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第十一章 上書きと熱②

「――痛むのか?」


「え?」


「手首。赤くなっている」


「あっ……」


高柳さんの服を掴んでいる私の手。袖から出ている部分に赤く手の形が巻き付いていた。


慌てて引っ込めようとした手を、大きな手が阻んだ。


そっと、ふわりと、手のひらを包まれた。

その手は私が抜けだそうと思えばすぐに引き抜くことが出来るほどに緩くて、私を怖がらせないようにしているのかもしれない。


私の手を優しく握ったままの高柳さんは、近付くこともなくじっとしている。


「触れても平気か?」


さっきとはまったく違う、気遣うような柔らかな声で問いかけられ、私は小さく頷いた。


私の手を包んでいる手が動き、指先が手首を撫でる。

羽根でなぞられるようにそっと、そっと。


「……っ」


まるで切り傷に軟膏を刷り込むみたいに何度も赤く残った跡をなぞられ、その優しい感触に不意に泣きたくなった。


「すまない」


突然降ってきた謝罪の言葉に驚いて、勢いよく顔を上げる。

開けっ放しのドアから差し込んだ光を背にしている高柳さんの表情は、私からはよく分からない。

目を凝らすように彼の顔を見つめていた私は、降って来た次の言葉に息をのんだ。


「守ってやれなくて、すまなかった」


「た……高柳さんは、なにも悪くはありません……」


ゆっくりと(かぶり)を振ってそう言うと、彼は「いや、そんなことはない」と言ってから言葉を続ける。


「妻を守ると言ったのに、矢崎からちゃんと守ってやれず、怖い思いをさせてしまうなんて……俺はお前の夫失格だ」


その声色から彼が怒っているのが伝わってくる。

ハッとした。きっと彼はずっと自分自身に怒っていたのだ。帰りの車の中からほとんど黙ったままだったのは、私に怒っていたのではなかったのだ。


目が逆光に慣れてきたのか、見上げた高柳さんの表情が見えた。

彼が浮かべていたのは怒りの表情ではなく、辛そうに眉をしかめた苦悶の表情。

斜めに伏した瞳は、完全に私から逸らしている。


「そんなことありませんっ!」


思わず大きな声が出た。


「高柳さんはっ……高柳さんは、私のことをちゃんと守ってくれました」


私はベッドから上半身を起こし、私の手を包み込む彼の手に、もう片方の手を重ねた。


「怖かった……でも、高柳さんが助けてくれたから、私……ちゃんと守られました。だから……」


重ねた手にギュッと力を込める。


「高柳さんは夫失格なんかじゃありません」


斜めに伏せられたいた瞳がこちらに向く。黙ったままじっとその瞳を見つめ返した。

それが私の偽らざる本心だと、ちゃんと伝わるように目に力を込める。


すると高柳さんが重ねている手とは反対側の手を持ち上げ、私の頬にそっとあてた。


ピクリとかすかに体が反応するのが、伝わったのだろう。高柳さんがその手を引っ込めようとする。

でも――


「触れてくださいっ」


叫ぶような私の声、彼の動きがピタリと止まった。


「高柳さんに触れられるのは嫌じゃありません!嫌なのはあの人に触られた感触で……お風呂に入っても消えなくて……ずっと気持ち悪くて私………だから」


何を喋っているのか全く自分でも理解できない。ただ頭で考える前に口が動いているだけ。


「高柳さんに消してほしいんですっ」


高柳さんは私の頬に手を当て無言のまま動かない。

自分の放った言葉が耳に届き、それを頭で理解するまでに時間が掛かった。そして理解した途端、羞恥が込み上げて顔が熱くなる。


「やっ、やっぱり」


いいです、と続けようとした声を、低く掠れた声が遮った。


「どこだ」


「え……」


「あいつに触られたのはどこだ」


一瞬息を飲んだけれど、意を決して口を開く。


「く、首と……腰……」


「あとは」


「っ、……お、お腹も……」


思い返すだけでぞわっと肌が粟立っていく。今なお生々しく思い出される感触に、私は顔をしかめ俯いた。


ベッドのスプリングがミシッという音を立てたのが耳に届く。

その音に反応した私が顔を上げるより早く、私の肩に手が置かれた。


「っ!」


勢いよく上げた顔のすぐ目の前に、高柳さんの綺麗な横顔があった。

ベッドに膝を着きもう片方の手をヘッドボードに着いた彼は、至近距離から私の首元を見つめている。


「ここだな――」


あと数センチでくっつきそうなほどの距離で喋られ、肌を撫でる吐息に思わず首を竦ませようとした瞬間、ペロリとそこを舐められた。


「ひゃっ」


「消毒する。我慢出来そうに無かったら俺の背中を叩け」


(叩けって?……え、消毒?)


頭に湧いた疑問を私が口にするよりも早く、再び同じ場所に唇が押し当てられた。


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