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3-5

 あれほど規則規則と言っておきながら、夏羚には最初から兪倩狼を処罰する気などなかったのだ。

むしろそれを利用して、まさか守られてしまうとは。

 その事実に、どこか腹の虫がおさまらない。 それならそうと、最初からそう言えばいいものを。言葉足らずなやつめ。

 ざわり、ざわりと、流氷の融けきった春の海のような潮の唸りに、落ち着かなかった。

「……、どんなつもりで俺の言葉を聞いていたんだ、」

 无名氏の部屋で言い放った言葉を思い出す。処罰されることにさみしさを覚え、取り乱した恥が額の裏まで焼き付いていた。その恥ずかしさを忘れようと晏渢を睨めつけた。

「晏渢、すべて知っていたのか?」

 緊張から解放され大きく息を吐いてどっかりと椅子に腰掛ける。彼は窮屈な外衣を脱ぎ捨て額の汗を拭っていた。一言も、ひとつとして行動を起こしていないというのに、まるで大役を演じきった後のようだった。

 兪倩狼の知っていたのか? という問いに天を仰いで言い放つ。

「まさか! あの人の考えなんか分かるかよ。でも、たたりの発生源が特定できてしまえば、お前は協力者ではなくなる。その後、夏さんがお前をどうするつもりかは、大体検討がつくけどな。お前の存在は、これからもあの人の問題の種になる」

 少年らしさを滲ませて、ふふんと晏渢は陽気に笑った。

 ――そうだった。

 たたりの発生源が特定できたら、帛で縛られたこの身体は自由になる。

「ところで、汝湾調査官はどうしたんだ?」

 問われて、どこにもその影がないことに初めて気づく。

 気配もすでに感じないほど遠くへ逃げてしまっているらしい。

 聞きたいことは得られたのだし、兪倩狼としては二度と顔も見たくない相手である。

 追うのは、おそらく方士の仕事……、

 しかし、うまく言いくるめたものだと、夏羚を見る。

 彼は父親と二、三、業務のような会話を終えて戻ってきた。

「――晏渢、」

 静かな呼びかけに、緩みきった顔つきを引き締めて晏渢は立ち上がった。

「お前に渡した、あの呪いの痕跡については分析できたか」

「あれにはほとんど方力もなく、物体の色からも、方士の家系ではないと思われます」

「汝湾の三年間の足取りについては」

「汝湾調査官の三年間の足取りは、まだ……。なにせ、彼は一度も雨青には戻っていないので……」

「手の空いているものが、汝湾を追うことになった。私たちは无名氏に呪いを伝えた証拠を揃える。晏渢、境落の長官に会いに行け。おそらく汝湾のことを何か知っているはず」

「はい」

 晏渢は忽ち身軽に空高く飛び上がっていく。

 その束の間であった。

 まるで見えない梯子を登るようにするすると浮上する晏渢の足元に、僅かな光が散った。

 若草色の小さな光。

 監査機関が登場したときに空を染めていたのは、確か紫だった……、

 紫といえば、あの、瑪瑙の亀裂も紫である。なにか、関係が――

「……兪、」

 夏羚の声に、はたと振り向く。

 清廉として澄みきった瞳が、ただ真っ直ぐに兪倩狼に注がれていた。

 その静かな眼差しに胸の奥に咲き結ぶ淡い綻びが、危うく引きずり出されそうになる。 

 首の帛が解けていく衣擦れの音に、そのとき気がついた。

 ゆるく握られた夏羚の手には兪倩狼を縛りつけていた帛が風に翻っていた。

 一瞬のうちに掠めた指先の、その冷ややかさを感じる間もなかった。

 兪倩狼はそれがひどく名残惜しいような気がして、何か、文句を言いたいような感情に戸惑う。

「……夏、」

 唇がようやく開いたとき、呼びかけた彼の姿は、すでにそこにはなかった。

 万籟(ばんらい)は寂として声もなく、水面の青さの痛いほどの寂寞が、深々と身を締め付けていた。


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