第六十九話 素敵で快適な我が家
魔術師の隠れ家。迷宮に作られた、今や人間の出入りできないヌルスだけの安全地帯。
そこでヌルスはしばらくの間、深い眠りを貪っていた。
ただだらけていた訳ではない。4層での激闘、そのダメージは思いのほか大きく、大量に魔力結晶を吸収した上で、かなりの長時間、回復にその能力を費やす必要があったのだ。
魔力結晶を吸収するのに一日。眠りについてはや三日。
ヌルスがダメージを完全に癒し、元通りに復元するまで四日もの時間が必要だった。
《……む》
机の下で丸まっていた触手の塊が再起動する。とぐろを巻くように丸められていた触手がゆっくりと解かれ、わさわさと蠢きながら本体が机の下からでてくる。狭い隙間に押し込まれて若干四角くなった体をゆさゆさとゆすると、たぷん、と元通り、饅頭のような丸みを取り戻した。
すっかり減っていた触手の本数も元通りである。
《ふわーあ。よく寝た……》
ぶるり、と全身を震わせると、ヌルスは机の上によじ登った。
机の上には開かれたままの日記帳と、そしてもう一つ、ノートの束が置かれている。
アルテイシアのくれたメモ集だ。まるっこい文字で、論文の写しと彼女なりの注釈が加えられたそれは、ヌルスからすれば金にも勝る価値ある資料だ。魔力結晶を貪りつつ日記を書きながら読んでいたのだが、途中で猛烈な眠気に襲われてそのまま投げだしてしまった。
《日記は……なんか途中で力尽きたみたいになってる。続きを書いて……と》
ペンを手繰りながら、アルテイシアのくれた資料に目を通す。到底全部を一度に読み切れそうもない大量の論文の写しだが、これをわざわざヌルス一人のために書き写してくれたのなら頭が下がる思いだ。必ず何かしらの埋め合わせをしなければなるまい。
それより、今はいくつか気になる事がある。
《ふむふむ……?》
論文の記述に目を通しながら、ヌルスは隠し部屋に備え付けてあるいくつかの設備に触手を伸ばした。
数刻後。
埃に塗れた薄暗い隠し部屋は、その様子を一変させていた。
部屋の片隅に置かれた反射炉らしき設備。今までずっと暗く冷たく凍えていたその炉に火が入り、煌々とした炎の光が漏れ出ている。その上にあるコンロには薬缶がおかれ、沸騰した蒸気がぴゅうぴゅうと噴き出し、乾燥した隠し部屋の空気を潤している。
天井の明かりは今までより明るく輝き部屋を照らし、また通風孔からは小さく振動音が響き、部屋の空気と外気を入れ替えている。それによって漂っていた大量の埃が排出され、あきらかに部屋の空気が澄んだものへと置き換えらえていた。
その部屋の中央で、ヌルスは一変した快適さを堪能しながら、アルテイシアの残したノートを捲り上げていた。
《いやー。まさかこんな仕組みがあるとはな。アルテイシアに感謝する事がまた増えた》
今現在稼働している設備はもともとこの部屋に備わっていた機能だ。だが、知らなければ使いようが無い。アルテイシアのノートに、魔術の工業利用、設備利用の概念が記してある事からヌルスはその可能性に気が付き、改めて部屋の確認を行った結果だ。その起動にも魔術知識が必要であったが、それについてもノートに書いてあった。
もしかすると、ヌルスがどんな所に隠れているのか、アルテイシアは予想がついていたのかもしれない。考えなくとも、いくら魔物が知性に目覚めたからと言ってじゃあ魔術使います、というのは飛躍しすぎている。そういった物品が多く存在する場所を隠れ家にしていると考えるのは自然な流れであり、アルテイシアほどの人物であれば想定してしかるべきだな、とヌルスは深く納得した。
まあその想定は間違っていないが、実際の所アルテイシアもここまでしっかりした隠れ家が迷宮内部に存在するなど想像だにしていなかった。まあ結果オーライである。
《と、そろそろかな?》
ヌルスはのそのそと反射炉に近づくと、適当な鉄材を突っ込んでみた。その先端が赤く焼けるのを見て取って取り出し、水に沈める。じゅぅ、と音を立てて焼き入れされる金属を見て、ヌルスは満足そうにうなずいた。
《なるほど。面白いものだな》
しげしげと金属の変色を観察しつつ、ヌルスは部屋の隅に積み上げたガラクタに目を向ける。
その多くは破損していたり変形したりしていて、利用が難しいものだ。機を見て投棄するつもりだったが、加工ができるとなれば話が変わってくる。
もともと、ヌルスがそのまま利用できるぐらい保存状態の良い遺留品は数が少ない。ここのところ、装備の紛失、損失がそれなりの頻度で起きている事を考えても、早々とそれら状態のよい装備を使い果たしてしまうよりは、少し状態が悪い物を修復して使えないかという訳だ。
