第七十三話 蟲、杖を拾う
アルテイシアから提供されたノート。
それはまさしく、ヌルスにとって値千金の極めて重要な情報だった。
それが齎した影響は計り知れない。特に、参考書を駄目にしてしまい学習が止まっていた部分がこれで補われたのが大きい。上級の、より強力な魔術へのアクセス手段がようやく手に入ったのだ。
とはいえ、一朝一夕にどうにかなるものではない。
勉学と訓練、実験と実証を積み重ねた先に、ようやく届くかどうか、というところだ。それでも、可能性が失われていた以前とは天と地ほどの差がある。
そうして大きく魔術師として前進したヌルスだったが、次の階層に進むよりも先にしなければならない事があった。
4層の地底湖の探索である。
《よし。命綱はしっかりしてるな》
4層に点在する泉。危険地帯として地図が共有され、冒険者のよりつかないその場所を訪れる鎧姿の人物がいた。
ヌルスである。
新しく用意した外套に、自らの手で修復、装飾を整えた鎧を装備したヌルスは、泉の傍らに生えている木にロープを結びつけると、何度も引っ張ってその強度を確認している。その反対側は、ヌルスの胴体へと巻き付けられていた。
《何があるかわからないからな。備えは合った方がよい》
そういう事である。
やがて全ての準備を整えると、ヌルスは周囲に人の目が無い事を確認してゆっくりと泉に身を沈めた。
ごぽごぽと全身鎧が沈んでいく。人間であればフル装備での入水など完全な自殺行為だが、魔物であるヌルスは呼吸を必要としない。そのまままっすぐ水底に降り立つと、ヌルスはきょろきょろと地底湖を見渡した。
相変わらずの広さに、天井部分を根が覆いつくしているのも変わらない。
ただ以前と大きく違うのは、水中を何体ものモンスターが遊泳している点だ。今も、数匹の水中モンスターがヌルスを遠巻きに観察し、踵を返して逃げていったのが見える。
《……似てるな》
モンスターの見た目は、三角形の頭に、銀色の鱗。魚によくにているがヒレはなく、短い手足とオールのような尾がある。
あの巨大魔物は巨大すぎて全身が認識できず、ほぼ頭しか分からなかったが……今、地底湖に潜んでいる魔物と、よく似ている気がする。
見た所、そう攻撃性が高い魔物ではないようだ。あるいは、ヌルスを見て彼我の戦力差を理解して撤退を選べる程度に頭が回るのか。
《あの魔物が何十年も生き延びたらああなったり……するのか? うーん》
ヌルスの場合、ランクアップする度に姿が大きく変わった。しかし、全ての魔物がそうではあるまい。もし、ただ大きくなるだけのランクアップであったとして、それを繰り返し、他の魔物を駆逐し、地底湖を独占して再現なく大きくなり続けたら……。
確証はない。そもそもどれだけの時間が必要なのかもわからない。
アルテイシアなら何か知っているのだろうか。今度再会したらその辺りを聞いてみる事にして、ヌルスは探索を開始した。
水底を歩いていると、少し先に大きく光が差し込んでいる場所があった。あの巨大魔物が最後に突き破った森の一角だ。あの周辺はギルドが調査中であるからして近づくのは危険なので、光を迂回するように湖底を進む。
《この辺りにあると思うんだが……》
湖底に溜まった泥だか木屑だかをブーツのつま先でかき分けながら、魔力を探る。
果たして、探し物はしばらくして見つかった。
《……あった!》
泥の中から特大の魔力結晶を拾い上げて、ヌルスはやっほーいと小躍りした。
わざわざ水底に来た理由は二つ。
一つは、あの巨大魔物が本当にイレギュラーかの確認。流石に考えにくいが、あの魔物が4層にもともと最初から配備されていた魔物ならば、消滅したとしても再出現している恐れがある。これに関しては完全に杞憂というか、本当にあの魔物がイレギュラーである事はすぐに判明した。
もう一つは、その巨大魔物が落としたであろう大量のドロップだ。地上に飛び出た部分だけでも相当な量の魔力結晶が散乱していたのを確認している。そして体の大半が水中にあった以上、やはり大量の魔力結晶が水に沈んだはずだ。寄生魔物も巻き込まれて多数消滅したはずだし、今現在、4層は過剰な量の魔力結晶が存在する事になる。
そしてその多数は、人間には回収困難な水の底に沈んでいる。
逆に言えば、溺れる事のないヌルスであれば、安全に回収できるのである。ボス魔物との闘いで大きくダメージを受け、その回復に大量の魔力結晶の備蓄を使ってしまった以上、これを逃す手はない。
それに、触媒がそろそろ心もとなくなってきている。ここらで、各属性の魔力結晶を集めておくのは、今後も活動を続けるためには必要な事だ。
《おっと、また一つ。あっと、こっちにも。ふふふふ、拾い放題じゃないかー》
