1話―①
イノフィアの森南部。
鬱蒼としたその森へと足を踏み入れた者がいた。
どことなく近づきがたい雰囲気がある青年だ。
深めに被ったフードから覗く少し長めの無造作な黒髪。あまり意志の感じられない、光沢の乏しいややつり上がり気味の黒眼といった全体的に暗い顔つきをしている。
肩からは黒のフード付きのローブを羽織り、サイズに余裕のある枯葉色のズボンの裾を革製のブーツの中に突っ込んでいる。
これだけを見れば、少々近寄り難い雰囲気がする若者というだけで、特に注目する程のことはない。
だが、真正面から見てもはっきりと分かる程の違和感を彼はその背に携えている。
それは、《大剣》と呼ばれる超重量の武器だ。
青年自体も長身で、ローブの上から見てもよく鍛えられていることを窺える体つきをしているが、それでも圧倒的存在感を放つ、それの前では少しばかり頼りなく見えてしまうことも否めないだろう。
しかも、その大剣は一般的な大剣よりも更に刀身が厚く幅広で、より重厚さが際立っている。
そんな大剣を担いだ上で、凹凸の激しい森の道なき道を平然とした顔で黙々と歩いている青年の体力は異常と言えるであろう。
だが、森へと足を踏み入れて一時間程した後、ふとその歩みを止める青年。
「……迷ったか」
そう呟く青年の前には一本の木があり、その幹には真一文字に斬り傷が入っている。
それは、森へ入ってから一定の間隔ごとに剣で斬り傷を付けていた木のその一本だった。
「やっぱ、案内もなしに森を突き抜けての近道は無謀だったか」
真っ直ぐに進んでいたつもりが、正面の木を避けて進んで行くうちにいつの間にか少しずつ曲線を描いて最終的に元居た場所に戻っていたという、森林地帯ではよく有りがちなロジックに陥ってしまったという訳だ。
「面倒だが、これは一旦引き返して森の外を迂回した方がよさそうか」
これ以上無策に進んでも無駄だと悟った青年はあっさりと踵を返すと、付けておいた目印を頼りに元来た道を引き返そうとしたその時、森の奥から悲鳴のような声が上がった。
その声は子供特有の甲高い声で、複数人の声が継続的に響き渡っている。
その悲鳴には聴くだけで尋常ではない事態が起こったことがありありと分かる程に、悲痛や焦燥といった負の感情が読み取れる。
「……こっちか」
青年は引き返そうとした足を悲鳴の聴こえてきた方へと向け表情を引き締めると、勢いよく駆け出しはじめた。
イノフィアの森北西
その日アズール村の子供達総勢十名は、村から北部の森へと野草や薬草、キノコといった植物の採取へと駆り出されていた。
『働かざる者食うべからず』という、昔の人のお偉いお言葉に則って村の大人達に半強制的に従わされた結果である。
そして、早朝から始めた採取も太陽が頂点に達しかけた昼前には採取用にと手渡された、木を網目に編んで紐を結びつけて背負えるようにしてあるかごがいっぱいになっていた。
「ふぅ、これだけ摘んだらもう十分かな」
額の汗を手の甲で拭いつつ、誰にでもなくそう呟いたのは村の子供達の一人の栗色の髪の少年だ。
歳の頃は十を少し越えたぐらいか、幼さの残るその顔は中性的で女の子に見えなくもない。
「そだね、どっちみちこれ以上はかごに入りきらないしね」
返事を期待していなかった独り言に、返答があったことに少し虚をつかれた少年は声がした後ろへと振り返る。
「あぁ、リズ。そっちも終わったんだね、お疲れさま」
振り返った先に居たのは、金色の鮮やかな長髪の少女だ。
歳は少年と同程度だろう、あどけない笑顔が可愛らしい魅力を引き出している。
「うん、ケイトもお疲れさま。それより見て見て、今日はちょっと珍しいモノを見つけたんだよ」
