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第七章 夫の役目⑩

スラリと伸びた背。ガッチリとした肩幅。まくった袖から伸びる腕はたくましく、その大きな手が温かいことを思い出して、性懲りもなく顔が火照りかける。

職場での隙の無いスーツ姿からは想像もできないエプロン姿に、胸の奥がほの甘く疼く。


職場で見る彼は、その呼び名の通りまったく隙がない。

きっちりと整髪剤で固められた髪も、体にピッタリと合った三つ揃えのスーツも、そしてその表情も。寸分も乱れることのないその姿は、“鉄壁”そのものだ。


そんな上司とこうして同じキッチンでエプロンを着けて料理をしているなんて――


「そろそろいいんじゃないか?」


「むっひゃっ」


いきなり耳の近くで降って来た声に、ビクッと肩が跳ね、変な声が出た。


「むっひゃっ、て……」


くくくっ、と噛み殺した笑い声がしたと思ったら、お腹を抱えた彼がそのまま大きな声を出して笑い始めた。


「あははっ」


大きな口を開けて隠すことなく笑うその顔に、私はただ釘付けになった。


「はははっ、そのリアクションはないだろっ……くくっ」


言いながらまた笑っている。


目尻に皺が寄り、綺麗な顔をくしゃっと潰して笑う、その笑い方。


(懐かしい……)


それは何年も前に見たきり、もう二度と見ることがないと思っていた懐かしい笑顔だった。


しばらく笑い続けた高柳さんは、最後にふぅっと息をつくと目尻に溜まった涙を指で拭いながら笑顔のまま口を開いた。


「はぁ、笑いすぎた……すまん、あお――」


私の名を口にしながら顔を上げた瞬間、彼は固まった。

見開いた目で私の顔を凝視した高柳さんは、ハッとした顔になり、突然頭を下げた。


「すまない。笑って悪かった……馬鹿にしたわけではないんだ…でも、笑われた方は嫌だったよな?」


さっきまで目尻を下げて笑っていた人が、今度は眉を下げて申し訳なさそうにしている。


「いや、とかでは……ありません」


「じゃあ……」


どうして、と困惑する彼から視線を外し、右手の甲で頬を拭う。一筋だけ頬を濡らした涙は、あっという間に乾いた。


「なんで、……なんでしょうね……」


『あの頃を思い出して胸がいっぱいになったから』


そう言えたら何かが変わるのだろうか。


言えるはずもないことを思いながら、私は微笑んだ。


「誰かと一緒に料理をするなんて、久しぶりで楽しかったから――でしょうか」


「そうか」


そう言った彼が、私の答えに納得してくれたかは分からない。

けれど、高柳さんは「俺もこんな風に笑ったのは久しぶりだ」と目元を緩めたから、私も「それなら笑って貰えて良かったです」と微笑みを返した。

それから何事も無かったかのように、調理を再開した。


料理再開から三十分後。

キッチンカウンターの上には、作った常備菜がずらりと並んでいた。


鶏つくね、隠元の肉巻き、大根の煮物、小松菜の煮浸し、塩ゆでブロッコリー。私が切ったじゃがいもは、ツナと和えた粉ふき芋になった。


「小料理屋さんみたい……」


ポツリと漏らした独り言に、


「じゃあ今夜はこれで一杯やるか?」


「平日用の作り置きじゃないんですか?」


「全部食べきらなければいいだろう?ちょうど良い日本酒もあるし」


「日本酒……」


平日はビールを軽く飲むだけだが、週末は他のお酒も嗜んでいる私達。高柳さんとはお酒の好みが合うようだ。


「夜は冷えるし、鍋もいいな」


「お鍋……日本酒……」


思わず口の中に湧き出た生唾をゴクンと下す。それを見た高柳さんが、くくっと笑いを噛み殺す。


「枝豆も買ってあるぞ」


「お願いします」


美味しい料理とお酒に枝豆が付けば、全面降伏するしかない。

コクンと下げた頭をポンポンと軽く撫でられた。




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