第七章 夫の役目④
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やっと迎えた休日。今は土曜日の昼下がり。
私が着ているのは汚しても構わないくたびれたスウェットとパンツ。それに薄茶色のウェリントン眼鏡を掛け、髪は無造作な一つ結び。
なんともゆるい恰好なのは、今しがた掃除を終えたところだから。
降って湧いた高柳さんとの同居生活も、一か月を過ぎたころから不思議と体に馴染んできた。男性と生活を共にすることに、警戒と緊張の連続だった最初の頃が嘘のようだ。
高柳さんは必要以上に近付いてこない。女性という以前に、私個人に特に興味がないのだろう。
とはいえ、家に二人でいる時に私のことを無視するかと言えばそうでもない。
上の立場から何かを申し付けることもなく、何か聞けば普通に応えてくれるし、何でもない世間話もしたりする。
プライベートの彼の雰囲気は職場よりも柔らかく、大学サークルでの彼を彷彿とさせる。
ただ、家では仕事の話はしない。職場ではプライベートの話をまったくしないように、逆もまた然り。
きっとオンオフをはっきりと区別したいのだろうと、勝手に解釈している。
先週までの休日出勤多発事態を乗り越え、訪れた正真正銘の休日。
疲れの溜まった体をゆっくりと休めた土曜日は、遅めの朝食を取ってから溜まっていた家事をこなした。忙しい平日には細かなところまで手が回らなかったので、久々に念入りに掃除もした。
ソファーの背に体を預け、眼鏡越しに外を見る。
すっきりとした青空の下で秋風に揺れるシーツが清々しい。隅々までしっかりと掃除をした部屋を見回して、私は満足げにふぅっと息をついた。
「お疲れ様」
ソファーの背にもたれていると、後ろからマグカップが出てきた。
「コーヒー淹れたからどうぞ」
「ありがとうございます」
私がマグカップを受け取ると、高柳さんは隣に腰を下ろした。
二人掛けのソファーは大きめで、並んで座っても密着するということはないけれど、こうして二人でソファーに座ることはまれなので、私の心臓はにわかに忙しくなる。
「どこもかしこもピカピカだな」
高柳さんはコーヒーを一口飲んでからそう言った。
内心では、(そうでしょう!)と言いたいのをぐっと堪えて、「ありがとうございます」と返す。
「青水は掃除や片付けが上手いな」
「そうですか? 誰にでも出来ることしかしていませんけど……」
家事のエキスパートのような特別な技を使って掃除や片付けをしたわけではない。
そもそも元から綺麗な家なので、大した労力は必要なかった。
「いや、俺はあまり片付けが得意な方ではないんだ。忙しくなってくるとどうしても、な。料理は苦にならないんだが……」
「私とは逆ですね」
「そうだな」
妙に納得した顔で頷いた横顔に、この二週間の私生活を思い返した。
週明けからの残業三昧。やってもやってもどこからともなく湧いて出てくる仕事。
新たに開催地に追加された仙台、名古屋、大阪、福岡の各支店へはまだ正式に発表していない。それぞれの支店長にはホールディングスからの通達が入っているが、グループ各社を併せ、現場への正式発表は二週間後の来週月曜日になっている。
正式発表はここトーマビール、マーケティング本部の企画本部から行う。
その準備と同時に、すでに始動している首都圏チームからの問い合わせなど、対応に追われる二週間だった。
ちなみに、あの日矢崎さんからの誘いを断った後、携帯をサイレントモードに切り替え、翌日には新しい携帯へと乗り換えた。
その後社内メールの方に連絡が入っていたが、業務以外のことはスルーして返信しておいた。
まどかに新しい携帯の番号とアドレスを送るついでに、手短にその話をすると、《だから言ったでしょ!》と叱られた。まどかは昔から、会ったこともない矢崎さんのことをなぜか気に入らない様子だ。
ちなみにまだまどかには、高柳さんとの同居のことを話していない。停電の無事を伝えた後、なんだかバタバタしているうちに、タイミングを失ってしまった気がする。
そんなこんなで怒涛の日々に突入してすぐに、料理初心者の私は夕飯作りに手が回らなくなった。
いつぞや高柳さんに言った『ここぞという時にとってある』と偉そう言ったあのメニューを早々と解禁してしまい、テーブルに乗ったそれをまじまじと見た後、彼はとある提案をしてくれた。
『仕事のピークが終わるまで、食事作りは俺が担当しよう』
その代り毎日の洗濯と休日の掃除は私がする。
それは私にとっては救いの神と言えるような申し出だった。




