第三章 嵐は突然に⑥
うっすらと目を開けると、自分が何処かに寝かされているのが分かる。
見覚えがあるが自分の部屋ではないことは確かで、寝起きの頭にはどこだか瞬時に判断出来ない。
暗闇の中入口のドアの開いたところから、明かりが細く伸びている。意識が覚醒してくると、自分がどこにいるのかようやく理解出来てきた。
「……ここ、は…」
見覚えがあるはずだ。ここはオフィスの入口近くに有る応接室。私が横になっていたのは、来客用ソファーの上だ。
ゆっくりと体を起こすと、パサリと何かが足元に落ちる音がした。
(なんだろう)
拾い上げるとスーツの上着だった。
「これ…」
(もしかして私に掛けてあった?)
この上着の持ち主は誰なのか、手に持ったそれをじっと見つめながら、考えようとしていたその時
「目が覚めたのか?」
掛けられた声に振り向くと、ドアの所にその男性は立っていた。
シャツ上にジレだけを纏った彼は、スラリと長い脚を軽く交差させて入口に寄りかかっている。捲りあげた袖から覗く腕は太く逞しい。
逆光で顔は良く見えないが、誰なのか問うまでもない。
私が返事をしないでいると、彼の方からこちらへやってきた。
「気持ちが悪いとか痛いところはないか?」
「……はい」
「そうか」
高柳統括はそれだけ言うと、あとは何も言わずじっと私を見降ろす。
睨むのでも見つめるでもなく、ただ観察するようにじっと見てくる彼の視線に、私は段々落ち着かなくなってきた。
「あの…これ……」
何か、何でもいいから私から視線を外して欲しくて、咄嗟に手に持っていた上着を彼へと差し出した。
「掛けて下さったんですよね?ありがとうございます」
「ああ…」
受け取った上着を腕に掛け、「大丈夫か?」と訊ねた彼の言葉に「大丈夫です」と返す。
「ご迷惑をお掛けしてしまい、申し訳ありません。それとここまで運んでいただいたことも……」
しっかりと目を見て謝罪を口にした後、頭を下げる。
「いや、大丈夫ならもういい。君は……」
高柳統括は何か言いかけたが、「いや、いい」と言って口を閉じた。
「もう平気なら、送って行こう」
そう口にするとドアの方へ足を向けた統括に、慌てて声を掛ける。
「だ、大丈夫です。自分で帰れます」
ドアまであと二歩、というところで足を止めた彼は、半身をこちらに振り向かせ短く息をつくと
「歩いて帰るのか?終電はとっくに終わってるぞ」
と、わずかに面倒臭げに言う。
ピクリとも上がらない口元と緩まない目元。
デフォルトとなったその“鉄壁上司”の表情に、胸の奥にさざ波が立つ。
「タクシーで帰ります」
挑むような口調で返すと、彼の瞳がかすかに見張られた。
表情に動きがあったことに内心驚いていると、彼はすぐにいつもの鉄鎧を纏ったような顔に戻った。
「台風のせいでタクシーも出払っている。ここも明日は休みだ。定時前に社全体に通達されている。見なかったのか?」
「っ……」
統括からの指摘に、背中がヒヤリとした。
仕事に夢中になるあまり、メールのチェックを怠っていた。入社六年目にもなるのに、新人みたいなミスをしてしまった。外部からの重要な連絡だったら、冷や汗では済まないだろう。会社内の連絡事項で済んで良かった、とホッとする。
「明日の昼まで一人でここに居たいのであれば構わないが、そうでなければ大人しく着いて来い」
言うだけ言うと、前に向き直りスタスタと応接室を後にした彼を、私は慌てて追いかけたのだった。




