エピローグ②
(うわ~~っ)
窓の外の景色に感嘆する。本当は声を上げてはしゃぎたいところだけれど、周りの雰囲気からそんなことは出来ないと我慢した。
高柳さんに連れられて来たのは、ホテルの高層階レストラン。案内された席には“Reserved.”と書かれたプレートが置かれている。テーブルの隣の窓からは景色が一望でき、ベイサイドの夜景が眼下に広がっていた。
「横浜……?」
「ああ。よく分かったな」
途中で眠ってしまった私は、自分がどこに連れてこられたのか今やっと理解した。光り輝く時計型大観覧車を窓越しに見下ろしている。
「素敵……」
思わず口に出して呟いた私に、高柳さんは瞳を細め微笑んだ。
「誕生日おめでとう、雪華」
フルートグラスを持ち上げて“乾杯”のポーズを取った後、高柳さんの口から出たその言葉に、私はグラスの細い脚を持ったまま動きを停止させた。
まばたきを三回繰り返したところで、やっと口から言葉が出た。
「今日は誕生日だったんだわ……」
「自分の誕生日なのに忘れていたのか?」
高柳さんが呆れている。
二月十四日。今日が自分の誕生日だということがすっかり頭から抜け落ちていた。
ここ一週間はずっと“バレンタイン大作戦”のことばかりが頭を占めていたせいで、自分の誕生日なんて気にする余裕もなかったのだ。
でも完全に忘れていたわけではなくて、今朝佐知子さんから『お誕生日おめでとう』のメッセージを貰った時に『ああ、今日から二十八か』と認識はした。けれどそのあとすぐにまどかからのメッセージに、【お誕生日おめでとう!頑張れバレンタイン大作戦!!】とあり、もうそのことが頭から離れなくなってしまったのだった。
私にとって、今日は誕生日よりもバレンタイン。決戦の日なのだ。
けれど、どうして――
「どうして知ってるんですか? 今日が私の誕生日だって」
私は自分の誕生日を彼に教えた記憶はない。不思議に思って尋ねると、彼はふうっと短く息をついた。
「雪華。俺はお前の何?」
「え?」
「恋人じゃないのか?」
いつもより硬く低い声に、背筋がひやりとした。
この口調の時の彼は少なからず怒っている。それが分かるのは、職場で私たちを叱る時の彼の声色と同じだからだ。
「……はい」
「じゃあ、どうして誕生日のことを言わなかった。俺には祝ってほしくなかったか?」
「ちがっ、……そんなことありません」
「俺は少し寂しかったよ。恋人の誕生日を祝いたいと思っているのは俺だけなのかって」
「……ごめんなさい」
ここ数年、自分が生まれたその日を、誰かと祝うということをしていなかったので、すっかり忘れていた。
佐知子さんとまどかは毎年お祝いをしてくれるけれど、彼女たちも仕事や家庭があるから誕生日当日とはいかず、大抵その前後の土日だったりした。私は祝ってもらえるだけで十分満足だった。
そのうえ、今まで一度も誕生日を恋人と祝ったことのなかったから、それがいつなのかを教えることなど考えもよらなかったのだ。
自分のぼんやり度合いに項垂れていると、向かいから
「雪華を責めたいわけでも落ち込ませたいわけでもないんだ。ただもう少し甘えてほしい」
さっきよりも硬さのとれた声に顔を上げると、困ったような微苦笑を浮かべる高柳さんと目が合った。
「誕生日を知っているのは、俺がお前の上司でもあるからだ。部下のプロフィールくらい事前にチェックするだろう?」
種明かしに黙って頷いた。
それからすぐに運ばれてきた料理を前に『改めて、誕生日おめでとう』と高柳さんは言ってくれて、それまでの少しだけ重たい雰囲気を払拭するかのように明るい口調で会話をしながら食事を楽しんだ。
お料理は本格的なフレンチで、目の前に置かれる皿の料理は、どれも美しくとても美味しかった。
食事を終えて店を出る。いつのまに支払ったのか会計はなく、私がおずおずと「食事代、払います」というと、少し困ったような顔で「誕生日だから大丈夫」と断られた。あんな素敵な場所でのすばらしい料理。私には予想もつかない値段になったのではと思い、おごってもらうのは申し訳なかったけれど、ここで私がお金を出すと誕生日プレゼントを突き返すことと同じになるかもと、おとなしく「ありがとうございます。ごちそうさまでした」と頭を下げた。すると彼はなぜかすこし困ったように微笑んだ。
最上階にやってきたエレベーターに乗り込む。降りてきた人はいたけれど、私たちのほかに乗る人はいなかった。
エレベーターの扉が閉まると同時に私はもう一度高柳さんにお礼を言う。
「あの、今日はありがとうございました。それと…ごめんなさい、誕生日のこと言わなくて。私、自分の誕生日のこと、すっかり忘れてしまっていて……でも…こ、恋人にお祝いしてもらえるなんて初めてのことなので、本当に嬉しかったです。素敵な誕生日になりました。本当にありがとうございます」
行先ボタンを押そうとしていた高柳さんの指がピタリと止まった。
黙ったまま動かなくなった彼に「高柳さん?」と声をかけると、ゆっくりと行き先ボタンを押した後、彼は私の方へ顔を向けた。
「まだ終わりじゃない」
「え?」
「誕生日はまだ終わってないぞ?」
「え?」
(確かに誕生日が終わるまでまだあと三時間はあるけど…?)
そんな疑問が頭に過った時、エレベーターの到着を知らせる音が鳴った。
やけに早い到着だと思い顔を上げると、操作盤の液晶には【67】と表示されている。ドアが開きかけ、誰か乗ってくる人がいるのだろうと奥に詰めようとしたところで、さっと手を取られた。
「行くぞ」
「あ、」
開いたドアの向こう側には誰もおらず、私は手を引かれるがままエレベーターから降りた。




