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Silent Girl・人として生きることを教えてくれた少年  作者: Gabimaruu


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2/5

壊れた傘の下で

ベルが鳴った。

最後の授業の終わりを告げる音だった。

空は重く、暗く、まるで生徒たちを急かすように、皆が一斉に教室を出ていく。


葵は、いつも通り最後に教室を出た。

廊下がほとんど空になるまで待ってから、ようやく歩き出す。

湿った床の匂いと、濡れた靴のにおいが混じって、空気は重かった。


「葵、早く」


教室の前に、海斗が立っていた。

彼は彼女を待っていた。


葵は立ち上がり、ゆっくりと海斗のもとへ歩く。

二人で帰る――それは、小学生の頃から変わらない習慣だった。


けれど、廊下で一人の先輩が海斗を呼び止めた。


「よう……君、千垣くん?」


「はい。千垣海斗です」


「背が高いな。バスケ部に入らないか? 向いてると思うぞ」


海斗は一瞬、言葉に詰まった。 「……あ、はい。大丈夫です」


彼は隣に立つ葵をちらりと見る。

いつも通り、彼女は俯いていた。

話を聞いているのか、気にしていないのか――わからない。


「葵……先に正門で待っててくれる?」

海斗は申し訳なさそうに言った。

「すぐ追いかけるから」


葵は何も答えなかった。

ただ、その場を離れた。


足取りは遅い。

もし、もっとゆっくり歩けば――

誰かが呼び止めてくれる気がして。


「千垣くん……あの子、彼女?」

先輩が聞いた。

「怒らせたんじゃないの?」


「いえ、先輩。大丈夫です」

海斗は苦笑する。

「それに、彼女じゃありません」


校門の前で、雨が降り出した。

前触れもなく。


最初は小さな雨粒。

すぐに、密度を増した。


葵は傘を開いた。

布が広がる音が、雨音の中に溶けていく。


待つ。

頼まれたからではない。

ただ、それが当たり前だったから。


雨粒が靴の先に跳ねる。

風が制服を肌に貼り付ける。

学校は静まり返り、門は開いたまま、誰の足音も残っていなかった。


時間が、ひどく遅く感じる。


「傘、持ってないんだけど」


横から、声がした。


葵は振り向かない。


三上愛良が立っていた。

髪の先が少し濡れている。

視線は、まっすぐ葵の傘に向けられていた。


「ねえ、メガネ。傘持ってるのに、まだここにいるの?」


雨はさらに強くなる。

傘の骨を伝って、水が落ちる。


返事はない。


葵の沈黙は、壁みたいだった。

そして、愛良はそれが嫌いだった。


「あ……」 口角が歪む。

「千垣くん、待ってるんでしょ?」


一歩、距離を詰める。

腕一本分の近さ。


「傘、貸しなさいよ。帰って。

千垣くんは、私が待つから」


葵は傘の柄を強く握った。

冷たいプラスチックが手のひらに食い込む。

爪が、皮膚に刺さりそうになる。


愛良は鼻で笑った。


次の瞬間、強い力で押された。


葵の体はよろめき、校庭に倒れる。

膝が濡れた地面にぶつかり、

泥と水が制服に広がった。


彼女は立ち上がる。


ゆっくり。

音も立てずに。


そして、元の場所に戻った。


それが、愛良をさらに苛立たせた。


蹴りが、葵のふくらはぎを打つ。

鋭くて――すぐに鈍い痛み。


「気持ち悪い」


愛良が呟く。


葵は答えない。

声も出さない。


傘が奪われる。

骨が折れる音がした。

一瞬、雨音よりも大きく響いた。


傘で殴られる。

一度。二度。


布が裂け、水が一気に流れ込む。


「なんで千垣くん、いつもあんたを選ぶの?」


「どんな魅力があるわけ? そんな牛女に」


葵は、濡れたまま立っていた。

一点だけを見つめて。


何も考えない。

黙っていることだけが、

世界をこれ以上、硬くしない方法だった。


「私の前から消えて!」


壊れた傘が投げ捨てられる。

地面を転がり、葵の足元で止まった。


愛良は葵をしばらく睨みつけ、

汚いものを見るような目をして、去っていった。


葵は、その傘を見つめる。


必要以上に、長く。


髪から首へ、水が流れる。

服は重く、

冷たさが、居座るように染みてくる。


彼女は傘を拾った。


そして、差した。


肩も背中も、相変わらず濡れたまま。

何も、変わらない。


葵は一人で歩き出す。


待つ限り。

期待する限り。

彼女は同じ場所に立ち続け、傷つくだけだと――

わかっていた。


雨は、止まない。


それでも、

葵は歩き続けた。

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