第六十八話 脱出
考察を取りやめ、急いで彼女の下に向かう。俯せに倒れ込んだままの彼女を抱え上げ、わさわさと触診する。
《よかった、骨とか折れてない。咄嗟に飛んで衝撃を殺したとかかな……わぶっ!?》
「何を! 何を考えているんですか!」
少女の華奢な躰に破綻が無い事を確認して安堵したのも束の間、その少女がヌルスにつかみかかってくる。最初、無許可で体に触れた事への抗議かと思ったヌルスだったが、アルテイシアが叫んだのはヌルスからすると意図のよくわからない糾弾だった。
《?? ?》
「歪みの力に手を出すだなんて……私が助かっても、ヌルスさんが死んだら意味がないじゃないですか!!」
《なんですとぉ!?》
さらっと恐ろしい事を言われてびびるヌルス。
その体を、逆にペタペタとアルテイシアが触診した。
「もしかしたら知らなかったのかもしれませんが、根源の魔力は制御なんてできない程荒れ狂っている上に、それは魂を傷つける傷をもたらすんです! どんな小さな傷でも決して癒えぬ傷となり、やがて術者の命を奪う。そんな恐ろしい力なんです!」
《えっ、死ぬの!? 私死ぬの!?》
具体的にどう恐ろしいのか説明されてヌルスは心の底から竦み上がった。《いやだー、生き残ったのに死ぬの嫌だー》と震えるヌルスを他所に、その体を熱心に触診していたアルテイシアは、しかし何ごともないようにしか思えなくて首を傾げた。
「あ、あれ、おかしいですね。傷が無い……? 実験に失敗した教授は出血多量で死んだのに……」
《ウワアアア実例あるの!? 失血死なんて嫌だぁあ!!》
しなしなになって触手を丸めて震えているヌルスをしばし学者の視線で観察した後、アルテイシアは視線をずらした。目線の先には、壊れた杖とその横に積もった灰。ヌルスの触手が灰になった痕跡を見つめて、ぽん、とアルテイシアは手を打って納得した。
「そうか! 魔物はそもそも、生物の真似をしているだけの実体をもった魔術式みたいなもの、傷つく魂がもともと無いのね! さらにヌルスさんの場合、触手を切り離してしまえばそれでなかった事になる! 素晴らしいわ、人間にはとても真似できない!」
《……あのぉー……。何か納得したならいいけど……なんか、酷い事言ってない……?》
何やらヌルスは無事で、かつアルテイシアも納得したらしいが、割と気になるワードがとびかっているような気がするヌルスであった。
それでなかった事になる、と言われてもとんでもなく痛いし、なんなら切り離した後も幻肢痛のようなものがズキズキと残る。ついでにいうと、傷つく魂がない、なんて言われて傷つく心もあるのである。
残念ながら筆記手段がないので伝えようがないが。ヌルスは心の涙腺からさめざめと涙を流した。
「凄いわ! これ、ヌルスさんに協力してもらえば止まっていた研究も……きゃっ」
《わわ、揺れる揺れる》
突然足元がぐらぐらと揺れ、二人は手をついて振動に耐えた。
何やら周囲も騒がしい。見れば、これまでの激闘に我関せずだった壁の魔物達が、パニックに陥ったようにそのあたりを走り回っている。ヌルス達に全く目もくれず、逃げ場所を探し求めるように右往左往。
その間にも振動は止むことなく続き、それどころか大きく床が傾き始めた。さっきまでの床が壁となり、魔物もヌルスもアルテイシアも、一様に振り落とされそうになる。とっさにヌルスは触手を伸ばし凹凸に体を固定するとアルテイシアを抱きかかえた。
