得意じゃないんでね。外国で苦労するのはいやだしね」
「で、どこ行くの」
四つん這いで、一の手元を覗き込む。
その顔の近さに一瞬ドキッとする一だった。
本の内容をちらりと見た勇は、一の方に顔を向ける。
「日野高だよ。今日転入の手続きをしてきた。来週から通うことになる」
「じゃ、同級生になるんだね。よろしく、一君」
「うん、よろしくな」
勇が手を差し出し、一がその手を握ったその時、勢いよく戸が引かれた。
「よお、一。こっちに来るんだって」
部屋へと入りながらトシが声を掛けてきた。
とたん。
「おいっ、勇なんて格好してんだよ。スカートの中見えてるぞ」
その声に少女は慌てて腰を下ろす。
ぺたんと座り込んだ様子は高二と思えないほどに幼い感じがする。
「見た……?」
伺うような目に、
「見えた」
と、あっさりと肯定する歳也。
「白地に浅葱色の水玉。縁にレースがついてる」
「!」
すらすらという言葉に、勇は目を見張り、次の瞬間には真っ赤になる。
「いっいじわるっ」
スカートを押さえながらの抗議に、
「わりぃな。俺は目がいいんだ」
にやりと笑ってみせる。そして近寄ると勇の頭を押さえつけた。
「無防備な奴だな。ほかの奴に見られたらどうする」
「……ごめん」
なにがごめんなんだろうと一はクスリと笑った。
一方、一に向き直った歳也はにやりと笑う。
「歳也。よろしく頼むよ」
一が笑う。
「あたぼうよ。色々となっ」
二人は顔を見合わせると、拳をぶつけ合う。
「楽しいなっ」
「へへっ。楽しみだなっ」
にやにやとしている男二人を見つめると、勇は大きくため息をついた。
「何。男二人でにやにやと」
呆れ声の勇に、
「ま、男が集まりゃ」
「いろいろとね。あるんだよ勇ちゃん」
二人声をそろえる。
「むっ、勝手にすれば。おばさーん、手伝うことあります?」
肩をすくめて勇は部屋から出ていった。
勇が出ていったのを確認すると、トシは声を落とした。
「一。お前の中にいるんだろう?おい、聞こえてるか、斉藤」
「やっぱりわかる……、か」
「ああ、互いの命を預けていたんだ。気配でわかる。一じゃない、冷気を帯びたモノがあるのはな」
一はふふっと笑う。
「やっぱり土方さんには隠せないか。最近ですよ。俺が気がついたのは」
「俺もそうだった。……勇の奴が消えて暫くしたときからだ」
二人小声で話す。
「なぜでしょうか」
「それより、なんで、の方が大事だな」
「土方さん。それは……」
「俺らだけじゃない可能性がある。たとえば、勇ん所に居候してる原田の佐之や永倉の新の奴なんかが怪しいな」
「いとこですか」
「勇にその気配がないのが不思議なんだがな」
顔を寄せ、ぼそぼそ言っているといきなり戸が開いた。
「なぁに。顔つき合わせてこそこそと。なにか悪いこと考えてるんじゃないでしょうね」
勇がとがめるような口調で入ってきた。手にしているお盆からコーラの入ったグラスをテーブルに置く。
「そんなこと無いよ」
にっこり笑いながら一が否定する。
「どうなんだか」
肩をすくめて勇は出ていった。
残った野郎二人はグラスに口をつける。
「な、歳也。勇ちゃんとはやったのか」
いきなりの言葉に、歳也は飲みかけていたコーラを吹き出した。思わずむせかえる。
「なっ、何言い出すんだよ。いきなり」
「だっていいじゃん。お前ら婚約してるだろ。周りも早くしろって言ってるんだしよ、遠慮いらないんじゃねぇの」
「……あいつに、無理させたくねぇんだよ。俺ら受験控えてるしな」
視線をそらしながらぼそりと呟く。
「相変わらず甘いなぁ。勇ちゃんに。そんなぐずぐすしてると横からどこかの馬の骨がかっさらっちゃうぜ」
「んなことさせねぇよ。あいつは俺のもんだ」
「でも、僕だって勇ちゃん大好きなんだけっどな」
にやにやと笑う一を横目で睨むと、歳也は再びグラスに口をつけた。
「僕もちょっかいだしていいかい」
一は一口飲むと、横目で歳也を見る。
「ぼこられてもかまわねぇならな。俺、手加減しねぇし」
「そこもあいかわらずだな……」
ため息と共に一は呟いた。