第九十四話 破綻の足音
『実験は成功かな。感想は?』
「なんだか不思議な感じでした! 魔力は魔力だけど、なんか変な感じ……ぞくぞくしました。あれが始原の魔力なんですねぇ」
杖を胸元で抱きかかえるようにしてアルテイシアが感想を述べる。やはり彼女からしても、歪みの力は他とは違ったように感じられるようだ。
「痛いほど冷たい水というか……鋭い刃物を当てられるというか。そんな不思議な感じでしたね」
『体の調子は大丈夫か? 見た所外傷はないが』
「大丈夫だとは思いますけど……あ、でも、うん。冷静になってみるとちょっと違和感がありますね」
ガタ! とヌルスが這いつくばった状態から立ち上がる。あわあわと両手を差し出してアルテイシアを抱えようとするヌルスに、彼女は苦笑しながら手を振った。
「大丈夫、負傷とかそんな感じじゃないです。流れた魔力の量の割に、ちょっと体に疲労が溜まっているというか……。不思議ですね、冷たく感じたのに、焼けつく寸前の負荷がかかったみたいです。この感じは経験があるので、歪み特有の不可逆な魂の傷じゃないですね。一日休めば元に戻ります」
だから心配いらない、と説明されてもヌルスはイマイチ安心できなかった。焼けつく寸前とか普通に大ごとではないだろうか、そもそもそんな症状に経験があるって何なのか。
じぃっとなおも観察するヌルスに、心配性だなあ、とアルテイシアは微笑んだ。
「別にそんな無茶苦茶をやったとかじゃないですよ。ほら、この間イレギュラー魔物と遭遇した時、とっておき使ったでしょ? あの時と同じぐらいの負荷ってだけです」
あっけらかんと口にする彼女だが、ほんとかー? とヌルスはいぶかしんだ。
アルテイシアの言うあの時……金属魔術とやらを使った時の事はぼんやりと覚えている。
その時ヌルスは時間稼ぎでボコボコのメタメタにされてほとんど意識がなかったが、それでも意識を塗りつぶすほどに輝くアルテイシアの膨大な魔力の反応ははっきりと感じ取っていた。間違いなく今のヌルスの数十倍ではすまない大魔力であり、肉体にかかった負荷も絶大だったろう。
それに耐え抜き魔術を完遂したという点でアルテイシアが非凡極まりないという証明ではあるが、それと比べるとD・レイに必要な魔力はほんのわずかだ。アルテイシアの大魔術に比べれば数十どころか数百分の一以下でしかない。逆に、歪みの魔術の危険性が浮き彫りになったようなものだ。
『とても大丈夫には聞こえないのだが。あの魔術と比較にならないぐらい小規模の魔術だろう』
「ですから、コントロールしきったっていう話なんですってば。確かにちょっと今まで感じた事の無い質の魔力でしたけど……うふぅ」
ぶるり、とアルテイシアはその時の感覚を思い出したのか、ぶるりと体を震わせた。まるで寒気を感じたかのような仕草にヌルスは慌てて自分の外套を脱ぎ去ってかぶせようとするが、彼女はちょっと上気した顔でそれを遠慮する。寒いどころか、ちょっと暑そうである。
「いえ、いえ! 大丈夫です。なんかこう、斬新な体験でした。自分の血管に、冷たい針を慎重に通していくというか、柔らかいのに鋭い手ごたえがするような、というか、一歩制御を誤ったら身を内から引き裂かれそうなスリルが新鮮……」
《…………。ま、まあ、本当に大丈夫ならそれでよしとしよう……》
己の腕を抱いてゾクゾクと回想にひたるアルテイシアに、ヌルスはちょっと身を引いた。
まあ、どのような所感を抱くかは人それぞれだ。余人がどうこう言うものではない。
ちなみにヌルスの感じだと、歪みの魔力は針に変じる液体だ。ちゃぷんと波打った雫が、鉄の鋭さと冷たさで肉を切り裂く。そんなイメージだ。とてもじゃないが、手触りを楽しむような余裕はない。
