第七章 夫の役目⑧
キョロキョロと周りを見渡す。他の人よりも頭一つ飛び出している背の高い彼は、見付けやすいはずなのに全然見つからない。
いったいいつの間にはぐれてしまったのだろう。ランチの店を出てからすぐは隣を歩いていたはずなのに。
(そうだ、電話してみればいいんだわ)
バッグの中に入れっぱなしだったスマホを出して、彼に掛けてみる――が、彼の方も通話中だった。
(仕方ないわね、もう少ししたら掛け直してみよう)
携帯電話もあるし慌てなくてもそのうち合流できるはず。こういう時は下手に動かない方がいいだろうと思い、すぐ近くの店の目に着きやすい場所で商品を見ていることにした。
ちょうどその店は、全国各地に店舗を持つシンプルなデザインが人気の雑貨店で、私もここの商品を多数愛用している。
手前にあった商品に手を伸ばした時。
「おーみ、さん?」
懐かしい呼び名に顔を上げると、声を掛けたと思われる男性と目が合った。
一瞬目を丸くしたその人は、すぐに笑顔になりこちらに近付いてきた。
「おーみさんですよね?ご無沙汰してます、ESSでお世話になった堂本です」
教えて貰った名前に憶えがあった。にこにこと人好きのする笑顔に、当時の事が甦る。彼は私が四年生の時に入会してきた三つ下の後輩だった。
「堂本君! お久しぶりね。こんなところで会うなんて驚いたわ」
「僕もです。おーみさんはお買い物ですか?」
「うん、そう」
「お一人で?」
「あ~……実は一緒に来た人とはぐれちゃって」
「そうなんですか? すごい人ですもんね。大丈夫ですか?」
「うん、ありがとう。さっき電話したら電話中だったから、そろそろもう一度かけてみようと思っていたところなのよ」
言いながらさっき鞄の中に戻したスマホを取り出して彼に見せようとした、その時。
スマホを持っていた手が横からぐいっと引かれた。
「見つけた」
振り向くと高柳さんがいた。
「あ」と言うと同時に掴かまれた腕を引かれ、その勢いで彼の体に軽くぶつかる。
慌てて離れようとしたところ、伸びてきた腕が腰に巻きついた。
「妻に何か用ですか?」
私が驚きの声を上げるより早く、高柳さんがそう言い放った。
(つ、つ、妻!?)
腕の中で驚愕している私など少しも見ることなく、高柳さんは堂本君をじっと見つめている。珍しく不機嫌を隠そうともしていない表情をした彼からは、妙な威圧感すら漂っている。
初対面の相手に対して威嚇するような態度を取ることなどしない人なのに。
(どうして――)
緊迫した空気を破ったのは、人好きのする後輩の笑顔だった。
「良かったですね、おーみさん」
「え?」
「はぐれてしまった旦那さんが見つかって」
「え、あ、えっと…」
この人は“旦那さん”ではないのよ、という言葉が頭を過ぎるが、密着した状態の上にさっき高柳さんが『妻』と言った手前もある。
なんて返事をしようとわたわたしていると、腰に回された腕に更にギュッと力が込められ、カッと体が熱くなる。
「偶然ですがお会いできて良かったです」
堂本君はにっこりと微笑み、言葉を続けた。
「おーみさんが大学の頃に増してお綺麗になったのは、素敵な方とご結婚されてたからなんですね」
歯の浮くような褒め言葉に、お世辞だと分かっていても照れてしまう。しかも結婚なんてしていない。
そんなことない、と言おうとしたが、人懐っこい笑顔をした後輩君は「じゃあ僕も人と待ち合わせていますので、これで」と一礼をして去って行った。
「突然いなくなったから探したぞ。何度か電話をかけたが出ないし」
堂本君が人ごみにまぎれて行った方を見ていると、頭の上から低い声が降ってきた。
見上げると、さっきまでの威圧感はないが明らかに不機嫌な顔をした高柳さんがいる。
手に持ったままのスマホに目を遣ると、着信を知らせるランプがチカチカと点滅していた。
「ごめんなさい」
謝ると、腰に回された腕はスルリと解かれ、何事も無かったかのような距離に戻った。
さっきからずっと飛び出そうなほどに暴れまわる心臓を落ち着かせようと、大きく息を吸って吐く。
「この歳で迷子にはならない、じゃなかったか?」
長い息を吐ききる前に言われた言葉に、また顔が赤くなった。
「かかって来た電話を取った俺も悪かったが」
「電話、かかって来たんですが?」
「ああ。『少しいいか』と声を掛けて離れたんだが」
お腹がいっぱいでぼんやりした頭で考え事をしながら歩いていたせいで、上の空だったようだ。
「ほら、行くぞ」
差し出された大きな手に目を見開く。
「また迷子になったら困るだろう」
軽く口元を上げて微笑んだその顔に釘付けになる。
目の前にある大きな手に引き寄せらせるように、ゆっくりとそこに自分のものを重ねた。




