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第一章 黒歴史との再会②

待ち合わせに指定されたラグジュアリーホテルに到着すると、私はパウダールームへ向かった。待ち合わせ時刻までまだ三十分近くある。


移動の間に乱れた身なりをチェックする為に鏡の前に立つ。そこにはどこにでもいる平凡なアラサ―女が映っていた。


(これでもあの頃よりはずいぶんマシよね……)


苦々しい気持ちが湧き上がってきて、一人苦笑する。


化粧の浮きが無いことを確認した後、肩下に垂らしただけの茶色い髪を撫でつけ、ワンピースの襟元を整えると、パウダールームを後にした。



(待ち合わせ十分前。いつもならそろそろ……)


ロビー脇のソファーに座って左手に着けた時計を見ながらそう思った、ちょうどその時。


「お待たせ、(ゆき)ちゃん!」


懐かしい声に顔を上げると、佐知子さんが茶色い髪をあご下で揺らしながら駆け寄ってくるところだった。


「佐知子さん!お久しぶりです」


「久しぶりね、雪ちゃん。変わりはない?突然連絡してごめんなさいね?」


「そんな。連絡頂いて嬉しかったです。私の方こそ、ご無沙汰してしまってすみませんでした。私は相変わらずです」


「気にしないで。仕事、忙しいんでしょ?今は本社だったわよね?」


「はい」


「あら、やだ、こんなところで立ち話しちゃうなんて。上のイタリアン、予約してあるのよ。行きましょう」


「はい、ありがとうございます」


楽しそうに「いいえ。雪ちゃんと会うのが楽しみで、つい話し込んじゃったわ」と笑いながら言う佐知子さんに連れられ、エレベーターに乗った。



待ち合わせの相手である遠山(とおやま)佐知子(さちこ)さんは、母が生前働いていた時の同僚で、母にとっては親友であり妹のような存在。


そんな彼女は最初に会った時から私のことを友人の娘以上に可愛がってくれ、次第に姪っ子のような扱いになっていった。

私にとっても彼女は叔母のような存在で、それは母が亡くなった今でもそれは変わらない。


いや、母が生きていた頃よりも関係は近いのかもしれない。私にとって“身内”と呼べる存在は彼女ともう一人、自分の親友だけ。もし彼女たちがいなかったら、私はどうなっていたのだろう――。



ホテルの十階に位置するイタリアンレストランに着くと、窓際の席に案内される。窓から見下ろす景色は、思わず息を飲むほど圧巻だ。秋晴れとも相まって遥か遠くまで良く見えた。


四人掛けの席の窓際を勧められて座ると、佐知子さんは私の隣に腰を下ろした。


「…佐知子さん?あとから紀一(きいち)さんも来るんですよね?」


彼女の夫も少し遅れてやって来て、一緒に食事をするのだと聞いている。

三人で外食をする時はいつも佐知子さんと紀一さんは並んで座るのに、どうして向かいに座らないのか首を捻っていると、彼女がおもむろに口を開いた。


「雪ちゃん、今日はあなたに会わせたい人がいるの」


「会わせたい人……」


嫌な予感がした。


佐知子さんは時計を気にしながら早口で喋り出す。


「実はね、私、来月にはイギリスに行くことになっているの」


「えっ、イギリス!?」


「そうなの。紀一君が仕事でフランスに赴任することになってね……。それで私も、仕事を辞めて着いて行くことにしたのよ」


「い…いつまで……」


混乱の中でやっと絞り出したのは、そんな台詞。


「まだ分からないわ…。二、三年……もしかしたらそれ以上になるかも」


「そんな……」


思いがけない告白に頭が真っ白になった。


母の死後、子どものいない彼女とその夫は、私のことを本当の娘のように気に掛けてくれた。親戚のいない私にとって、いざという時に頼りに出来るのは佐知子さん夫婦だけなのだ。

それなのに、その二人が遠い異国に行ってしまうなんて―――。


「雪ちゃん一人を日本に置いていくのは、私も心配なのよ…。裕子さんが生きていたらそんな心配もいらなかったんだけど……」


呆然とする私を、佐知子さんは心配そうに見る。

少しの間、しんみりとした空気が私たちの間に漂う。けれどそれは佐知子さんの次の言葉によってすぐに破られた。


「だからね、雪ちゃん。雪ちゃんのことを任せられる相手を紹介しようと思って」


さっきまでのしんみりとした空気を一変するように、明るいトーンで発せられた言葉に、私は目を見開いた。


「私を任せらせる、って…」


どういうこと?と問おうとしたその時、レストランスタッフがやってきた。


「お連れ様がいらっしゃいました」


その言葉に顔を上げる。するとスタッフの後ろの方から佐知子さんの夫である紀一さんがこちらに向かって歩いてくるところだった。


紀一さんの後ろに背の高い男性がいるのが見える。

標準的な身長の紀一さんよりも頭一つ分高いその人の顔に、何気なく視線を移した時――


「っ!」


思わず息を飲み込んだ。


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