《とにかく、二度目はなしだからな》
少なくとも実証はできた。アルテイシアなら歪みの魔術であるD・レイであっても制御可能ではあるが、やはり危険性は伴う。今はそれだけで十分だろう。
これでおしまい、と杖を取り上げる。アルテイシアが「えー! もうちょっといいじゃないですかー!?」と手を伸ばしてぴょんぴょんしてくるので、杖を高くかかげて届かないようにする。
《はいはい、これでおしまい! 次はもっと安全性とか確保してから!》
「ぶぅー。まあ、言いたい事はわかりますよ。ちょっと安定性に難があるのは事実ですね。でも今ので感覚と理論は作れました。時間さえあれば完璧に安全な魔術式を構築してみせましょう! そしたらいいですよね、ね?」
『出来たらね』
そこまでできたらヌルスとしても問題はない。そもそも、ヌルスが頑張って短期間で実験結果をまとめたのも、そもそもアルテイシアの為なのだ。その彼女が有効活用してくれるというなら文句はない。安全性が確保されたなら、それこそガンガン使ってもらって構わない。
しかし、そればっかりにかまけてもいられないだろう。
『だが、まずは5層の突破だな』
「あー、うん。そうですね……そっちの方が大事ですね。まあ、姿を隠す点は対策したので、次はそう苦戦はしないと思うんですが。エルリックとロションが瘴気対策、エミーリアが最初から氷の魔術でボスを攻撃、私は万が一のフォローに入った方がいい、という感じですかね。そこにヌルスさんが入ってくれれば盤石でしょう」
『アルテイシアがメイン火力じゃダメなのか?』
見たところ、あのエミーリアという魔術師は別に実力で大きく劣る訳ではない。アルテイシアが群を抜いて優秀なだけで、他のメンバーもすぐれた魔術師だ。しかし、やはりアルテイシアに比べれば大きく見劣りするのも事実。
だがアルテイシアはそうは思わないようだ。
「いえ。5層のボスは情報が少ない、万が一に備えて私が控えておいた方がいいでしょう。それにヌルスさんも気が付いていたでしょうが、あの魔物には魔力の流れが見えています。私とエミーリアで、戦闘用魔術の精度や出力に大きな差がある訳ではない。どっちがやってもそう大差はないかと」
《ふむ》
まあ、確かに。エジニアス式は高度にパッケージングされた術式だ。そういう意味では、同じ魔術を使う場合でエミーリアとアルテイシアにそう攻撃力に差はないのかもしれない。
これが自由に魔術を使えるのなら話は別だが。
同じ魔術でも、環境や属性等によって殺傷力などは大きく変わる。アルテイシアがよく使うアストラル云々であれば、本来あの5層ボスですら一撃だろうが、あの霧のように立ち込める瘴気のせいでイマイチ役に立たない。現状あの霧に威力を減衰されないのは、質量を持った氷を撃ちだすアイスボルトやアイスミサイル、といったものだろう。
そこまで考えて、んー? とヌルスは首を傾げた。
ほんとか? ほんとに同じ魔術使ってるのか? なんだかアルテイシアが使う魔術は妙に威力が高いような気がするが……。
《まあいいか》
実はアルテイシアがこっそりパッケージングされてるはずの魔術式をいじくってるとか、ありえそうな話ではある。
それに彼女がフォローに回るのはそう悪い話ではない。先の戦いではタイミングが合わなかったが、彼女がフリーという事はあの凶悪極まりない近接戦魔法、アストラルセイバーがいつでも控えてるという事だ。5層ボスがこちらに対し接近戦をしかけてくる場合、強烈なカウンターになる事が期待できる。
むしろ口にしないだけで、彼女の狙いはこっちではないか?
