第十一章 上書きと熱④
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強い渇きで意識が浮上する。
重い瞼を持ち上げると部屋は薄暗く、今が何時なのか全く分からない。少なくとも昼間ではないことは確かだ。
(のど乾いた……お水……)
起き上がろうと体に力を入れるが、まったく入らなかった。
「目が覚めたのか?」
空耳かと思った。ここで聞こえるはずのない声が聞こえたから。
声がした方へゆっくりと首を回すと視界に入ったその人に、空耳でも幻聴でもないことを知った。
「たか――」
「気分はどうだ?」
私の動揺など気にも留めずに、こちらを覗き込んでくる。
彼は同じベッドで横になっていた。
「な、なな、なんで」
乾いた口から勢いよく言葉を発しただけなのに、クラリと目の前が回った。
「落ち着け。具合がひどくなるぞ」
そう言って、彼は私の額に手のひらを当てた。
「熱がまだ高いな。喉が渇いただろう。飲むものを持ってくるから待ってろ」
そう言い残すと、ベッドから降りた高柳さんは部屋から出て行った。
(熱?……私、熱があるの??)
言われて初めて自分の体が燃えるように熱くて、節々が痛むことに気付く。視界がグラグラと揺れているのは、寝起きのせいだと思っていた。
キッチンから飲み物を持って戻ってきた高柳さんが、起き上がるのを手伝ってくれてやっとそれを飲むことが出来た。
喉を通っていく冷たい感覚が気持ち良くて、一気にペットボトルの中身を半分近く飲みきった。
飲み終わるとまた、高柳さんが私の体をベッドに横たえる。
「まだ夜明け前だ。もう少し眠ろう」
そう言ってスルリと私の隣に入って来る。
「あ、あの……」
「ん?」
「隣で……」
「ああ……嫌か? 雪華」
「いやでは……えっ⁉」
今度こそ空耳だと思った。
だって、今まで高柳さんに『雪華』と呼ばれたことはない。
「言っておくが、掴んで離さなかったのは雪華の方だからな」
「っ!」
衝撃的な事実と、空耳ではない二度目の呼び名のどちらに、驚いてよいのか分からない。
「とりあえずもう少し眠ろう。朝になったら病院に連れて行くから」
そう言うと、高柳さんは私の体を自分の方へ引き寄せた。
私は、飛び出しそうなほどに鳴っている心臓をどうすることも出来ずに、ただ高柳さんの腕の中で固まっていた。
しばらくそのままでいたが、一向に眠気は訪れず、熱で重い頭でぼんやりと考える。
(どうして…どうして高柳さんはこんなふうに私に優しくするの?)
たかが熱くらいでこんなふうにされたら、私だって絆されてしまいそうになる。これまで一人で生きていく為に培ってきた土台がグラグラと崩れそうになるのを感じて、言いようのない不安に襲われた。
元の生活に戻るのが目の前に迫った今、ここで倒れるわけにはいかないのに――
「眠れないのか?」
ごちゃごちゃとまとまらない考えを振り払いたくて小さく頭を振ると、静かな声が降ってきた。
「あの……」
「何だ?」
「私……この休みのうちにここを出ます」
言った。
言ってしまった。
口にしたら最後、後戻りは出来ないと分かっていた。でもそうすることでいっそのこと、このぐずぐずとした想いを断ち切ってしまいたかったのだ。
「なぜだ」
(なぜだ? ……なぜって、そんなの分かりきっていることでしょう?)
それすら言わせるのかと、泣きたくなった。
悲しいのか腹立たしいのか何なのか、もやもやとした気持ちが腹の底で渦巻いて、気付けば口を開いていた。
「いつまでも私がここにいたら困るくせに」
「どういうことだ」
「大丈夫です……私、分かってますから………」
「何を言いたい?」
「だからっ! 常務のお嬢さんと結婚する高柳さんにとって、私は邪魔になるということを、です!」
「は?」
「ちゃんと“模擬結婚生活”の妻役は果たしました!このことは口外しませんから、遠慮なく本命の方と結婚してくださいっ……」
瞼がじわりと熱くなって、自分が泣きそうなのだと分かった。
これ以上彼の腕の中にいることに耐えられなくて、抜け出す為にと捩ったが、力強い腕にそれを阻まれた。




