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第七章 夫の役目⑪

湯気を立てた土鍋を突きながら、作ったばかりのおかずを肴に日本酒を頂いた。

土鍋の中身は湯豆腐。あっさりとした湯豆腐と辛口でふくよかな味わいの地酒が体に浸み込んでいく。

“味見”の名目の元、豆皿に少しずつ盛られ常備菜は、まさに“小料理屋”のようだ。

その中から大根の煮物を口にいれる。


「美味しい。でも、あんまり食べたら“作り置かず”になっちゃいますね」


何度目のお替りが半分ほどになったお猪口を置きながら、ほろ酔いの頭の割に良いことを言ったと思う。


「残りはちゃんとしまってある」


「さすが高柳さん、抜かりありませんね」


ふふっと笑いを漏らすと、湯気の向こうの高柳さんがこちらをじっと見つめていた。


「どうかしましたか?」


物言いたげな瞳に気が付いて、首を傾げる。

そのままで高柳さんの返事を待っていると、私のスマホが短く音を立てた。


私のスマホが休日に鳴ることは珍しい。交友関係が少ないのでこういう場合は大抵、まどかか佐知子さんからのものだ。


「豆腐の追加を取ってくる。スマホ、遠山夫人からかもしれないぞ」


私に気を遣ってくれた高柳さんは、そう言うと腰を上げた。

「すみません」と断ってからスマホをタップする。映し出された画面を見た瞬間、口から勝手に悲鳴が出た。


「き、きゃあ~~!」


「青水⁉」


キッチンから慌てて駆け寄ってきた高柳さんは、口に手を当て両目を潤ませている私を見て目を見張った。


「どうしたんだ……何があった!」


「まどかが……まどかに……親友に、赤ちゃんが生まれました!」


目尻の涙を拭いながら、持っていたスマホを高柳さんの方に向ける。

一瞬両目を見張った後緊迫した表情を緩め、はぁぁぁっと長い息をついた。


「ほら高柳さん! 見てください、生まれたてのまどかの赤ちゃん! 女の子なんですって!! 可愛いでしょ⁉」


ずいずいとスマホを高柳さんに突き出し見ろとせがむと、彼は腰をかがめて私のスマホの画面を覗き込んだ。


送られて来たのは【生まれたよ!女の子!!ゆっかちゃんに早く会わせたいな♡】というメッセージと、添付された写真。

その写真はまどかの上の子である瑛太くんが赤ちゃんを抱っこしているという、見ているだけで癒されるようなショットだった。


「かわいいな」


「でしょう!」


少しの間、二人でその写真を見ながらなごんでいた。

すると突然高柳さんがスマホから顔を上げ、こちらを見て口を開いた。


「青水は『ゆっかちゃん』と呼ばれているのか?」


「はい。でもその呼び方はまどか限定ですが」


考えてみれば、高柳さんとまどかは直接の面識はない。

まどかは大学生の時に、私の“初恋の人”をチェックする為にサークルのイベントにこっそりもぐり込み彼のことを見たことがあるが、高柳さんに至っては私の親友の存在など知る由もない。


「私の氏名って、名字も名前も発音しにくいでしょ? 身内同然の佐知子さんやまどかは、下の名前を愛称で呼びますが、学生時代はよく名字を言いやすくした『おーみ』というニックネームで呼ばれてたんですよ」


そもそもニックネームで呼んでくれるほど親密な付き合いをしている人は他にいない。

大学の時はサークルの仲間が『おーみ』というニックネームで呼んでくれていたが、社会人になってから職場ではきちんと『あおみ』という名字で呼ばれている。


「そうか……じゃあ、今日のあの男は大学時代の……」


高柳さんの呟きに「そうなんです」と答える。


「そう……だったのか?」


なぜ二度も確認するのか疑問に思いながらも「ええ」と返す。

すると高柳さんの瞳が鋭く細められた。


そうとは気付かず昼間のことを思い出した私は、手を繋がれたことですっかり消し飛んでいた疑問と不満をここで口にした。


「そう言えば、どうしてショッピングセンターで彼に私のことを“妻”だなんて言ったんですか? たまたま彼が私の大学時代の人で会社とは無関係だったから良かったものの、もし仕事関係の人だったら困るでしょう⁉」


一気に言ってからぎゅっと眉に皺を寄せて隣を見上げる。

するとそこには、私なんかよりももっと深く眉間に皺を寄せ鋭い瞳を持った彼が立っていた。


「た……かやなぎ、さん?」


険しい表情の彼にたじろぐ。

こんなに厳しい表情をした彼を、再会してから一度も見たことがない。


“鉄壁”の無表情は、笑顔だけでなく不機嫌にも当てはまる。会社で私達部下にダメ出しを突きつける時も厳しい注意を促す時も、いつもその表情は鋼のように動かず口調も坦々としたものだ。


それなのに、今の彼は不機嫌を隠そうともしていない。


(それだけ怒ってる?)


不機嫌マックスと呼んでも差し支えのない彼の表情に動揺する。


「え……と、何か――」


『余計なことを言ってしまったでしょうか?』


そう続けようとした私の言葉を、高柳さんの地を這う様な低い声が遮った。


「あの男と付き合っていたのか?」


「え?」


「あれは大学時代の恋人か?」


「ええっ⁉」


とんでもない発言に目をむいていると、トン、と私のすぐ横のテーブルに彼が腕を着いた。

反対の手は私の椅子の背もたれに置かれている。


椅子に座ったまま、高柳さんの体とテーブルの間に閉じ込められたような状態に、私の心臓がバクバクと音を立て始めた。


「た、高柳さん? あの……」


「どうなんだ?」


耳のすぐ近くで聞こえた低音に、体がビクッと跳ね上がる。

腰を屈めた彼の顔が、私の頭のすぐ斜め上にあるのが気配で分かった。


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