第一話【空気な男】
【惑星ガリア、あるスラム街にて】
「おい! いるんだろ! 出てこい!」
空気の悪い路地裏に立っているアパートで、大男がある住戸の外扉を激しく叩いていた。見るからに恰幅が良く、運動神経もかなり悪そうに見える。だが、外扉を叩く音はアパート全体が揺るがすのではないかと思う程、勢いがあった。その大男の形相といったら、たるんだ頬が緩和してくれるとはいえ、鬼の形相そのものだった。隣の住人達は、恐る恐る外扉を開いて、その光景を盗み見している。大男の怒声が鳴り響く。
「電気メーター動いてるじゃねぇか! どういうことだよ! 電気代は払えても、家賃は払わねぇってのかぁ!」
大男は更に叩く、叩く、叩く。そうしていたら、その外扉が静かに開いた。大男はそれに気づき、外扉を外側へいき良いよく開けようとする。だが、その外扉は動かなかった。大男はスットンキョンな顔をして、その場で硬直した。なぜだ。なぜ開かないのかと。その外扉を、大男は怖くなり手を離してしまった。間も無くして、開かずの間の扉は開いた。その先には、ある男性がボーッとした顔で猫背のまま、大男の前に現れた。
その男は、少し赤みのある黒髪短髪で、顔立ちは呆けた顔が良く似合う薄目をして、口元が半開きをしていた。寝起きなのだろうか、それとも彼はおとぼけなだけだろうか。そのどちらも判別がつかない、たとえ街中で見かけても、すぐに見失ってしまいそうな、存在感がまるでない男だった。
その男は口をパクパクさせて、言葉を発した。その声音には。まるで他者と話そうというやる気の欠片も見当たらない、ぐーたらしたしゃがれた声をした青年声だ。
「あの、どうしたんですか? あ、大家さんじゃないですか。ひさしぶりに見た気がします」
「そんな、そんな訳ないだろ! 昨日も会っただろう! 忘れたのか!?」
「え、あ〜、う? きのうって、なにがありましたっけ」
「家賃は今日払えそうだから、明日の朝一に直行しますって、いきりたってたじゃねぇか!」
「…やちん…? あ、やちんってどんなものでしたっけ」
「お前が! ここに! 住むための! 費用だよ!」
男の頭には脳みそがないと錯覚してしまう程、彼の言葉と表情にはまるで覇気が感じない。寝起きだとしても、こう何回も会話をしていたら覚醒するというのに、男には人類の習慣が当てはまらないと納得してしまいそうだ。大男は彼の言動には慣れているから、驚きも身じろぎもせず、怒号は続く。
「今日という今日は、ここを出て行ってもらう! どうせ、家具はおろか、携帯品も何もないんだろ? さぁ、ここから出てこい! 服は着ているようだしな!」
「あ、はい。あ、ちょっと写真だけとってきます」
「早くしろぉ!!!」
男は外扉を開けたまま、家の中へと姿を消す。
10分が経った。大男は我慢できず、家の中へと地ならしを鳴らしながら侵入する。
そしたら、立ち呆けている男がいた。男は大男に気付き、助けを求めた。
「あ、………………写真ってどこにあるんですか?」
「………お前の目の前にあるだろ。その机の端っこに」
「………あぁ、ずっとまんなかをみてました」
「………出てけ。早く。うちの物件にはもう住まわせない」
「あ、はい」
彼は写真を内ポケットへと、ゆっくりとしまう。彼の衣服は、右肩が丸いプレートがまめられていて、薄暗い青色の戦闘服みたいなジャケットを羽織っていた。ズボンは黒色。共に、汚れている。だが不思議と、ボロついてはいなかった。
彼はトボトボと住戸の出口へと歩いていった。そして、ゆっくりと靴を履いている。その靴はどこか、頑丈そうに見えた。彼は靴を履き終え、またトボトボと歩き姿を消した。大男は大きなため息をつき、安堵した。これでやっと、厄介者が追い払えたと。
「はぁ。悪い奴じゃないんだけどなぁ。トウマは」
大男は内心、部屋の隅レベルだが、心配はしていた。罪悪感も。だが、これも商売だ。『1年分』の家賃は流石に見逃すことはできなかった。
「さて、住居者募集を出すか。家具は…やっぱり備え付けの机しかないか。…あいつの生きがいが、ギャンブルじゃなければなぁ」
