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3-3

 ――白々しい。

 薄らと微笑を湛え、身体の前で手を結ぶ柔らかささえ、報告書を歪めた調査官としての印象は崩れない。

「いくつか、確認をさせてください」

 夏羚の冷静な声に、汝湾の手つきが流れるように背後の楼閣を示した。

「ここは辺境すぎるのか、あまり、客人がこない。久しぶりに君の顔が見られて嬉しい。是非、くつろいでいってくれ。そちらの、少年も」

「……兪倩狼だ」

 ぐっ、と、少年と名指しされた怒りを堪える。

 同時に、尾がひしと股を叩いた。

 身体が十五なだけで、年はお前と同じくらいのはず。

 しかし下手に罵れば調査に支障をきたす。

 その分別くらいはつく。兪倩狼は苛立ちながらも心の中で悪態をついた。

 たたりの発生源が、やっと特定できるのかもしれないのだから、我慢するさ。

 大人しくしているべきなんだろうと、夏羚に視線を送る。

 それを受け取って、夏羚はゆっくりと頷いた。

「兪、平気だ。彼も、罹患者だから。感染する可能性はない。もてなしてもらおう」

 と、全く的外れの返答に面食らう。

 感染の可能性がないことくらい、兪倩狼にだって見ればわかる。

「……方士というのは、気に食わない奴ばかりだな」

 その心の声が、思わずぽつりと零れていた。






 碧玉色の紫陽花が青々とみなぎる水面に連なる、水際の亭である。

 空をも埋め尽くさんばかりの群花の中に、亭もまるで一つの花の木のように美しく建っている。その亭の内で、夏羚と汝湾は久しぶりの再会を喜ぶでもなく、元同僚として親しく懇ろに言葉を交わすでもなく、終止非常に淡々と会話を進めていた。

「村の感染源の特定について、情報は惜しまず提供を」

「重要なことか?」

 夏羚の凜々しい声に続いて、柔らかな汝湾の、けれど鋭く斬り込む声であった。

 一見すると、無骨で生真面目な若い方士に、汝湾が優しく穏やかに教え諭しているようにも見える。

 紫陽花の葉の独特な匂いが、(つくえ)の上の茶に移り、啜った口の中まで紫陽花を食んでいるかのような、空気のまずさだった。

 兪倩狼はいそいそと亭から一人抜け、蓮の葉が覆う池を眺めていた。

 この広い池の中にたった一匹だけ、小さな金魚が金風のようにそよいでいく。

 それを、自然と目で追っていた。

「今更終わった事件をほじくり返したところで、なんの役に立つ」

「発生の特定は方士の勤めだと、あなたに教えられましたが」

 夏羚の冷静さにたじろぐかと思いきや、汝湾の表情は翳らない。

 やはり、柔和なだけの男ではない。

 汝湾は茶器を手にとりながらふっと嘲るように笑った。

「発生源を、馬鹿真面目に追うような方士は、お前くらいだ」

「……彼の、潔白を証明したい。協力をしてほしい」

 彼の、と切り出す直前の一瞬の間、その引っかかりが、汝湾の中の疑問を確信に変えたらしい。数年間、傍で職務をこなしてきた時とは違う、その微妙な変化を見逃さなかったのだ。

「彼は罹患者だろう。罹病を広げた罪には問えずとも、罹患者としての罪を、雨青は放置しない。守りきれると、思っているのか?」

 すっと細い目が兪倩狼の耳と尾に注がれた。

「規則には従う」

 夏羚の迷いのない答えだった。

 兪倩狼はこのやり取りの最中に池から目を上げた。生白い襟足を撫でつける汝湾を見る。

 この男の腹の中には、何か打算があるようだと直感が働いたのだ。もしその企みが夏羚を害するものなら、黙ってはいられない。

 しかし、表情を崩さない夏羚に、汝湾は呆れたように息をついた。駆け引きの通じない相手だと悟ったらしい。その代わり、ゆったりと足を組み、憎たらしいほど余裕を見せている。

「夏羚、提案がある。乗ってくれないか」

 出方をうかがう眼差しであった。

「提案、とは」

 やつの提案を聞く必要はないはず。

「――夏、」

 耳を貸すなと兪倩狼は呼び止めた。

 その視線に、夏羚は見向きもしない。

 あれほど職務に忠実な男が、不正を働く汝湾の肩を持つつもりなのか。

 そのやり取りに固唾を呑みながら、汝湾が面白いものを見るように目を細める。

「夏羚、お前もどうやら、その少年を生かしたいらしい」

「――提案の内容を」

「国家のやり方は、気に食わないだろ?」

 わざとらしい汝湾の挑発に夏羚は何も答えない。

 見越したようにふっと汝湾は笑った。

「私に一計がある」

 いいながら、汝湾の笑みは兪倩狼に向けられていた。

「君に悪い話しでもない。是非協力してほしい」

「なぜ、俺が、」

「私は罹患者を守りたいだけだ。治癒できれば、誰も失わずにすむ。国家の方士にはできないことを、私たちがやる。境落の県吏も、それを望んでいる。処罰を待つだけの君にとって、これほど魅力的なものはないはずだが」

「……罹患者を、まもるだと」

 病の治癒を探すというのか。もしそれが現実になれば、処罰されずにすむ。

 それに罹患者を絶つだけの方士より、罹患者を守りたいと言うような方士が、他にいるだろうか。

 鰐の尾の生えた若汐を傍に置いているのも、納得してしまえる。

 その誘惑に、夏羚の鋭い言葉が現実に引き戻す。

「兪、私たちの行った調査を、台無しにするつもりか。汝湾は無関係の人物を処罰している。たたりが収束したと虚偽の報告までおこなった。方士としてとるべき職務を怠り、他の村にまで被害を出し、罹患者を守りたいと口ではいっておきながら、それ以外の人間を安易に切り捨てるような人間に、守れるものなどなにもない」

「――潔癖だな、夏羚。お前に規律を教えたのは私だが、あまり綺麗すぎると、かえって必要のない生きものまで殺してしまうぞ」

 夏羚の視線が兪倩狼を盗み見た。しかし兪倩狼がその眼差しに気がつく前に視線は逸らされた。

「あなたの権威はすでに失効している。方士の名を騙って活動することは、規則に違反している。絡子環の返却を」

 少しの間、胸元の絡子環をいじっていた汝湾が、夏羚の追求を前にうまい言い訳も見当たらなかったらしい。

 無造作に引き掴み、苛立ったように絡子環を放った。

「……いいだろう。絡子環は返す」

 机の上でしばらくくるくると躍っていた絡子環を引き寄せて、夏羚は静かに席をたった。

「汝湾、あなたの一族は皆、あなたの責任を取らされた。先祖を祀る子孫や子弟は廃れ、力も同様に失われたはず。それなのに、県吏すら欺くつもりか」

「私を祀るものを増やせば良いだけのこと。これから大勢の子弟と子孫を作れば、いくらでもやり直しは利く。……最初に、聞いたな。ある人物を追っていると」

 夏羚は頷いた。

「指の欠損と、一部の身体の切除が特徴の男。彼の罹患時期について知っていれば教えてほしい」

「……罹患は、昨年だ。私の処罰について愚かにも父老に食いかかり、体の一部を失った後のことだから」

 兪倩狼はいつの間にか夏羚の前に庇うようにして立っていた。

 汝湾の発言に興味があったのだ。


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