「わぶっ」
《そ、そうか、魔術に核を巻き込んで破壊してしまったから、魔物の自壊が始まったのか……!》
この揺れは恐らく巨大魔物が悶えているのだろう。大きさ故、すぐさま消失していないだけですでに崩壊が始まっているのだ。
突然、壁の一角が崩壊し大量の水が空間に流れ込んでくる。ごぼごぼとたちまちのうちに溜まっていく水に浮いていた肉片が、パチパチと音を立てて灰になっていく。寄生魔物達は突然の水に溺れるようにジタバタしているが、まあ魔物だ、溺死はすまい。
しかしアルテイシアはそうはいかない。
人間は溺れる生き物だ。
他にも浸水が始まっているのか、あっという間に水位が上昇、さきほどの決壊部を飲み来みヌルス達のすぐ下まで水に満たされる。
残り時間は少ないようだ。
「ヌ、ヌルスさん……! わ、私は大丈夫ですから! すぅう……、むぐっ」
《……ええい、ままよ!》
アルテイシアが大げさな動きで息を吸って自分の口を抑えるのを見て、ヌルスも覚悟を決める。このままここにいては、大質量が消滅した事によって発生するであろう大規模な水の変動に巻き込まれる。そうすれば、ヌルスはともかくアルテイシアは助からない。
まだ消滅しきっていない今のうちに、魔物から脱出して距離を置かなければ。
ヌルスはアルテイシアを抱えたまま、自ら水の中へと飛び込んだ。
《急げ、急げ!》
残り少ない触手をスクリューのように回転させながら泳ぐヌルス。予想通りあちこち崩壊が始まっていて、トンネルのようになっている決壊部を通り過ぎていく。パチパチ水中で燃えていく魔物の体が明かりとなり、ヌルスの進むべき道を示してくれる。
大急ぎでそれを通り抜けると、世界が一変する。
見覚えのある巨大地底湖。見上げれば、無数に垂れ下がる木の根の天井。4層に隠された地底湖だ。その天井の一角に、光の柱のように差し込む陽光を見咎めて、ヌルスはそこへ向かって振り返らず一目散に泳いで向かった。
「……っ。………!」
《間に合え、間に合え……!》
触手の中のアルテイシアが苦しそうな動きを見せる。《あと少し耐えてくれ》、そう願ってヌルスは自己最高を更新する勢いで水面へと向かう。
あと少し。
間近に迫った水面に、ヌルスは勢いよく触手を伸ばした。その先端が、泉の縁へとひっかかるなり、勢いよく体を引き寄せる。
《おりゃあ!! ぶべっ》
「……っ! ぶはっ! えほ、ごほっ!」
砲弾のように、水面を突き破って外に飛び出すヌルス。衝撃に備えてアルテイシアを抱きかかえたまま、ゴロゴロと転がって木の幹に衝突して止まるヌルス。触手から解放されて、アルテイシアが新鮮な空気を求めて激しくえづいた。
触手をぴくぴく痙攣させながらも、ヌルスは意識を失わずに周囲を確認する。
どうやら、ここは件のホットスポット、地底湖に繋がる泉の近くのようだ。危険地帯として周知されているせいか、周囲に冒険者の姿はない。確認する余裕もなかったので不幸中の幸いといった所か。
一方、アルテイシアは新鮮な空気をたらふく吸って人心地得たようだ。両手を地面について味わうように深呼吸している彼女の背を優しく撫でてやる。
《大丈夫か?》
「あ、ありがとう、ございます……」
ずぶ濡れで息も絶え絶えだが、どうやら支障はない様子。アルテイシアが元気そうで安心したヌルスは、はて、と4層の森の木々を見渡した。
なんとか脱出には成功したが、あの巨大魔物は……どうなったのか?
