第十章 決起会①
正月明けの初出社。
休暇明け早々ではあるが、今週はこの金曜日に行われる【TohmaBeer-Hopping 決起会】の準備の詰め作業で忙しくなる。
始業までまだ一時間もあるこの時間、長期休業明けのことも手伝って、オフィスはまだ静けさを保っている。
始業より一時間も前に出社する理由を『正月ボケの頭を叩き起こす為』と高柳さんには言って出てきたが、それよりも大事な用事が私にはあった。
「あけましておめでとうございます、雪華さん」
「幾見君。あけましておめでとう」
そう。幾見君と待ち合わせをしていたのだ。
自動販売機のある休憩スペースには誰もおらず、私達は奥の窓際に立って外を眺めながら買った缶コーヒーを開けた。
「この前はごめんなさい。みっともないところを見せたわ」
「みっともないなんて思っていません」
「そう……ありがとう」
二人の間に沈黙が降りる。
なんて切り出したら良いのだろう。
あれから数日間、私は悩んでいた。
幾見君ははっきりと明言したわけではない。けれど――
『俺じゃダメですか?』
その意味を分からないふりして誤魔化して良いものか。
「矢崎さんとのことも……幾見君には迷惑ばかりかけてしまって」
「迷惑とも思っていません」
私の言葉を遮ってそう言った幾見君の、熱のこもったまなざしが真っ直ぐ私を射抜く。
「高柳統括と付き合っているんですか、雪華さん」
直球で投げられた問いに、ぐっと言葉が詰まった。
「それは……」
何か言わなければと一旦は口を開いたが、何と説明したら良いのか分からず言葉が続かない。
「統括はやめた方がいいです」
「なっ」
「あの人は別の世界の人だ」
幾見君が言うように高柳さんは親会社のスーパーエリートだ。私とは住む世界がもともと違っていた。
「分かっているわ」
「いいえ、雪華さんは分かっていません」
低く絞り出すようにそう言った幾見君は、眉間に皺を寄せ苦いものを噛んだような顔をしている。
「雪華さんは知らないでしょう? 統括は……高柳統括には……」
言い辛そうに持って回った言い方をする幾見君に、「高柳統括がどうかしたの?」と訊く。
次の言葉をじっと待つ私に、幾見君は下げていた視線を持ち上げ私を真っ直ぐに見た。
「政略結婚の相手がいるそうです……」
「政略……結婚?」
「はい。常務のお嬢さんとお見合いしたらしいと、噂が……」
「噂……なのよね?」
「でも……受付の子が見たと」
「何、を?」
「常務と振袖姿のお嬢さんが、……高柳統括と一緒にホテルのレストランにいるところを」
ガツンと頭を殴られたようなショックが走った。
「目撃した子が言っていました。統括は会社では見ないような優しい顔だったって。笑いながら常務のお嬢さんと話していたって」
あの日の光景が甦る。
「相手の、常務のお嬢さんも綺麗な人で――」
神社の境内で見た高柳さんと着物の女性。
彼はその人のことを『ゆきちゃん』と呼んで――
「遠くて会話までは聞こえなかったらしいんですが、相手の方も常務も楽しそうにしていて、とても円満なお見合い風景だったと」
(ああ、なんだ)
ストン、と腑に落ちた。
(そういうことだったのね……)
“模擬結婚生活”はこの週末で期限切れ。そしたらそのお見合い相手と本当の結婚をするのだろう。
きっと最初から、その女性が彼の本命だったのだ。
もともとそういう契約だった。
私は本命の彼女と結婚するまでの風よけで、それは私にとっても都合が良いことで――
“利害一致”
(その為のただの同居生活だったのよ……)
「分かっているわ」
自分に言い聞かせるみたいに呟いた声がかすかに震えた。「雪華さん……」と呼びかける幾見君の声が耳に届くが、黙ったまま窓の外に視線を向けていた。
ちらほらと出社してくる人の気配を感じ、「そろそろ戻るわ」と手に持っていた缶コーヒー飲み干した。
冷たくなったコーヒーの味が分からない。
体の底に苦いものが溜まっていく。
痛む胸に気付かない振りをして、踵を返してオフィスに戻った。




