第七十七話 粘液のカクテル
「なんかホントすみません……」
転移陣の前で、しょぼくれて頭を下げるのはアルテイシアだ。常に自信満々な眉尻も今ばかりはしゅんと下がり、気のせいか金のお下げも色あせて見える。元々小柄な彼女だが、今は気力がほとんど感じられないのもって一層小さくなってしまったようにも見える。
『まあ、そんな日もある。気にしないで』
「はい……」
しょんぼりと頷くアルテイシアから目を逸らし、彼女の学友達に目を向ける。彼らはどうやら、今後のスケジュールやら今日の探索結果について話し合っているらしい。
まあ、迷宮内に住んでて好きな時に探索に出かけられるうえにショートカットも可能なヌルスと違い、彼ら彼女らは一層から潜ってくる訳で、食料などの物資管理や時間調整も必要だろう。地上に棲む家があるのかどうかは分からないが、宿屋を借りているならそのあたりの兼ね合いもあるだろうし。
そのあたりを踏まえて一番皆をひっぱっていかないといけないリーダーが、パーティーメンバーでもない知り合いの冒険者一人にかまけて疎かにしてしまったのだから、仲間たちに怒られてしまうのも仕方ないと言えば仕方ない話だが……。
と、そこでじっと観察されているのに気が付いたのか、サブリーダー格の元気そうな少年がこっちに歩み寄ってくる。確か、エルリックと言ったか。微妙に緊張感を感じながらヌルスは彼に応対した。
『何か?』
「あ、いえ。一応、ご確認を……俺達はこれで地上に戻るんですが、ヌルスさんは本当にいいんですか? ルートが開拓されたといっても、4層はやはりソロだと危ない環境だと思いますが」
『構わない。私は5層に来たばかりで、まだほとんど探索してない。もう少し、この階層を理解していきたい』
「そうですか。まあ、どうするかはヌルスさんのご自由ですし、これ以上は俺達も何もいいません。お気をつけて」
『そちらもな』
話に聞けば、なんだかんだ三日もの間、彼らは迷宮に潜りっぱなしだったらしい。実際の所、アルテイシアが腑抜けなくとも、そろそろ地上に戻ろうか、という頃合いだったようだ。
「……ただまあ。その、なんていうか。……アルテイシアを甘やかすのも程ほどに願いますね?」
『反省する』
「あ、甘やかされてなんか……いやなんでもないです」
反論を試みようとした彼女が、友人一同に白い目を向けられて轟沈する。まあ、これはこれで彼らなりの親愛表現なのだろう。最初は自分のせいでパーティーの結束にヒビが入ったのかと慌てていたヌルスだが、しばらく付き合ってみればそのぐらいは分かる。
良いパーティーではあると思う。いささか緊張感が足りないのは不安ではあるが。
そういう意味だと、これまで見てきた中ではアトラス率いる3人組が一番安定感があったように思う。金髪の青年は一見すると穏やかだが、締めるべきところは締めるというか、決断力とそれに伴う責任力がある。そういった、修羅場への適正がこのパーティーには聊か不足している気がするが、まあそのあたりは経験を積む事でおいおい、といった所だろう。
そもそもソロのヌルスが口出しする事でもない。単独行動は全てが自己責任だが、それ故の気楽さもある。
「それじゃあ、俺達は失礼します」
「ヌルスさん、まったねー」
「……その。ヌルスさん、今日は失礼しました。……あと、その、これを」
不意にアルテイシアが何かを押し付けてくる。見れば、前回のようなノートの束だ。中身は大分薄いようだが。
「あれから、その。少し役立ちそうな事を纏めておきました。参考にしていただければ」
《それは助かる》
「……それじゃ!」
仲間たちの視線があって気恥ずかしかったのだろう。挨拶もそこそこに、アルテイシアは転移陣の方に向かうと、青い光と共に姿を消した。それを見送った彼女の友人達は、大げさに肩を竦め、同じように転移陣を潜ってこの階層から消失した。