大男はそう呟き、部屋内の摩耗具合を確認する。かなり綺麗だった。そりゃ、あんな部屋の中だけならボーッとしているやつが、壁に穴でも空けないか。杞憂で終わった。大男は一通りざっくりと、部屋の中を確認して、彼も住戸の外へと姿を消していった。
【スラム街、土手】
トウマは土手の草っ原で座り込み、大空を見ながら黄昏ている。何をするでもなく、その行為は6時間程の時刻が過ぎていった。最初はお天道様も天辺を陣取っていたが、そのお天道様も地平線へと落ち行こうとしていた。
トウマは草っ原に座り込むのを止め立ち上がった。向かう先は、彼の行きつけの場所だった。
【スラム街、とあるラーメン屋】
「いらっしゃい! カウンターへ…トウマ、お前かよ」
トウマが店の引扉を開き、人影を見て威勢の良い出迎えをするが、店主が嫌そうな顔をして声をひそめた。トウマは静かな足立で店内へと入る。カウンターの一番奥へ、彼の特等席へと座る。店主が冷めた声で注文を促す。
「トッピングも何もない、ラーメンでいいな? 金はあるか?」
「あ、かね」
トウマはそう言って、ジャケットの外ポケットから質素な財布を取り出す。いかにも安物の合皮で作られていそうな財布だ。その財布を開き、小銭入れを確認する。その中身はいかほど入っているのか、口に出しながら答える。
「…あ、どうかが6枚、はくどうかが4枚…?」
「おい、見せてみろ」
店主がトウマの財布を丁寧に奪う。中身を確認して、トウマの言った事実を訂正した。
「銅貨が5枚、白銅貨が5枚だ。こんなに色が違うってのに、間違えるもんかね」
「あ、はい」
「あ、はい、じゃねぇよ。ラーメンは食えるけどよ。一杯だけだからな」
「え、あ…たりない」
「稼いでこい! お前、でかい仕事してただろ!? 確か、金貨が20枚だったか?」
「そうだっけ」
「そうだよ。街中に貼られている募集紙に書かれてたからな。お前がやったって聞いてるぜ。常連から」
「…そうだっけ」
「…ラーメン作ってくる。水でも飲んで待ってろ」
店主は水をトウマの前へと置き、調理を開始する。店内の壁には【素ラーメン:3銅貨】と【ラーメン:7銅貨】と張り紙が貼られている。他にも様々なメニューがあるが、そのどれも銅貨10枚程だった。トウマは水を飲まず、ただその場で目の前に露出している厨房の上を眺めている。口は半開き状態だ。
5分、彼はそのまま厨房の上を眺めたまま。水は、減っていない。店主がラーメンの器を持ったまま、カウンター横に通路をわざわざ通り、トウマの前の机へと置く。トウマはラーメンの蒸気に気づいたのか、視線を厨房から外して、目の前にあるラーメンへと視線を向ける。
「お待ちどうさん。金は先に貰っておくよ」
店主はそう言い、また彼の財布を丁寧に奪い、中身から3銅貨を抜いた。そして、店主の善意をトウマへと告げた。
「チャーシュー、おまけだ」
「あ、あ。チャーシュー。3まい」
「そんな筋肉してんだから、肉くらい食え。餓死するぞ」
「ありがとうございます」
トウマは店主へと深々とお礼をして、目の前のラーメンをゆっくりとすすった。店主は親みたいな、子供を見る眼差しでトウマの体を隈なく視線を回す。
「そこのどこに、あんな」
「うまい。うまい。うまい」
店主の言葉に聞く耳を持たず、トウマはラーメンの麺をすする。定期的に、チャーシューを少しずつ頬張り、また麺をすすった。店主は満足してか、トウマの横を離れ、カウンター前の厨房へと所定の位置に戻る。
「ゆっくり、味わって食えよ」
「うん。ありがとう」
トウマはまたお礼を言うが、ラーメンに夢中になっていて、言葉だけでお礼を言った。店主が小言を言う。
「もう、あんなの辞めたらどうだ?」
「それは嫌だ」
彼は麺をすするのを止め、しっかりとした声で答えた。今までの空虚なありようはどこへった。真の通った声だった。店主は深いため息をついた。
「…そうか。親父さんに習わなくてもいいのに」
「親父は関係ない。僕のやりたいことだ」
「わかった。いつもお節介を言ってすまないな。…美味いか?」
「うん。うまい」
