第六章 元カレ襲来⑨
こんなふうに自分の身の上や思考について、他人に話したことは今まで無い。まどかと佐知子さんは別。彼女たちは私にとっては他人ではなく身内だから。
まさかこんなふうに高柳さんとさしむかいで、ビールを飲みながら身の上話をする日が来るとは。
冷蔵庫から二種類目の秋ビールを取り出し、グラスに注ぎ分け、一口飲んでは感想を言い合う。
明日の夕飯メニューの相談を受けつつ、週末は一緒に大型スーパーに買い出しに行こうかという話になって、「それなら他にも見たいものがあります」と言うと、「車で行くから必要な物は忘れずにリストアップしておくこと」と高柳さんが口にする。
(上司みたいだわ)と思った後に、本当の上司だったことに気が付く。
そんな当たり前のことすら忘れていた自分がおかしくて、くすっと小さく笑うと目の前から怪訝そうな視線が飛んできた。
「そういう高柳さんはどうしてホールディングスへ入ったんですか?」
そう言えば私の話ばかりしていて彼自身の話は聞いたことがなかったと、志望動機を訊き返してみる。
大学の時に彼の就職先をサークルの噂話で聞いたが、まったく違う会社だったはず。噂話は当てにならないというけれど、まさにその通り。まさか自分が入社した会社の親会社に、彼がいると思わなかった。
「知り合いに声を掛けられて」
「ホールディングスのですか?」
「ああ」
声を掛けて入社につながるなんて、その知り合いは大分上の人なのだろうか。
もっとも高柳さんは大学内でもずば抜けて優秀な人だったから、コネなんて無くてもどの企業にも入れたと思うけど。
「大学を卒業してすぐに就職したのは別の会社だったんだが、そこで三年働いてからここに転職した」
「そうだったんですね」
噂話も案外間違っていないんだな、と思いつつ相槌を打つ。
「青水みたいな立派な理由じゃなくて悪いな」
「別に私の動機だって立派じゃありません。人それぞれで良いんじゃないですか?」
「……そうだな」
それからもう一種類、別の秋ビールを飲んで感想を言い合ってから、その日の晩酌は解散になった。
自室のベッドに横になり、ぼんやりと物思う。
(昼間のこと、やっぱり何も聞かれなかったわね)
矢崎さんとの一幕を高柳さんに見られてから、結局それに関して何も触れられなかった。
あの時の会話を聞かれたかどうかは分からないけれど、単なる同僚にしては近すぎる距離に、高柳さんが何も思わなかった訳はない。
(“模擬結婚生活”なんて言いながら、詰まるところ、ただの同居生活だもの……)
彼にとってこの同居生活は、今後見合いを勧められない為の“既成事実”なのだ。“妻”という言葉の前に“仮”や“偽”すら付くことはない、ただの同居人の私に、彼はまったく興味を持っていないのだ。
改めてそれを認識したら、胸の奥がじくじくと疼くように痛む。
(“模擬結婚生活”なんて都合のいいネーミングに騙されたら駄目よ。お互いの目的を果たしたら、三か月後には円満に元通り。また一人の生活に戻ること、忘れないようにしなきゃね……)
明かりを落とした部屋の薄暗い天井を眺めながら、そう自分に言い聞かせると、私はそのまま瞳を閉じ、眠りについた。




