プロローグ
その星に最初に誕生した生命がどういったものだったかを正確に知る者はいない。
原初の海でどれだけの組み合わせを試せば生命を作り出せるのだろうか?自然のシャッフルではその確率は極めて0に近い。しかし、この世界を構成する原子には備わっていた。生命を生み出すポテンシャルが。
海底に積もった泥が多くの微小な物質を捕まえては固定する。そこでは安定した反応が繰り返される。アミノ酸が生まれ、ミネラルと結びつき、膜が形成された。イオン化傾向の傾斜に従って酸化還元反応が順序よく並ぶ。荷電した物質が選択的に分離したり結合したりする。純粋な化学反応として物質が選り分けられ放出された。
原子には少しだけ生命を生み出しやすい傾向の反応系が備わっている。もともとそういう性質がある。そうでなければある条件を満たした時に自然と生命が誕生するとは考えられない。そういう方向性を持った反応系が内包されている。だからハビタブルゾーンでは生命が誕生する。それを原子の意志と呼んでも差し支えなかろう。
この星の最初の海には高濃度のアミノ酸が大量にあり、蛋白質があり、塩基にあふれ、様々な有機物で埋め尽くされていた。そこらじゅうで周囲のエネルギーを使いきる化学変化が起きていた。
反応系の幾つかは膜の中で起きた。閉じた膜の中ではエネルギーを直ぐに使い切る。停止した反応系の殆どは膜が破れ海に溶けて元に戻った。だが幾つかは反応が終わっても膜を保ったまま海の中をゆらゆらと漂った。その膜の中にエネルギーをもつ分子が入り込めば反応が再開した。そして止まる。これを何千万年も繰り返した。
膜の化学反応系が海を覆いつくした。ある反応系は外部からエネルギーを積極的に流し込み長時間の反応を維持する経路を開いた。最初の生命状の反応は自己複製を持たなかった。周囲に幾らでも素材があるのだから複製する必要などなかった。海の中で日々新しい生命反応が始まっては停止し分解するを繰り返していた。複製など作らなくても久遠の時間の中で生命活動が繰り返されていたのである。
洗練された生命システムという視点から見れば、この原始的な化学反応系は無目的無生産な反応に見えるだろう。豊かな免疫システムも遺伝子も備えていない。細胞膜に分子ポンプも持たない。クエン酸回路もなければリン酸を使用したATPエネルギーシステムを持たない。
生存者のバイアスというものはいつもそこに意志を見つけてしまう。長い進化の中で生き残ってきたから観察できる。よく出来たシステムは合目的性を満たしている。それは仕方ない。相当に文明が進んでもそういう見方から逃れる事は難しい。それほどまでに巧緻な仕組み、自然の代謝系、反応系には目的があるようにしか見えない。だがそれは本来不要なものであり、そう見えるのは人間の勝手な解釈である。
生き残ったものは選択されている。選択されているなら意志的であると考える。この単純な脳の癖は、しかし自然は意志による選択をしなかった筈だから、その代わりに自然状態は何等かの勾配があって、それが選択に見えているだけだろう。傾斜した板の上にボールを落とす。転がり落ちてどこの穴に入るかは意志ではない。だが何度も試し、上手く機能したものだけが残れば、まるで何かが選択したように見える。
最初の細胞が誕生するまでにはどれほどの化学変化の組み合わせが必要だったであろうか。良い順序で組み合うまで何度も試す。たった一か所の順序が成否を分かつ。それを試すには沢山の時間が必要だ。蛋白質をコードするためにはRNA、DNAの仕組みがいる。どれほどサイコロを振ればその順序は見つかるだろうか。
今の私たちから見れば、生物とは、ATPを利用するエネルギー単位を持ち、RNA/DNAを利用した部品の再生産を行い、複製、細胞内の各種器官の連携を行いうる存在である。そういう機能の獲得が起きた事は間違いないのであるが、どうやってそれが成ったのかはどうにも不明である。
大前提として、生物に意志はない。ここは譲れない。ここを見失うと全ての辻褄が都合よく出来上がってしまう。そこに誰かの意志を見てしまえば安易だが確実な説明が成り立ってしまうのである。確かに。生物には何か一定の方向性がある。だが、それは川が低い方に流れるような話である。大地の傾斜をこの星の意志であると言うのは余りに飛躍しすぎであろう。
