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嫌よも好きよも

作者: 天井 天丼

 わたしの高校の同輩の一人に、心に垢を纏ったように不純極まりない下劣な男がいた。

 彼はわたしにつけて回る、さながらストーカーのようなストーカーっぷりを如実を示す、いわゆるストーカーそのものだ。彼の数ある汚点を逐一挙げていては、それはもう読むに堪えない罵詈雑言や差別的用語、世に蔓延るあらゆるスラングでの皮肉や暴言を一言一句残さず羅列してしまうことになりかねないので割愛させていただく。

 ただし、彼が恐ろしく鬱陶しい人種であることだけは名言しておこう。わたしをストーキングする執着心だけは客観的に見て他を凌駕する熱意だが、当事者からしてみればこれほど嫌な熱意もない。厄介極まりない。天災と呼ばずして何と呼ぼう。この輩ほど消滅して利益に繋がる人間はいない。

 しかし仮に消滅したとしても、彼は来世ですらわたしを捉えて離さないのではないか。そんな仮定の憶測ですら悪寒がする。

 わたしについて彼は何でも知っている。彼に狂わされなかった生活リズムが無い彼に盗み撮られていない角度は無い彼に悟られていないアイデンティティは無い彼に抵触しなかった部位は無い彼を感知しなかった五感は無い。

 彼を感知しすぎた五感が腐り果てたからなのか、最近では第六感が、彼の醸すカビにも似た存在感を知らせてくれる。しかしこのままでは生を終えるまでに何感腐るか分からない。第千感までに留められるかの自信も無い。

 それほどまでに嫌なら、とことん疎遠に努めれば良いではないか、と、いつだったか友人はわたしにアドバイスしてきた。それ以来、わたしは持てる力を全て出し切って彼との腐れた縁を断ち切ろうとしていた。

 しかし、あろうことか今年度、彼と同じクラスになってしまった。今までですら等活地獄さながらの拷問に苦悶していたというのに、更に深い地獄へ落とされることになろうとは。

 嗚呼、辛うじて噛み締めていたなけなしの幸福を何故わたしから奪ったのだ。八百万の神が一人として救いの手を差し出してくれないのをみると、わたしは相当報われない人間なのだと若干十七歳にして世知辛い現実に絶望した。

 こんなことなら神棚に毎日欠かさず貢ぎ物をするべきだった。

 後悔。

 ただし後悔も束の間、わたしはすぐさま姿勢を正す。

 わたしはポジティブであることには一目置かれているのだった。誰に一目置かれているかと言うと、主として件の彼に一目置かれているわけだが、これを喜ぶべきか否かはもはや言わずもがなだろう。

 が、それでも言わせてもらう。

 無論、不愉快極まりない。

「なぜ、わたしをストーキングするの」

 凛とした態度で、彼の卑猥な物腰を見据える。わたしは彼と同じクラスになるという未曽有の大事故を、むしろ事態を解消する絶対無二の好機と捉えた。歴史に名を刻んでも良い前向きさだと自らを称賛したが、それに共感の念を送ってくれるのが目の前にいる彼だけなのだと思うと、些か吐き気を催す。いっそ吐瀉物を彼の顔面に噴射してやろうかとも思ったが、それすら許容してきそうな彼には戦慄を隠せない。