あとには、ぽつんと一人、ヌルスが残されるばかりだ。
《ふむ》
急に静かになったように思える転移陣広場。ヌルスはしばし名残を惜しむように佇んでいたが、やがて踵を返して地図を片手に5層の奥へと進む事にした。
《まあ、とはいっても私も様子見程度のつもりだったしな。少し試す事だけ試したら戻るか》
本当ならすぐにでも隠し部屋に戻ってアルテイシアから提供された資料を読みたいところであるが、それだと顔見知りに遭遇したりした時に言い訳が面倒になる。思ったよりヌルスは顔というか存在が知られてるようだし、アリバイ作りのためにもう半日ぐらいは5層に留まった方が良いだろう。
試したい事もある。
松明を片手に、昏い洞窟を進む。
歩いていて分かったが、この階層は暗闇や不快な環境、凶悪な人食い瘴気がある分、魔物そのものとの遭遇率はそう高くないようだ。考えてみればまだ5層、仮に巣窟迷宮エトヴァゼルが10階層だったとしてもちょうど半分である。環境と敵、その両方を充実させるだけの魔力と魔素が不足しているという事だろうか。
瘴気にも、先ほど見たように炎に弱いという致命的な欠陥がある。対策を知っていなければ困難だが、知ってさえいえれば難易度は大幅に低下する。それはこれまでの階層と同じだ。
《どうにも、変な話だな。まるで難易度調整されているかのようだ》
4層でも受けた印象だが、いささか人為的な調整を受けているかのようにも思える。もっとも、本当に迷宮に恣意的な調整が加えられているなら、逆にこうはなっていないだろう。もしヌルスが迷宮を作り出す側なら、もっとストレートに踏破不可能にする。単純に道がないとか、壁でふさぐとか。それをしていない辺りやはり偶発的なものであるのは変わらないのだろう。
《まあいい、そのあたりの考察はいつか迷宮の外に出たらいくらでもすればいい。今は、とにかく下に潜るのが先決だ》
少なくとも、迷宮を進んでいく事で、ヌルスは多くの物を得た。これからも探索を続ける事で、そのうちヌルスが迷宮の外で生きていく方法が見つかるかもしれないという期待は高まっている。
そんな事を考えながら進んでいると、不意に魔力感知にひっかかるものがあった。何度か遭遇してそろそろ判別がつくようになってきている。
これはあれだ。瘴気である。
ちょうどいいタイミングである。敵の接近を感じ取りながら、ヌルスは近隣に他の冒険者が居ないか気を配った。……見た所、ヌルスを目視可能な範囲に冒険者はいない。凄腕の暗殺者みたいなのが気配を潜めて隠れていたらわからないが、まあそんな事を言い出したらキリがない。
手にした松明に目を向ける。瘴気との交戦ではこれを床に置いたりして炎の壁を作り、瘴気の接近を阻んで戦うのが冒険者の間ではお決まりの攻略法のようだ。だが、ヌルスならもっと良いやり方が実行できる。
一応目撃されてもいい訳が効くように、こっそりと外套の下で触手を一本、鎧の外に出す。その触手に念じて、粘液を分泌させる。可燃性の、よく燃えて、粘っこい奴を。むんむん念じると、じわり、と触手の表面に茶色っぽい分泌液が染み出してきた。
《ぬん!》
その触手を自切する。
損傷した触手を自切した場合はすぐに灰になってしまうが、傷もなくたっぷり魔力を込めた触手はすぐには灰にならない。それを掴んで松明に押し付けると、ぼぼぼ、と触手が景気よく燃え上がり始めた。
それを、すぐ目の前の地面に放る。
触手そのものは焼けてすぐに灰になってしまうが、分泌した粘液は健在だ。油だまりのように残った粘液が燃え続けて、周囲を明るく照らす。
そこに、黄色い瘴気がぼやぁと漂ってきた。
相変わらず、まるで意思があるかのようにこちらに向かって漂ってきた瘴気だが、燃える油だまりを前に停滞する。成分とかはヌルス自身もよくわかってないが、松明ほど長持ちはしないとはいえ直ぐに消える事もないはずだ。
