第三章 嵐は突然に④
「んん~~っ、終わったぁ!」
椅子の背に体重を掛けながら背伸びをすると、椅子がキィッと音を立てる。
周りを見るとオフィスにはもう私しか残っておらず、私の頭上周辺以外の電気が消されていて、広いオフィス内は真っ暗だ。
同じように真っ暗な窓の外に目を遣ると、いつのまにか窓ガラスが濡れていた。
「雨降ってたんだ……」
本州に接近している台風十七号のせいで大気が不安定になり、今夜未明から雨が降ると天気予報で言っていた。
「雨足、早まっちゃったんだ…」
常備してある折り畳みの傘を取り出そうと、デスクの引き出しに手を掛けたその時
――ピカッ
「っ!」
暗いオフィスがストロボを焚いたような光に照らされる。
私は反射的にその場にしゃがみ込んだ。
辛うじて悲鳴を飲み込めたのは、社会人して培ってきた矜持のおかげ。
職場でカミナリに取り乱すなんて、いい大人のすることじゃない。
たとえ私以外に誰もいないとしても――。
私の“カミナリ恐怖症”は並大抵のものではない。
家にいる時ならすぐに遮光カーテンを引いて、雷光が見えないよう布団を被ってスマホで動画やドラマを観る。もちろんイヤホンは必須で、音量も最大だ。
だけど今日みたいに会社でカミナリに遭遇したときは、必死に平静を装いながら窓のない給湯室へ逃げ込む。給湯室は外壁から遠い場所にあるので、音も聞こえにくい。
給湯室以外にも、資料室やミーティングルームなど、何箇所か“避難場所”がある。
幸い外で移動途中にカミナリに遭ったことは無いのだけど、もしそうなったらきっと駅ビルやどこかカミナリの見えない場所に逃げ込むしかないだろう。
(い、今のうちに、給湯室に……)
閃光から音までに大分時間があったので、カミナリはまだ遠いのだろう。
震える足を何とか動かし、這うようにして机の下を進もうとしたその時
「誰か残っているか」
聞き覚えのあるバリトンボイスが入口の方から聞こえてきた。
(高柳統括!)
とっくに帰ったと思っていた人の声が聞こえ、私はその場で固まった。
別に悪いことをしているわけではないのだからすぐに返事をすれば良かったのに、驚きとカミナリへの恐怖心とが合わさって、脳内回路が上手く回らない。
「誰もいないのか?」
そう口にしながら足音が近付いてくる。
(や、やだ…どうしてこっちに来ちゃうの!?)
それはそうだろう。私のデスク周辺しか電気が点いていないのだから。
そんなことも分からないほどパニックになりかけていたが、何とかそれを追いやって、冷静になろうと心掛ける。
(そ、そうよ…返事を)
『青水がいます』
そう声を出して立ち上がろうとしたその時
――ピカッ!
閃光が走った。
反射的に体が固まった――次の瞬間
――バーンッ!
鼓膜を震わせるような大きな雷鳴が轟いた。
「きゃぁぁっ!」
衝撃でガタガタ窓ガラスが音を立てる中、それをかき消すほど大きな悲鳴がオフィスに響きわたった。
「だ――のか!?」
両手で塞いだ耳にかすかに届く声。
けれど顔を上げることも言葉を返すことも、今の私には不可能だった。
閉じた瞼から涙が滲み出し、ただガタガタと小刻みに震える体をこれ以上ないくらい小さく縮める。
濡れた瞼の裏側には、閃光と共に焼きついたあの日の出来事がスライドショーのように次々と映し出されていく。
「いやっ、いやよ!置いていかないでっ……お母さん!」
悲鳴のような叫びと共に、私の意識は遠く薄らいでいった。