 とにもかくにも、こちらから手厚く拒絶し、彼のためにも通報しようという算段だ。

 シンプルを極める安直な策だが、これを弄する以外に手だてが無かった。

 彼も更生しわたしも助かる。正にウィン・ウィンの計画。いくら彼とて国家権力には敵うまい。

「ストーキングではない。俺は陰ながら君を見守る、本来男にあるまじき大和撫子っぷりを買って出ているだけだ。俺ほどの大和撫子は君以外に見たことがない」

 ニヤリと微笑み答える、その顔面から感じられる慎ましさや奥ゆかしさは絶無だった。

 この阿呆、今、大和撫子と自称したか。

「とにかく、これ以上つきまとうなら警察に突き出すから」

「しかしどうだろう、俺は君のことで頭を悩ます。君もまた、俺のことで頭を悩ます。いやはや、恋と憎悪は紙一重。表裏一体とはこのことだね。運命を感じるよ。」

「意味が分からないわ」

「君はもしかしたら、俺に恋をしているのかも知れない」

 とことん耳を疑う発言をする奴だ。彼の前向きさは、わたしに匹敵するかも分からない。もっとも、ベクトルが鈍角になるくらい食い違っているが。

「愚鈍な思考回路ね。死んでも治らない規模で馬鹿なのかしら」

「後悔が好奇心の前に立たないように、恋心もまた、猜疑心の前には立たない。でもそれは隠れているだけでいずれは露呈するものだ。つまりはそういうことさ」

「あなたの話はちゃんちゃらおかしいわね。あなたのそれらの説でいくなら、あなたのわたしに対する気も、本当はわたしへの嫌悪なのかも知れない。希望的観測には違いないけれど」

 言葉のキャッチボール(鉄球)を繰り広げ続け、彼はここで初めて驚愕の表情を示した。

 予想外の反応にわたしも思わず怯んだが、すぐに立て直し、追い討ちを掛ける。

「でもこれは言い得て妙ね。だってわたしがコレほど苦悶しているにも関わらず、あなたは狼狽もせず悪鬼そのものの所業を繰り返すんだもの。わたしはあなたに嫌われているのかもしれない」

「……」

 彼は黙った。愕然とした顔を余すとこなく呈し、それはやがて、無気力で、しおらしい、悲しい表情になった。

 彼はそれっきり喋らなかった。

 そんな彼の姿を、わたしは少し、可愛らしく思った、気がする。

 一瞬、血が迷っていたのだろう。

 ―――――――――。

 愛の対義語は無関心。

 憎悪の対義語も無関心。

 つまり、愛憎の対義語は無関心。

 では、愛と憎悪の関連性は何か。

 彼の言うとおり、イコールもしくはニアリーイコールで結ばれるような、近しい存在なのか。

 だとすれば、好きな子に悪戯してしまう無邪気な子ども達はそれを体現しているわけで、これは尊敬に値する。

 今度、恋を煩う小学生に出会った時は、その奥ゆかしい哲学者に喝采と敬礼、それから貢ぎ物も送ろう。

 その点、思春期という舞台で青春に踊らされるわたし達は、少し追求し過ぎたのかも知れない。

 それは、愚鈍で悲しいと思う。

 なんてことを思うのは、彼による洗脳かも知れない。だからきっと、彼が可愛らしく、無邪気に見えたのも、彼の言葉巧みな口八丁の産物なのかも知れなかった。きっと、そうなんだろう。 ―――――――――。

 あの後、なんだか通報するのが酷く憚られて、結局あの策略は蔑ろにしたまま帰宅した。

 彼とはそれきり関わらなかった。

 ストーキングは予告なく唐突に終わったし、わたしから掛ける言葉などあるはずがない。

 滞りなく一年は経過した。

 滞りは無かったものの、わたしは何となく、味気ないガムを噛み続けたような苛立ちが腹に積もっていた。

 ふと、彼のことが気になった。

 数ある汚点を逐一挙げていては、それはもう読むに堪えない罵詈雑言や差別的用語、世に蔓延るあらゆるスラングでの皮肉や暴言を一言一句残さず羅列してしまうことになりかねないので割愛したくなる彼。それは今でもって割愛を余儀無くされるし、そのためにわたしの口を下劣で満たすのはハイリスクにしてノーリターンだ。あり得ない。満を持して辞退させてもらう。黙秘権をかつてない有意義なタイミングで行使する。

 それに、なんだか、わたしも少し下劣になった気がする。

 気のせいには違いないだろう。

 今年度は彼とはクラスが違った。

 安心する反面腑に落ちない気持ちもまた同時に有していた。自分でも驚いた。が、何となく納得して、そうすると腑に落ちない気持ちが段々膨れてきた。

 不思議でならない。

 気がつけば、彼のクラスのドアに手を掛けていた。これにはもはや、特に驚かなかった。

納得するまでもなく、かと言って早合点でもない、単純に、表裏一体な何かが抑えられなかった。

 多分、血が迷っているのだろう。

 ドアを慎重な物腰で開ける。

 

 いたちごっこの開幕だった。

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