第六章 元カレ襲来⑧
「いや、えっと……」
「他のにはまだ箸を付けていないから大丈夫だ」
そういう問題でもないような、と逡巡していると、彼がサッと立ち上がりキッチンから小皿と箸を持ってきた。
「どんな料理にどんな酒が合うのかを知ることも大事だ。枝豆とばかり一緒にされたんじゃ、ビールが可哀想だぞ」
それを持ち出されると弱い。
「ビールも俺が帰ってくるのを待つ必要はない。基本的に酒は料理と共に口にすることが多い。マリア―ジュを考えることは今後の仕事にも役に立つと思うから、青水も夕食を食べる時に料理との相性を確認したらいい」
「……はい」
たしかに。
一緒に暮らし始めてから、料理とお酒の相性を考えながら飲むようになった。
こうして高柳さんとお酒の味や料理との相性についてアレコレ語り合うのが密かに楽しい。
これまでは、料理とお酒のマリア―ジュなんて居酒屋やレストランの専売特許だと決めつけていたから、目からうろこだ。
「そう言えば、母がよく『お好み焼きにはドライ系がいい』とか『お鍋には地ビールがよく合う』とか言っていました」
「裕子さんは本当にビールが好きだったんだな」
彼は母のことを『裕子さん』と呼ぶ。きっと佐知子さんがそう呼んでいたのを聞いたのだろう。
「裕子さんと一緒に青水もビールを飲まなかったのか?」
「母が亡くなったのは、私は成人してから数か月後でした。だから一緒に飲んだのは数えるほどなんです」
「そうだったのか……残念だったな」
高柳さんは母の写真に視線を向けた後、しんみりとそう言った。
ダイニングテーブルに沈黙が降りる。
しめっぽくなった雰囲気の中、私はグラスに残っているビールをグビグビと一気に飲み干し、「美味しい」と敢えて口にする。
「実は私、大学生の時はビールが飲めませんでした」
目の前の彼が私を見て、瞳をしばたかせた。
表情はあまり変わらないけれど、この二週間で彼の気持ちが少しは分かるようになってきた。きっと今『嘘だろう?』と思っている。
「嘘だろ?」
ほら、やっぱり。
くすっと笑って「嘘みたいな本当の話です」と言うと、彼は黙って瞬きを二回した。
「苦いのが駄目だったんですよ」
「それでよくビール会社に就職しようと思ったな」
「そうですね。私もそう思います。本当は公務員志望だったんですよ、私」
「そうだったのか……どうして民間に変更したんだ?」
「……目的が果たせなくなったので」
「目的?」
「安定した職業に就いて楽させたかったんです……母を」
微笑みながらそう言うと、高柳さんは一瞬だけの眉間に皺を寄せた。そして一拍間を空けて訊いてきた
「それにしても、よく自分が苦手なビールの会社を志望したな」
「母が好きだった物を追求してみたくなったんです。転勤があって色んな場所に行けるのもいいな、と思いました」
「それが良かったのか?」
「はい。気ままな独り身ですし、知らない場所知らない人の中で仕事をするのもいいかと。母が生きていた頃は、母を一人にしたくなくて遠くに転勤のない職種がいいと思っていましたが」
「そうか」
「はい」
いつのまにか身の上話になっていた。




