第九章 遠雷⑥
トクントクン、と一定のリズムを刻む彼の心臓の音。
背中を撫でる大きな手。
静かに瞳を閉じて呼吸を整え、私は言葉を続けた。
「それ以来、カミナリがダメなんです。情けないですよね……」
「情けなくなんてないさ」
左右に小さく振った私の頭を、ゆっくりと大きな手が撫でた。
「青水は自分の力でちゃんとやっている。俺が保証する」
「高柳さんが保証……」
「ああ。俺のお墨付きじゃ不安か?」
「そんなことありません。敏腕上司からの保証なら安心です」
ふふっと小さく笑うと、頭を撫でていた手が止まった。
「違うだろ」
さっきよりも低く呻るような声。
職場で私たち部下を注意する時と同じ声色に、思わず顔を上げると、瞳がぶつかった。声色とは逆に、私を見つめる瞳は甘く柔らかい。
吐息が触れるほど近い距離。
完全に固まった私を見ながら彼は優しく微笑んだ。
「上司から、じゃない――夫からの保証だ」
甘い低音に、背筋にぞくぞくとした痺れが走る。
瞳を細めて私を見る高柳さんからは恐ろしいほどの色香が溢れ出ていて、これ以上まともにそれを喰らったら再起不能な予感がする。
「分かったか?」
慌てて小刻みに頭を振って肯定すると、もう一度満足そうに微笑んだ。
(笑ってる……)
赤くなった顔を隠すのも忘れて、その微笑みに見惚れてしまう。
「分かったなら寝るぞ」
「え?」
「まだ夜中だ」
「いや、あの…そうではなくて……」
(このまま朝まで一緒に⁉)
焦る私に、高柳さんは坦々と言い聞かせる。
「今夜はひどく冷える。俺の部屋は暖房を入れていないから、今から自分の部屋で布団を敷き直している間に風邪を引くだろう」
カミナリでパニックになった私のせいで、今この状況がある。だからもしこの後自分の部屋に戻った彼が風邪を引いたら、それは私のせいだ。
(でも、この状態で朝までなんて……!)
それならいっそ私がソファーに行こうか。いや、最初の時みたいに「据え膳を――」とか言われそうだ。
思考回路の中でグルグル回っていると、「くくっ」と噛み殺したような笑いが聞こえてきた。
「襲ったりしないから大丈夫。大きな湯たんぽだとでも思えばいい」
「湯たんぽ……」
確かに温かい。男の人がこんなに温かいのだと知らなかった。
「そうだ。今夜は冷える。それに――」
一旦言葉を区切った高柳さんは、ちらりと窓の方へ視線を向ける。
外は風が強いのだろう。時折突風が窓ガラスをガタガタと揺らしていた。
「今夜の天気は荒れるらしい。またあれが鳴るかもしれないぞ」
『あれ』
そう言われただけで、条件反射のように体が固まってしまう。
そんな私を安心させるように高柳さんは微笑むと、
「妻を守るのは夫の大事な役目だ」
そう言って、私の頭をポンポンと軽く叩いた。
「さあ、もう一眠りしよう。そしたら朝が来る」
背中に回された手が優しく一定のリズムを刻む。
幼子を寝かしつける時にするその動きに、強張っていた私の体からいつの間にか力が抜け、体を包み込む温もりに身を委ねる。そうしていつしか眠りに落ちていった。
「おやすみ――奥さん」
眠ってしまった私の額に、温かく柔らかなものが触れたことには気付かなかった。




