第一章 黒歴史との再会⑥
腕と足が小刻みに震える。チョコレートの包みを差し出した両手を、地面と平行にしているのも至難の業だ。
自分の両頬から垂れ下がる三つ編みを、強い北風が揺らして行く。
コートの袖から出た両手が痛いくらい冷たいが、それとは逆に私の顔はあり得ないくらい熱かった。
『ありがとう。気持ちだけ貰っておくな』
しばらくの沈黙の後、いつもより少し固い声が上から降って来て、私はおそるおそる頭を持ち上げた。
ゆっくりと上を見ると、奥二重の瞳と目が合った。
『でも、ごめん。他は貰えない。』
『どうしてですか? 高柳さん、今は彼女がいないって聞いています。もしかしてもう恋人が出来ましたか?』
『いや、恋人はいない』
『じゃあ、お願いします…一回だけでいいんです。私、高柳さんに“初めて”を貰って欲しいんです。責任を取ってくださいとか、彼女にしてくださいとか、面倒なことは言いませんから……』
はっきり断られたのに諦め悪く食い下がった私。
そんな私の台詞に、彼は眉毛をぴくりと跳ね上げた。
『そんなふうに言うもんじゃない』
思いも寄らす怒気を含んだ固い声に、心臓がキュッと縮こまった。
今までサークル中に誰かがふざけて失礼なことを言った時も、飲み会で絡まれた時にも、どんな時も誰にも怒ったことのなかった彼が、そんなふうに苛立つような声を聞くのは初めてだった。
『俺は付き合っている子としかそういうことはしない。気持ちは嬉しいけど、君とは付き合えない』
はっきりと彼は私にそう告げた。
そして続けた言葉は、私に更なるショックを与える。
『俺は…自分を大事にしない子は嫌いだ』
私は頭に大きな石でも落ちてきたかのような衝撃だった。
はっきりと『嫌い』とまで言われて、ショックのあまり潤み始めた瞳で目の前が霞む。
恥ずかしさと悲しみで、もう彼の方を見ることが出来ず俯いた。
『ご…めんな…さい……』
震える声で小さく謝ると、頭にポンと温かな物が乗せられた。
『いや、俺もきつい言い方をして悪かった……』
さっきとは違う柔らかな声に少しホッとして、我慢していた涙が一滴、目からこぼれ落ちる。
眼鏡のふちの下に指を入れて、その滴を拭いながら、私は頭を左右に振った。
『いえ、私が悪いんです。変なことを言ってすみませんでした……』
そう言ってもう一度頭を下げると、
『もういいよ。君の気持ちは分かったから』
そう言って下げた頭を、もう一度ぽんぽんと軽く撫でられた。
その優しさにやっぱり胸がキュンとして、『好き』という気持ちが体からあふれ出しそうになる。
ついさっき振られた上に叱られたばかりだというのに、私はどうしても自分の彼に対する気持ちを口にせずにはいられなかった。
『私、初めてなんです……誰かのことを好きになったの。今まで誰かを好きになったことも付き合ったこともなくて……。高柳さんが私の初恋です。だから勝手に初めては全部高柳さんとって………すみません…私の勝手な思い込みのせい不快な思いをさせてしまって……』
『不快、ってほどではないよ?』
そんなふうに優しくなだめてくれるから、私はまた調子に乗ってしまったのだと思う。
『さすがに一回でも…だなんて、本当に高柳さんに失礼でした。もう言いません』
『うん、分かってくれたらそれでいいんだ』
『でも私……もう誰かを好きになることはないかもしれません。だから……』
思い切って顔を上げる。
しっかりと彼の目をみつめ、私は思い切って言った。
『せめて、お願いです! ファーストキスだけでも貰ってください!!』
大きく目を見開いた彼の顔を瞼に焼き付け、私はギュッと双眸を閉じた。
いつのまにか空からふわりふわりと綿雪が舞い降りていた。
目を閉じている私の顔に落ちた雪が、熱で溶けて消える。
私はただひたすらじっと、瞼を閉じたまま上を向いて、唇に温かなものが降りるのを待っていた。




