第七十二話 アルテイシアの頭痛 その3
その日の会議は、それで終わった。
現時点ではイレギュラー魔物が存在した事以外、確たる事実は他に存在していない。様々な事に結論を出すのは時期尚早という事で、アルテイシアはギルド支部を後にした。
他の冒険者からの視線を浴びつつ正面玄関から外に出て、支部の建物を振り返る。
あの建物の中では今も、様々な事態への対策と協議が進められているのだろう。それを踏まえてみると、さして大きくもないはずの支部の建物が、迷宮に負けずとも劣らない魔窟に思えてくるのは気のせいだろうか、とアルテイシアは考える。
思えば。普段意識していないだけで、ギルドの背負う責任は、重いものだ。
「……ふぅ。それこそ、私が考える事じゃないわね」
ぶんぶんと三つ編みおさげを振り回して、余計な考えを振り払う。今のアルテイシアはただの一冒険者、迷宮攻略の事だけ考えていればいいのだ。他の事は、それこそギルドの仕事である。他人の仕事に首を突っ込んでもロクな事にはならない。
街並みに目を戻す。
たまたま、発見された巣窟迷宮エトヴァゼルの近くにあっただけの街。だが、先ほどの話が、好からぬ想像をアルテイシアにさせてしまう。
もしかすると、この街の人間が、あの迷宮を秘匿していたのではないのか。
本当に、この街の近くにエトヴァゼルがあったのは偶然なのか。
いましがたすれ違った何と言う事はない街人が、すべての黒幕なのではないか。
「…………はぁ」
自分の思考が飛躍しすぎている事に自覚はある。が、意識した所でどうしようもないのも事実だ。
世の中には、知らない方が良い情報がいくらでもある。適度に無知である事は、ある意味幸せであるともいえる。その事実をしみじみと噛みしめながら、アルテイシアは肩を落として宿に向かった。あまり遅くなっては、友人たちが心配するだろう。
しかし。今会いたい相手を考えると、どうしてもピンクの肉塊が頭の中に浮かんでくる。
ヌルス。
彼は、今頃何をしているのだろうか。言動を考えても、迷宮の内部にどこか安全な隠れ家があるのは違いないが、しかし魔物であるが故に迷宮の外にも出れず、同じ魔物と群れる事も出来ず。今も一人で過ごしているのは間違いない。
彼には、喜びを分かち合う相手も、悲しみを共に背負う相手も居ないのだ。確かに、知性獲得型魔物の事例は他にもあるが、それがイコール、彼に仲間が存在するという事ではない。
そればかりか、共に過ごせば過ごすほど、彼が従来のケースに当てはまらない事への確信が深まるばかりだ。
時間が経過しても、彼の知性は薄まる所か、より深さを増していく。まさか、魔術師らしく隠し札まで持っているとは想像だにしなかった。それもよりにもよって、歪みの魔術とは。
あの時の様子を見るに、恐らく使ったのは一度や二度ではあるまい。ノックバックによる負傷も、覚悟の上での事だったろう。ヌルスが理性的な存在であるのはもはや疑う余地もなく、その彼が保証もなくあんな危険な魔術を行使するはずはない。
しかし、その事を思い返すと苦々しい思いも蘇ってくる。あの時は思わず怒鳴りつけてしまったし、無神経な事も口にしてしまった。冷静になった後で深く後悔したが、今更だ。
彼は、アルテイシアを助けるために危険を冒してくれたというのに。
「……次に迷宮であったら、謝らないと」
早足で帰路を急ぐ。
と、そんな彼女を呼び止める声があった。
「おや。アルテイシアさん」
「アトラスさん」
すれ違ってからかけられた声に足を止め振り返ると、果たして想像通りの人物がいた。金髪の好青年は、今は質素な麻の服を身に着けており、どう見ても今から冒険に、という体ではない。しかし同時に、支部からの帰りですれ違ったという事はそういう事だ。
「この間は僕らが支部に呼び出されたけど、その様子だと今度は君が?」
「ええ、まあ、そんな感じです。ちょっと……いやかなりめんどくさい事に巻き込まれまして」
「ああ……。それなら深く聞かない方がよさそうだなあ」
苦笑するアトラスに、ほっと安堵するアルテイシア。流石にそのあたりは心得ている相手のようだ。冒険者の知り合いは色々いるが、アトラスが一番話しやすい。あくまで言語で、という意味でだが。意思疎通の手段を問わないならヌルスさんが……そこまで考えて、アルテイシアは頭痛を覚えて額を抑えた。
ボケ過ぎである。
「どうしたんだい?」
「ちょっと自分にうんざりしまして……アトラスさんは支部に何の用事が? 今から挑む訳じゃないようですが」
「ああ、うん。ちょっとパーティーメンバーが増える事になってね。登録の手続きに」
アトラスの言に、アルテイシアは胡乱な瞳を向けた。
彼女の記憶だとつい最近、アトラスは素人の女の子をメンバーに加えたばかりである。その後、最前線への挑戦を後回しにして戦力強化に努めていたと聞いたが……。