ニッコリと笑顔を浮かべるリズ。本名はエリーゼというのだが、村の子供達からはリズというニックネームで呼ばれている。
「へぇ、何を見つけたの?」
ケイトが興味深げにエリーゼに尋ねると、エリーゼはますます笑顔を深め背負っていたかごを地面に下ろすと、それをごそごそと探り、そしてその中から一本の鮮やかに真っ赤な花を取り出した。
「じゃ~ん」
口から効果音を繰り出しつつ、かごから取り出した取り出したそれをケイトの顔の前へと突き出すエリーゼ。
「うわっ!それってまさか、ニトロフラワー?」
「うん!」
更に渾身の笑みを浮かべるエリーゼ。ケイトは眼前の花から思いきり身を仰け反って、勢いあまり尻餅をついてしまった。
「そんな危険なモノどこで拾ってきたのさ!?」
「向こうに一本だけ生えてたんだけど、ニトロフラワーって危険なんだったっけ?」
顎に人差し指を当てて、うん?と考え込むエリーゼ。
「いや、リズも図鑑で見たことあるでしょ?花粉が火薬みたいに爆発する成分でできてるから、取り扱いには十分注意するようにって」
半泣きになりながら簡潔な説明をするケイトの言葉で、それを思い出したエリーゼは手にしたニトロフラワーを色んな角度からしげしげと見つめだす。
「こんなに綺麗な色してるのにねぇ。じゃあここに捨てていった方がいいのかな?」
「いや、万が一にも森の中で爆発しちゃったら大事だし、一度持って帰ってどうするかリグルさんに聞いてみようか、それまではボクが預かっておくよ」
リグルさんというのはアズール村で村長を務めている初老の男性だ。
長というだけあって村の中でも相当の知識を有していて、困ったことがあればとりあえずリグル村長に聞いてみようと言われている程に、なにかと頼りにされている存在である。
「うん、そうだね。じゃあ、はい」
エリーゼは頷いたあと、持っていたニトロフラワーをケイトに手渡した。
ケイトはそれを受け取り、少しの逡巡をみせたあとニトロフラワーに向け《魔法》の力を行使した。
――《魔法》とは、特殊な力、魔力をその身に宿した者のみが行使することのできる超常の業だ。
そもそも、魔力とはそれ単体でも相当なエネルギー体であり、魔法とはそれを練り上げ更に昇華させることで不可能を容易く可能とすることができ、人の身でありながらありとあらゆる現象を引き起こすことができる。
そして、その力を行使できる人間のことを一般的に《魔法師》と、畏敬の念を込めてそう呼ばれている。
ケイトとエリーゼはその魔法師にあたる存在だ。
ケイトの手のひらから淡い光の粒子が漏れ出し、それが集まり球形となる。光の球はニトロフラワーを包み込むように展開していたが、徐々に縮んでいき、最終的にはニトロフラワーに吸い込まれたかのように消え失せてしまった。
「よし、固定化完了」
今の魔法は固定化という魔法で、対象物の変化を防ぐ効果のある魔法だ。
今回はこの魔法を用いて、ニトロフラワーの花粉が飛び散るのを防ぐ目的で使用している。
「それじゃあ、みんなを集めて帰ろうか」
すっと大きく息を吸い込むと、ケイトは他の子供達を集めるために辺りに大きな声で呼び掛けようとしたところでエリーゼから声が掛かる。
「あ、それは大丈夫だよ。みんなにはもう先に戻ってもらってるから」
「え?あ、そうなの」
エリーゼからの予想外の言葉に思わず呆けた反応を返してしまうケイト。
「うん、もうみんなのかごもいっぱいになってたから、ケイトはいつも奥の方まで行くから声を掛けるのが最後になっちゃったけど」
「そっかごめん、ならボク達も早く戻ろっか」
そう言ってエリーゼに向けて手を差し出すケイト。エリーゼも躊躇う(ためらう)ことなくその手をとると、二人はにっこりと笑い合って一緒に村への帰路についていく。