「汁まで食えよ。ガリガリになっちまう」
「うん。のむ」
10分程して、ラーメンを平らげたトウマ。お水を少し飲んで、席に立とうした。それを店主は制した。店主のお節介は続く。
「水は全部飲め。水分の大事だ」
「…スープで、のんだ…?」
「違う水分だ。飲め。じゃないと、もう作らんぞ」
「こまる」
彼はそう言い、机に用意されたコップに入った水をちびちびと飲む。それを確認して、店主はネギを千切りしていた。
3分が経った。トウマは言った。店主へ向けて。
「ごちそうさまでした。」
「おう。また来い。金を持ってな」
「うん。おやすみなさい」
トウマはそう言って、店内を後にした。ゆっくりと。店主はその一挙一動を眺める。
「…いい嫁さんとか入れば、俺は安心なんだがな」
店主の心配が空気に漂う。当てにならない、希望だった。
【スラム街、土手、橋の下】
トウマは決まって、住まいがなくなれば、橋の下で横になり雑魚寝する。何も地面には敷かず、そこに徘徊している昆虫がトウマの体をつたっていく。その事態にトウマは動揺しない。いや、気づいていない。それが彼の当たり前だった。彼は写真を眺めていた。そこには、小さい少年と、一回り大きい女性が立っていた。二人とも笑顔だった。彼は女性を方へと常に見ている。何を思っているか、誰にも分からない。ただ、女性をジッと見ていた。そして、気づいたら彼は夢の世界へと旅立っていった。
【スラム街、依頼募集板】
トウマの日課の一つ、彼は仕事を求めて、だが朝遅くその募集板へと辿り着く。その頃には、手頃な依頼は何も掲載されていない。ただ、誰も受けたがらない依頼だけが残る。その一つを躊躇いもなく、ゆっくりと募集板から依頼書を引き抜く。その依頼内容を見ない。ただ、彼は成功報酬しか見ていない。その成功報酬が高いものか分からないが、彼は常に【金貨】という文字を見つけたら、その依頼書に目標を定めて引き抜くだけ。文字は彼には然程読めない。だが、『モンスター』の名前だけはわかる。わかりやすい文字だから、彼はギリギリ覚えられた。所在地は、道すがら訪ねて回る。そして、彼は現地へと到着する。いつも通りに。そして、依頼を完遂する。それで依頼主の場所も、道すがら聞いて回り、現地へと到着する。そうして、彼はまだある日課を果たそうとする。その日課へと向かう時の顔には正気が、人が変わったように凄みを感じる。彼は、『ギャンブル場』へと向かうのだった。
【娯楽街、ただ一つのギャンブル場】
「いらっしゃいませ! あ! トウマさん! 今日もいらっしゃって! 今日はおいくら?」
「金貨が50枚だ! ケンカをおっ始められるか!?」
「今日もお元気ですね! その威勢、私大好きです!」
ギャンブル場に入場する扉前に、派手な服装を着た受付嬢がトウマの応対をする。トウマの目には火が灯っており、今からでも誰かを殴り飛ばしそうな爽快とした笑顔を受付嬢へと向けて発言する。その凄みに受付嬢は慣れているのだ。いつも通り、トウマをギャンブル場へと通す為に、扉を開いた。一言、付け加えて。
「今日は久しぶりに闘技場が開催されますよ! …どうされます?」
「おお! 闘技場か! それじゃ、全額をいつも通り賭けるぜ!」
「わっかりました! 一応、マスターにお伺いしますね。闘技場だと、百戦錬磨なので!」
「そんなこたぁねぇ!!! いつ負けるか、それは誰にも分からねぇ」
「一応ですよ。一応! でも、通ってください! 許可は降りると思うので!」
「おう!」
トウマは覇気を見にまとい、ギャンブル場へと入っていく。受付嬢がトウマに聞こえないように、独り言をこぼす。
「今日は、面白くなりそうかも…。相手は多分、あのお方だし…!」
トウマはギャンブル場の中に入り、周りを見渡す。そして、深呼吸をする。この空気が、彼の原動力だと言わんばかりに。
「…スゥ。ハァ。…ギャンブルを、始めようぜ…!」
パラサイト・ヴァンパイア外伝。
場所は惑星ガリア。
主人公たちが降り立つ、ちょうど一日前。
今回は、彼の行動の全てにカメラを向けます。
ご期待頂けると幸いです。
星野アリカ