「あの有機物があれば」そうしたら反応が進むのに。「この有機物が邪魔でいらない」余分を取り除けば反応が進むのに。反応にそのような要不要の欲求がある訳ではない。反応が進むか止まるかは周囲の濃度によって決まる。浸透圧や電荷の傾斜で決まる。
反応は濃度や勾配に従う。例えば浸透圧を利用すれば水流が生まれ物質が移動する。イオン濃度を調節すれば電荷の斥力と引力により物質は移動する。
そこに何か心理的な働き掛けがあるだろうか。まだ何も持たない細胞でもない膜の中で。それでもニューラルな神経構造を持たない中にも意志的なものが見受けられる。
ひとつの小さな膜のボールの中で2つのリン酸が必要となったとする。もし手に入らなければ反応が止まる。
マルチバースの世界は様々な物理法則で動いている。そこには世界方程式と呼ばれるものがあって異なる係数で成り立っている。または世界式そのものが違う形をしている場合もある。その値が生物にとって適切であるなら生命が発生する。不適な係数の宇宙では永遠に素粒子が乱雑に飛び交うだけの空間となる。もし人間にとって都合のよい係数セットがありそれがユニバースを構成したならばその世界には人間が誕生するだろう。この考え方を人間原理と呼ぶ。
もしその世界に係数0のパラメータがあるなら、その存在に気付く事は不可能であろう。推論や論理の飛躍によっても不可能であろう。それでも誰かが気づく可能性はある。だが、例え気づいても係数0のパラメータを自在に操作する事は難しいだろう。
我々の世界では0のパラメータが他の世界では値をもっているかも知れない。だがどちらの世界でも生命が誕生するなら、0のパラメータは他のパラメータで代替されているに違いない。
生命体に意志はない。それは積極的な自然現象に過ぎない。しかし何等かの働き掛けが物理力に直接作用するパラメータがあるのなら。例えばひとつのリンを欲した時に、その化学反応を促進するために、あるいはそれを停止するために。ある生命にとって必要な粒子が他の粒子にとっては害悪かも知れない。それを互いが取り合うかも知れない。誰かは受け渡してくれるかも知れない。
それらの現象をマクロの統計で処理すれば50%の可能性で運動しているように見えるだろう。意志の存在は見いだせないだろう。もしミクロで意志的な何かによって運動が制御されているなら、それは統計をとっても如実に観測されるだろう。粒子の振動はどうやらランダムとは違うらしい。打ち消しあって0となるとは考えにくい。
有意の欲するとか避けるという現象はどこから来たのだろうか?生命の中ではなくそれが別の次元から来たものだとしたら。この次元の中を幾ら探しても見つからないものだとしたら。高次から?または低次から?それが細い細い経路を伝って到着する。それを受け取ると直接的な作用をするのだとしたら。小さな膜の中のひとつずつにそれが伝わっているとしたら。別次元にあるそれはどれだけの伝送路をこの次元に向けて開いているのだろう。否、それはこの次元だけに開いているのか?
とまれ、自然現象として。
その時、膜の外の水が膜の方へと流れてきた。リン酸が流れ込んできた。膜の内側へとその物質は沁み込んできた。欠けている分子が近づき、足りている分子が遠ざかった。浸透圧を利用したカリウムポンプが動いた訳ではない。そういうものが生まれるずうっとずうっと前の状態なのだから。
観測される限り。これがこの星で初めて発動した魔法である。
それから何十億年か後。
硫化水素を利用して光合成を行う生物が酸素が放ち、この星を満たした。酸素を利用した光合成をする生物が生まれ、更に酸素で覆われた。酸素は成層圏にオゾン層を形成した。幾度かのスノーボール状態を経験し絶滅の危機を繰り返し乗り越えて生物はゆっくりと進化を続けた。
現在から5億年前。多細胞生物が爆発的進化を開始した。攻撃魔法で獲物を狩るノアマロカリス、防御魔法を展開し逃げるルハキゲニア、魔法生物の生態系がこの星を覆った。植物はゆっくりと地上に進出していった。多くの生命がそのあとを追うように地上へと進出していった。