「アトラスさん、まさか……」
「いやいや、また素人を青田買いした訳じゃないよ!? 今度はまっとうなベテラン、クレリックをメンバーに加えたんだ。アトソン、って人でね。一時期、シオンの孤児院の後見人を務めてくれていた人で、配置転換で遠くにいってたんだけど、最近戻って来たそうなんだ。シオンの事を心配して、メンバーに入ってくれたのさ」
「へえ、クレリックが?」
そういう事情なら納得である。
クレリックは、本来、祈祷者や修道士を示す言葉だが、冒険者用語の場合は少し話が代わり、第一前提として祈祷が使えるかどうか、という話になる。
勘違いされがちだが、祈祷そのものは体系化された技術であり、使用者が宗教を信仰しているかどうかはあまり関係が無い。ただ、その大手最本山が宗教一派であり、彼らの手によって開拓された技術である、というだけだ。因果が逆であり、魔術を修めようと思えば学院に関わらなければならないように、祈祷を修めようと思えば宗教に関わらなければならない。
そして両者の違いだが、魔術がもっぱら攻撃手段、防御手段に使われるのに対し、祈祷は回復・補助手段に使われる。
傷をつける事と、傷を癒す事。言うまでもなく、後者のほうが高度な知識、技能が要求されるのは言うまでもない。そのためクレリックの多くは医療知識を修めた優秀な医者である事が多い。
ついでに言えば、それだけの高度な知識、経験を持った人間は冒険者なんぞやらなくても食べていける。故に、冒険者稼業に協力するクレリックというものは、大抵冒険そのものではなく、それによって得られる付加価値を目的としている。
早い話が修行である。故に、自然と冒険者と関わるクレリックというものは、信仰厚い宗教家ばかりになる。
それはつまり、冒険者としてのクレリックは、非常に数が少ない事を意味する。魔術師も少ないが、クレリックはそれに輪をかけて少ない。
「それはなんというか、羨ましいですね。ベテランのクレリックなんてレアもいい所じゃないですか」
「ははは、まあね。シオンも大分使えるようになってきたし、そろそろこのあたりで一気に先に進もうと考えている。正直、都合が良い展開すぎて困惑しているけどね」
「いいじゃないですか。アトラスさんの善行の報いというやつですよ、きっと」
アルテイシアの正直な本音だ。
自分の事だけを考えるなら、悪人の方がより多くの富を得るのが世の中の常だ。だからこそ、正しい人が正しく報われる事は喜ばしい事である。
「でも、だからと言って手加減はしませんよ。エトヴァゼルを攻略するのは私達です」
「僕達も遅れは取らないよ。ここからが本番だ」
「ふふ。お互い、頑張りましょう」
コツン、と互いに拳を突き合わせて激励する。
ライバルではあるが、敵ではない。互いに迷宮踏破が目的である以上慣れ合う事はしないが、かといって憎い訳ではもちろんない。むしろ好ましく思うからこそ、線引きは必要だ。
「また、迷宮で」
「ええ、迷宮で」
そのやり取りを最後に、アルテイシアとアトラスは分かれ、それぞれの道へと戻った。
「ただいま」
「おかえりー!」
宿屋に戻ったアルテイシアを、友人二人が出迎える。その歓迎に、「ん?」と彼女は眉を潜めた。
「ロションは?」
「なんか出かけた。実家に手紙出すって」
「ふぅん……」
成程、とアルテイシアは納得する。
ロションは友人ではあるが、彼の家はどちらかというとアルテイシアを排斥している立場だ。より正確には、彼女に限らず、自分達の権利を脅かしうる新星全てを疎ましく思っている。出る釘は打たれる、という奴だ。
いくら友人とはいえ、彼とて家の繋がりのほうが大事だろう。概ね、今回の一件を報告しにいった、という所だろうか。
とはいえ、だからといってロションがアルテイシアの害となるかというと、そうではない。そんなに単純な話ではない。
どのみち権力者との相対は避けられない事ではあるし、そもそもあちらも今はアルテイシアを積極的に排する動機が無い、せいぜい品定めといった所だろう。現時点では彼女はあくまで才気あふれる学生にすぎないのだ。
これがもし、魔術業界の前提を覆すような発表……例えば金属魔術の汎用化に成功したとかであれば、即日暗殺者が飛んできてもおかしくはないが、現時点ではそんなネタはないし、やるにしてもそれが分かっているならやりようはある。段階を踏んで根回しをすれば、あちらにとっても得な話だ。
向こうだってそれぐらいの事は分かっているはずだ。
どちらかというと、両者の間で板挟みになっているロションが一番大変である。
「ロションも大変ね」
「だよねー。実家が裕福で羨ましい、と思ってたけど、それはそれで大変みたいよね」
「だねー」