赤、青、黄色、白、緑。様々な色の魔力結晶をひょいひょい拾い集めて麻袋に詰めていく。それなりの容量がある袋がたちまち一杯になり、むふー、とヌルスは満足げに頷いた。
《ふふふ。これだけあれば一年ぐらい引きこもっても余裕だな。いやまあそんなつもりはないんだが。……おっと、あっちでも何か光ったぞ》
目敏くキラリと光るのを見逃さず、ヌルスはウキウキ気分でそちらに向かった。
これを拾ったら終わりにしよう。そう考えながら泥に腕を突っ込んだヌルスは、思っていたのと違う手応えが帰って来て首を傾げた。
《うん?》
泥の中でつかんだそれをずるずると引き上げる。その拍子に水中が巻き上がった土砂で汚れてしまうが、視野に頼らないヌルスは自分が見つけたものの輪郭をしっかりと捉えていた。
《…………杖?》
そう。ヌルスが見つけたのは、一振りの杖……のようなものだった。本体は何かしらの魔法金属で作られたもののようだが、柄の部分には何やら革のようなものが巻き付けられている。先端には複雑にネジくれた金属板が取り付けられており、見方によっては何かの紋章のようにも見える。その中央部分に触媒をはめ込む爪のようなものが備わっている。
構造的には魔術師の杖で間違いはない。ただ、魔術師の杖というのは持ち運びやすいように木材で作るのが基本だ。こんな総金属製の杖、人間であればただ持つだけで相当鍛えないといけないはずである。
《なんだこれ》
とはいえ、ヌルスからすれば大した重さではない。ちょっと力を入れて水中でブンブン振り回すが、見た目は脆そうなのに先端の飾りはびくともしない。実用性はありそうだが、何故こんなものが水の底に沈んでいるのか。
《冒険者の落とし物……じゃないよな。多分。もしかして、話に聞いたドロップ装備、という奴か?》
魔物は活動を停止すれば、僅かな灰を残して消滅する。その際、体内に蓄えた魔力を結晶として残していく訳だが、時折、低確率で魔物の肉体の一部を落とす事がある。自然消滅しないこれらの牙や爪、角といった遺留品は、いうまでもなく非常に貴重な特殊資源として高く取引される訳だが、それよりさらに低確率で武器防具そのものを落とす事がある。
あまりにも低確率で原理の詳細は判明していないが、多くの場合そういった武器防具は魔力の力を秘めた非常に強力な装備であり、それを手にする事が出来たなら英雄の道を歩く事すら可能であるという。
ほとんど御伽噺のようなものだが、そういう話があるのはヌルスも聞いていた。もしかして、この杖がそうなのだろうか。ヌルスはマジマジと杖を見つめてみたが、話に聞いたような不思議な力は感じなかった。
《ふぅむ。ま、使い道がない訳ではなさそうだ。しかし、そうだな。金属の杖……悪くないかもしれない》
考えてみれば、これまで使っていた杖は非力な人間用であり、ヌルスからすると頼りなく持て余すシーンもあった。この金属製の杖なら、万が一接近戦に巻き込まれてもそのまま鈍器として振り回せる。他にも、歪みの魔術を使った際の反動にも、ある程度耐えてくれるかもしれない。
《いやまあ、別に、あの魔術の反動痛いの変わらないからあんまし使いたくないんだけどもね》
とはいいつつ、何度も頼ってしまったのが現実である。
さらに言えば、ヌルスが魔物として魔術を極めようと思えば、あの歪みの魔術と相対する事はどうにも避けられない、最近はそう開き直りつつある。
アルテイシアには最初滅茶滅茶心配されたが、彼女の危惧する魔術の危険が、どうにも魔物である自分には当てはまらないらしい。
そもそも、人間と違ってヌルスは腕というか触手なんていくらでも生えてくるし、何なら自切すればいいので、大幅にリスクが低いのだ。忘れてはいけないが、いくら迷宮最弱の触手モンスターといっても、人間よりは遥かにタフで頑丈なのである。
そしてあの歪みの魔術がきわめて強力なのもまた事実なのだ。まっとうに魔術を研鑽しても届かないであろう壁を、あれは容易く粉砕する。有効な手札を持っていながら、自ら死蔵するのもまた、理論的ではない。
まあ、それはそれとして滅茶苦茶痛いのではあるが。
《とりあえず、この杖は頂いていこう。元手がタダと思えば、うん、使いつぶしても惜しくはないしな》
少なくとも、その辺の枝を折って触媒を括り付けただけの、その場しのぎで用意した杖モドキよりは断然、有用なはずである。
想定外の戦果を得て、ヌルスはウキウキで地底湖から引きあげたのだった。
ちなみに、この杖。冒険者であれば、これ一つで家が建つ、冒険者稼業というヤクザ稼業から足を洗える、といったレベルの代物ではあるのだが……貨幣概念を持たない魔物であるヌルスには、関係のない事であった。
まあ、道具は道具として使われるのが、一番幸せなのかもしれない。