《まあ、流石に友人かつ仲間にストレートに、目立つ囮になって恥をかいてくれ、なんて言えないか》
考えすぎかもしれないが、とりあえずヌルスはそれで納得した。杖を降ろしてうんうんと頷く。
《……それで。君は、一体何をしているのかね??》
「んーしょ、んーと、あと少し……」
現実逃避はここまでにしておこう、とヌルスは何やら自分の鎧の首元に手を突っ込んでいるアルテイシアに目を向ける。
杖を奪えないと判断したのか、なぜか彼女はヌルスの体に手をつっこんでまさぐっている。それはすなわち、鎧の中で蠢く無数の触手に手を突っ込んでいるという事であり、うねうねする無数の粘液に塗れた触手は人間の彼女にとって相当気持ち悪いはずだが、アルテイシアの表情にはその手の嫌悪感はなかった。
《ちょ、ちょっと、そんな乱暴に触手をいじくりまわしちゃ……》
「あ、これかな? ええい」
《あふん》
ずるん、とヌルスの鎧の中から何かを引き抜くアルテイシア。
白くて細い彼女の指に、不釣り合いなピンクの触手が握られている。その根元は千切れており、断面に魔力結晶が埋め込んであった。ヌルスの用意していた分離触手である。
「へぇー、なるほど。これが……その、ヌルスさん。これちょっともらっていいです?」
『駄目』
「速筆で断言!?」
にべもなくお断りされるアルテイシア。ヌルスからすれば当たり前である。
『勝手に一人で歪みの魔術使うつもりでしょ』
「そんな事しませんってば! 私だって死にたくないですし……あの杖の極小儀式場を解析しない限りそんな事しませんって」
正直、眼の色変えてねだってきたのを見ているので疑わしくはあるが……理性はともかく、アルテイシアの魔術師としての理論は信用できる。研究途中に欲を出して自滅、論文は完成できませんでした……というのは、彼女的にも沽券に関わるだろう。
『じゃあ、何に使うんだ?』
「ちょっと色々実証試験を。今、歪みの魔術は確かに発動できたんですが、ヌルスさんが使った時とちょっと毛色が違ったんですよね。ヌルスさんが使うと“歪み”そのものだったのに、私のそれは変質した雷属性みたいになってました。その差異がどこにあるのか、まずはこの触手を使った緩衝材の影響を調べたいんです。この後、少し迷宮を探索するので、その際にこれを私の杖に巻き付けて使ってみようかと」
ぷるぷると触手を振りながらアルテイシアが言う。確かに、言われてみればヌルスからみてもちょっと変だった気はする。
《うーん。比較実験は必要でしょう? と言われたら確かにそうなんだが……。まあ、触手そのものは緩衝材で悪影響とかはないだろうし》
事例が不足しているのは事実だ。それに、アルテイシアに分離触手の性質を理解してもらうのは悪い話ではない。ヌルスでは思いもつかない使い方や性質を彼女が発見してくれる可能性はある。
『まあ、いいだろう。だが仲間にはなんと説明するつもりだ?』
「大丈夫、黙ってれば「また変な実験してるよ」ぐらいで誰も気にしませんから! どちらにしろ最終的にはバレますし、その時に改めて説明します。将来的に私の書く論文はヌルスさんとの協同研究という事にしますしね!」
『いや、別に名誉とかが欲しいわけではないんだが』
別にアルテイシアの研究という事でも……とヌルスは伝えるが、アルテイシアは見ていない。彼女はウネウネ蠢く触手を宝物のように抱きしめながら、まだ見ぬ未来……というか触手の応用の可能性にトリップしているようだった。
「えへへへ……この緩衝材の性能があれば、金属魔術使用時の負担も軽減できたりして……。そうなれば魔力をいかに確保するかの問題だけに専念できるし……歪みの魔力、あれがただ単に危険なだけじゃなくて増幅倍率とかも違うのだとしたら応用次第で通常魔術にも応用が利くかも……。ああ、困っちゃうわ、金属魔術だけでも汎用化に成功すれば教室作れる自身があるけど、そこに歪みの魔術の功績まで加わったらもう空前絶後よ! あ、でもやりすぎには注意ね、老人どもは嫉妬深いし耄碌して自省が聞かなくなってるし……いえいえ、まだ皮算用だけど、いえでも……うふふ!」
《……まあ、アルテイシアが楽しそうだからいいか》
天才には天才なりの苦労があるのだろう。ちょっとさっきから羽目を外しがちのアルテイシアだが、同時に年相応と見えなくもない。ヌルスは生暖かい気持ちで倒木に腰を下ろし、楽しそうに杖に触手を巻き付けるアルテイシアの様子を見守った。
そんな二人を。
物陰から見ている者が居た事にも気が付かずに。
「……コイツは……。当主様に報告が必要か」
黒いフードを被った、冒険者というより暗殺者のような雰囲気を漂わせる痩身の男。
彼はアルテイシアやヌルスの魔力感知にもひっかからずに二人の邂逅の一部始終を見届けると、ひっそりと踵を返し森の奥へと姿を消した。