《ぬぉ》
突然、4層を揺れが襲う。足元から伝わってくる振動は、何かが地底湖で暴れている事を示している。
直後、そう遠くない森の一角が爆発したように弾け飛んだ。無数の木々の残骸を土砂のように噴き上げながら、巨大な……あまりにも巨大な銀色の物体が聳え立つ。
それは、途方もなく巨大な魔物の頭だった。
永く伸びた三角錐を思わせる顎。そのふちには柱のような巨大な牙がずらりと並んでいる。黄金の目は感情を伺わせない冷徹なそれで、真冬の月を思わせた。
現実で言えば、ガーとアリゲーターを足して二で割ったような、凶悪な面構え。もしこれが壮健であれば、その気になれば4層の地表全てを食い尽くしてしまえるのではないかと思う程である。
だが、その巨大魔物は、誰が見ても今まさに最後を迎えようとしているところであった。
まるで疫病の斑点のように、その体を灰色の染みが蝕んでいく。体のあちこちから燃え尽きて灰になっていく巨大な頭が、残された最後の力でぎょろり、と眼下の小さな存在を睨みつける。
すなわち、ヌルスとアルテイシア。
圧倒的な存在の敵意は、まるで冷たい風のように両者には感じられた。肝が竦み上がり、ぶるりと体が震える。
だが、巨大魔物に出来たのはそれだけだった。
たちまちのうちにその銀色が灰色にとってかわられる。最後まで抵抗するように残っていた瞳の金色もたちまち色あせ、燃え尽きて灰となる。やがて4層に聳える巨大な灰の柱と化したその体は、自重に耐えかねてガラガラと砕け始めた。
4層に吹雪のように灰混じりの風が吹きつけ、それもすぐに溶けるように消えていく。
魔物は、死ねば僅かな痕跡しか残らない。
いかに巨大な魔物であっても、その例外に逸れる事はない。何もかもが、夢幻のように消えていく。あれだけの巨躯であったからか、無数の魔力結晶が森にばらまかれたようだが、そのぐらいだ。
そして。人知れず4層に潜んでいたイレギュラー魔物は、あっさりとその長い長い活動を終えた。
その矛盾に。
今だ誰も気が付いてはいない。
《……虚しいものだな。あれだけの巨躯であっても、霞のように消え去るのみとは》
「えほ、えほ……っ。すっごい灰の量……。……くしゅん、ちょっと冷えてきました……」
巨大魔物の最後を見届けて、それぞれの感想を漏らすヌルスとアルテイシア。感じ入るものがあったヌルスとは違い、アルテイシアは単純な快不快しか感じなかったようだが。さらにいうと、地底湖の湖は割と暖かめだったとはいえ、ずっとずぶ濡れのままだったので少し体が冷えてきた事の方が気になるらしい。
とにかく、なんとか今回も生き残った。
そう安堵するヌルスだが、いやいやまだ気を抜くのは早い、と気を取り直す。
今の巨大魔物の出現と崩壊、多くの冒険者が目撃したはずだ。それに大量の灰と魔力結晶がばらまかれた影響で、4層全体が何やら騒がしい。
冒険者と魔物、その両方が活性化しているのを感じ取り、ヌルスは潮時と判断した。
他の人間と遭遇する前に、一度4層から撤退した方が良い。なんせ、装備らしい装備は地底湖に沈んでしまったはずだ。魔物である本性を隠す手段が無い。
「ヌルスさん。今の騒ぎで冒険者が集まってくるかもしれません、一刻も早くここを離れて、隠れ家があるならそこに戻った方がいいと思います」
アルテイシアも同じ考えのようだ。
だが、しかし。フロアガーディアン戦で同行していたアルテイシア達へはどう説明したものか。わたわたと触手を蠢かすヌルスだが、そんな触手相手にアルテイシアは苦笑いを浮かべた。目は口ほどに物を言う、というが、ヌルスの場合、触手の動きが口以上に雄弁だ。言葉が通じないのに意思疎通に不具合が無い気がする、と彼女は思う。
「友人達の事なら大丈夫です、不信を抱かれないよう言い包めておきます。御心配なさらず」
《そ、そうか? 君が言うならそれでいいが……いや、ちょっと待ってくれ。言葉通じてないんだよな? 本当に???》
「あー、もしかして言葉が通じてる? とか思ってます? いや、全然何もわからないですけど、その……ヌルスさんの感情、触手の動きで分かりやすすぎるので……(眼鏡外すまでもないですし……)」
《なぬぅ!?》
ガビーン、と触手をジグザグにひきつらせて固まるヌルス。ほらやっぱり分かりやすい、とアルテイシアは苦笑した。
「とにかくこちらの事は気にしないで、ヌルスさんは一旦離脱を。また迷宮内で会いましょう、次は5層で! はい、これ。荷物です」
《わ、わかった。正直色々話したい事はあるが、状況は逼迫しているしな。これで失礼する!》
はい、とアルテイシアが差し出してきた油紙の包みを受け取って、ぺこり、とお辞儀するように本体を傾ける。それを最後に、ヌルスは一目散に森の中へと駆け出した。触手の本数は三分の一以下に減ってしまったが、人間に化けてない分動きやすい。4層の環境になれたのもあって、木々の枝に触手を絡ませて体を引き寄せ、ばびゅーんと森の奥へと姿を消すヌルス。
木々の繁みに遮られる直前、最後にアルテイシアが手を振って見送ってくれたのが見えた。