以前であれば手段が無かったが、こうして隠し部屋の設備が運用可能になれば、無理な話ではなくなってくる。
今後は施設の運用も考えて材料を確保してくる必要があるだろう。
《重ね重ねアルテイシアには感謝だな。しかし……》
ヌルスはがらがらと床に散らばるガラクタを押しのけ、岩の地肌がむき出しになっている床を露にした。かつては何か毛布か絨毯がしかれていたと思わしきそこは、経年劣化でボロボロになった毛屑が散らばるばかりだ。その下にある岩肌には、何か文様が刻み込まれている。
ところどころが欠け、溝に沁み込んでいたであろう染料もすっかり色あせてしまってはいるが、これに近い雰囲気のものをヌルスは見た事がある。
《この部屋を作った主がどうやって出入りしているのかずっと疑問だったが、転移陣とはな。いや、人間が作った物は転移結界、だったか? とはいえ機能しなくなって久しいようだが》
これにヌルスが気が付いたのは、部屋の設備を起動するべく片っ端から魔力を流し込んでいた時の事だ。流し込んだ魔力が、しかしどこかでひっかかって詰まっている感じがして探索してみると、床のゴミの下にこんなものがあった訳だ。見た所、主要な魔力の流れる回路が寸断しているらしく、現時点では修復は困難だ。岩に回路を彫っているため、物理的に欠けてしまっていてはお手上げである。これをどうにかするには、一度全部削り落として新たに回路を掘る必要がある。そんな知識を持っていないヌルスにはどうしようもない。
《まあ無くても出入りはできるんだが、ちょっと残念だな》
正直なところ、無くてもこまりはしない。だが、使えれば出来る事が増えるのは違いない。
例えば。
そう、例えば。
アルテイシアを、この部屋に連れてくる事ができれば、まだわかっていない事の多くが明らかになるだろう。この隠し部屋を作ったのが誰か、あるいは何のために作られたのか、とか。
《……いやまあ、彼女がここに来てくれるのならば、だけど》
単純に考えても、このそう広くはない部屋に魔物、それも触手型と一緒に押し込められるなんて、普通の冒険者は受け入れてはくれないだろう。
だが、アルテイシアは、ヌルスの正体を知ってもなお、友好的に接してくれた。あまつさえ、ヌルスの事を心配して涙を流してくれたのだ。
彼女なりに何か理由があっての事、打算あっての事だったのも聞いている。だが、それこそ打算の一切ない関係の方が珍しいだろう。ましてや相手は人間の敵ともいえる魔物である。打算があったとしても、そんな相手に配慮し、人格を慮り、心配してくれた。それはもう、友人といっても過言ではないのだろうか。
もじもじと触手の先端を捏ね合わせながら、ヌルスは妄想する。
転移結界でこの部屋にやってくるアルテイシア。互いに論文を片手に議論を交わし、時には実践し、意見を交わし合う。彼女の見ている前で破損した装備を修復し、衣装を見せてアドバイスをもらい、そしてまた冒険に出かける。
そこのコンロでスープをあっためて食事もいいかもしれない。触手型モンスターは、通常の有機物を摂取できるし、人間と好みは違うが味もわかる。なんだったら、材料を買って来てもらってヌルスが料理したものを食べてもらって味の感想を聞いたりなんかできるのでは?
《ふ、ふふ、ふふふふ……》
妄想の世界に羽ばたいてふわふわと膨らむ触手の塊。が、ふと我に返ってしゅんと潰れた。
残念ながら、転移結界は直せそうにない。妄想は妄想である。
《いやいや、諦めるのはまだ早い。勉強すればそのうち……いや、いや! 目的を忘れちゃだめだぞ、第一目標は迷宮の外でも生きていけるようになる事! それが第一!》
ぶんぶん体を振って雑念を振り払うと、ヌルスは炉の熱を落とし、再び日記帳に向かった。
4層のフロアガーディアン戦から色んな事があった。その中に、いくつか今後の指針になりそうな情報が存在した。小耳にはさんだだけ、あるいは目撃したそれらの情報を忘れないよう纏めておかなければならない。
《ちょっとした事が大きなきっかけになるかもしれんからな。纏めておく事に越したことはない》
ヌルスは物理的に体を捻って記憶を弄りながら、思い出したキーワードを日記帳にかたっぱしから書き記していく
それが後々役に立つかどうか。
それは、ヌルス次第である。
《さて。日記書き終わったら、ノートの続きに目を通しておくか……》