《ほっほーう。我ながら便利ではないか》
強酸やら墨やら、色々分泌できるのは分かっていたが実に都合がいい。イメージだけでそういった液体を分泌できるからもしや、と思ったが、想像以上だ。
そこに、瘴気を突き抜けて昆虫型魔物達が襲い掛かってくる。燃える油だまりを踏み越えたその動きが、予想通りガクンと鈍くなる。
数は3匹か。これなら魔術を使うまでもない。
ヌルスは鉄の杖で二匹を薙ぎ払うと、残る一匹に袖口から飛び出した触手を巻き付けた。
《これはどうだ?》
念じて、自分をも溶かす強酸を分泌する。激痛に堪えながら触手を切断して距離を取る。
強酸は触手そのものを溶かしながらシュウシュウと音を立てている。人間であれば一溜まりもないはず……だが、魔物は大して応えた様子は見受けられなかった。多少甲殻の表面が解けながらも向かってくる魔物を、杖で打ち据える。
壁にたたきつけられた魔物の甲殻が砕け、絶命する。酸で侵されていても、その強度が落ちた様子は感じられなかった。杖に目を向けてみるが、多少酸が付着しても溶ける様子は無い。
《むぅ。駄目か》
今の酸は、ヌルスにイメージしうる最大の強酸だった。しかし、魔物はおろか、拾った杖もなんともないようでは武器としては使い道はなさそうだ。それどころか、自分自身が解ける激痛で、むしろヌルスの方がダメージを受けているかもしれない。痛みを感じる前に自切すると、酸が分泌される前に切り離す事になってしまうし。
《……やっぱ肉体的には最弱の魔物、っていう事は変わらないんだなあ、私。この酸、私の触手を跡形もなく溶かしてしまうんだが……》
灰になった魔物の残骸をみやりながらため息をつく。
思えば、迷宮の魔物には毒とか酸とかを使う個体は少なかった気がする。ハイドポッドなんかは強力な消化液を武器にしているようだったが、あれは丸呑みして相手の身動きを封じての話だし、そもそも奴らはもっぱら冒険者、つまり人間を好んで襲っていた。
忘れてはいけないが、人間という生き物は、迷宮の中では身体的には最弱を突き抜けた最弱だ。だから酸のようなものが通じるのであって、3層以降の魔物にはほぼ通用しないと見てもいいだろう。
逆に言うと、自分で分泌した酸で溶けてしまうヌルスなんかは、どれだけランクアップしても基本的に弱すぎてお話にならないという事なのかもしれない。
《い、いや、腕力だけならそこそこ……ワンチャン……》
自らの状態異常耐性の低さを改めて嘆きながら、ヌルスは瘴気に目を向ける。
人食いの霧は燃える油を乗り越えようとしているようだったが、やがて諦めたのだろう。すぅっと引いて迷宮の奥へと消えていく。それを見届けたかのように、油も燃え尽き、火が消える。後には、ちょっと焦げ臭い感じの匂いだけが残った。
《戦闘には使えなくとも、補助目的なら十分だな。……自分で出しといて、どういう仕組みなのかさっぱりわからないが》
アルテイシアに相談したら何か教えてくれるかもしれないな。そう考えて、ヌルスは懐にしまった新しいノートの事を思い出した。
以前貰った資料は、アルテイシアがヌルスの正体を知らない、という前提のものだった(実際には知っていたのだが)。だが今回は、お互いにそのあたりの秘密を共有した上での資料だ。もうそのあたりを隠す必要が無いので、魔物の能力とかについてストレートに書いてくれている可能性もある。
流石に魔物が迷宮の外で生きていく手段までは無いだろうが、闇雲に迷宮を彷徨っていては知る事の出来ない情報が描いてあるに違いない。
《……むふ。俄然楽しみになってきた》
時間は十分潰した。そろそろ4層から隠れ家に戻ってもいいだろう。
足取りも軽く、ヌルスは来た道を引き返した。




